人身取引被害者(男性)の救援事例報告

  2011年8月 21日

        コムスタカー外国人と共に生きる会 

                   中島 眞一郎

西日本新聞  2011年8月21日の記事 

熊本県内で飲食店のホステスとして働かされ、人身取引の被害者と認定されたフィリピン人が、

国や県の被害者保護事業によるシェルター(避難施設)での保護などの公的支援を受けられないまま

帰国していたことが20日、分かった。被害者は外見上は女性だが性別は男性で、女性のみを想定している

事業の対象外とされた。代わりに民間団体が費用を全額負担して一時保護していた。(以下、省略)

 

 

一、外国籍男性の人身取引被害者の保護に至る経緯

 

2010年8月中旬、人身取引被害者の保護や帰国後の自立支援を日本政府から委託されているIMO

(国際移住機関)日本駐在員、及び  熊本県男女参画協働推進課(当時の担当部局)の職員から、

人身取引の被害者(男性)を、コムスタカのシェルターで保護できないかという相談が入る。 コムスタカは、

現在常設のシェルターを持たないので、他の民間シェルターを紹介したところ、運営している民間団体の了解が取れ、

入居できることになった。翌日本人と会って話が聞けるとの連絡を受ける。

翌日に熊本県庁で、熊本県警や県職員の担当者からから経緯の説明を受ける。「8月上旬に5人を保護するも、

うち一人が男性で、公的施設では、男性は保護できないため、帰国するまで民間団体に依頼したい。

但し、予算措置はない。」ということであった。

通訳とともに、本人と面会して事情や希望を聞く。本人の希望は、「早く帰国したい。

他の女性らと面会し、一緒にいたい」というものであった。男性には、公的保護施設への入居が認められていない

日本側の行政の事情や民間団体が保護することになることを説明し、運営する団体の方と共に民間シェルターの部屋へ

連れていく。そこで、入居でのルールや使い方など説明してもらう。 数日後、東京のIMOの職員が、熊本に本人

からの聞き取りのために来て、本人から事情を聞いた。

そして、8月下旬、本人は、10日間ほど民間シェルターに滞在して、無事本国へ帰国した。その間の人身取引被害者の

滞在費用は、すべて民間団体側の経費や寄付金でまかなう。以上が、男性の人身取引被害者の保護にコムスタカー

外国人と共に生きる会としてかかわった経緯の概略です。

 

2011年5月14日  熊本県DV対策関係機関会議(代表者会議)で、DV被害者保護に関する

関係の質問と要望とともに、2010年8月におきた人身取引被害者のうち男性の人身取引被害者

の公的保護がない問題について、質問する。

 

質問1、男性の人身取引の被害者を保護する施策と財政面での公的援助の課題の検討状況について、

 回答 国へは要望しているが、 国の施策の対応待ちで、熊本県として特に対応していない。

質問2 福岡県では昨年度より開催されるようになったと聞いていますが、人身取引対策のための

人身取引対策関係機関会議等は、熊本県でも行われていますか、

 回答   熊本県では、人身取引被害者のための会議は設けてない。

 

 

提言   女性の人身取引被害者と男性の人身取引被害者の間に公的保護の在り方にこれだけ差があるのは性差別であり、

再び被害者が現れる場合に備えて、日本政府の施策が何も進展しないとしても、熊本県独自に、公的支援(無料で宿泊できる施設、

あるいは民間団体に委託する場合のも費用の予算化等)の措置を、独自にとるべきである。

 

二、西日本新聞による報道に至る経緯

 

DV対策関係機関代表者会議は、報告部分はマスコミに公表され取材に来ていた記者も複数いたが、質疑応答部分は非公開となっていた。

しかし、質疑応答部分を参加者から取材した 読売新聞熊本支局の記者より5月下旬に、コムスタカに電話取材があったが、

この件は人身取引被害者に関することなので、依頼してきた熊本県に取材してほしいと答え、取材に応じなかった。

その後、読売新聞黄さにより熊本県や公的機関への取材がなされたが、報道に至らなかった。2011年7月下旬に、

西日本新聞社の記者から本件で取材があり、コムスタカー外国人と共に生きる会として話せる範囲で取材に応じた。

応じた理由は、被害者が帰国して約1年が経過しており、被害者への危害が及ぶ危険性は極めて少ないと考えられたこと、

おそらく本件が、外国籍の男性が日本で人身取引の被害者として認定された最初のケースとしてあると思われるが、

具体的なケースがあらわれておりながら、日本政府も熊本県行政も、依然として、男性の人身取引被害者への公的な

保護施設や公的な財政援助の施策を進展させていない。そのため再び男性の人身取引被害者が保護を求めてきても、

これまで同様に公的機関による保護や援助が皆無で、民間団体に丸投げされる現状となっていること公にして、

施策の進展を促す意義があると考えられたからである。その後、西日本新聞の記者により、熊本県や公的関係機関へ

取材がなされ、2011年8月20日に西日本新聞朝刊とインターネット配信の記事が報道された

 

※日本政府は、2004年人身取引行動計画を策定し、2009年に同行動計画を改定し、改定行動計画において

男性被害者等の保護施策に関する検討」と記載している。

 

※人身取引の被害者数

   注:  法務省入国管理局は、保護又は帰国した人身取引被害者数 として公表しており、

警察庁公表の人身取引被害者と異なる。

       法務省入国管理局      警察庁  (うち日本国籍の被害者)

   2005年 115人 ・          117人

   2006年  47人 ・           58人

   2007年  40人   ・         43人(1人)

   2008年  28人   ・         36人(2人)

   2009年  20人  ・          17人(2人)

   2010年  29人・            37人(※12人)

  ※警察庁公表の2010年の人身取引被害者数日本国籍の人身取引被害者12名のうち3名が

男性被害者であるとされているが、外国籍の男性被害者が存在していかについては不明。)

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