コムスタカ―外国人と共に生きる会

中国残留孤児の再婚した妻の娘2家族7人の退去強制問題


逆転の方法

辛淑玉さんのインタビューに答えて

中島真一郎(コムスタカ―外国人と共に生きる会)



 2005年3月7日。元中国残留孤児の妻の婚姻前の娘2家族7人に対する退去強制処分の取消を求める裁判で、一審敗訴の後、福岡高裁の控訴審で逆転勝訴することができた。

 この問題に私がかかわる発端は、2001年11月19日にかかってきた一本の電話であった。それから3年4ヶ月、入国管理局を相手とする訴訟でこれまで誰も成し遂げられなかった勝訴を勝ち取り、司法の壁の中でも特に厚い高等裁判所の壁を破ることができた。8日後の3月15日には、南野法務大臣〔当時〕が緊急記者会見をひらき、法務省として福岡高裁判決の受け入れと上告断念を発表。この逆転勝訴判決は確定した。

 その結果、退去強制の恐怖にさらされていた2家族7人に2005年3月24日に「定住者」の在留資格が与えられた。と同時に、この家族と同様な、元中国残留孤児の血縁関係のない家族で裁判係争中や在留特別許可申請中の家族にも「定住者」の在留資格が与えられることになった。さらに、この判決を契機として、同年9月28日、政府は、閣議決定をへて、幼少時から同居している元中国残留日本人の血縁関係のない家族にも「定住者」の在留資格を与えるように、「定住者告示」(法務省告示第132号)を一部改定し施行した。

 私は、このような劇的な勝利を得ることができたのは、この闘いが、「権威」「肩書き」「組織」に頼らず、個人の意思と主体性に基づいて、決定権のある相手に向かって、事実と証拠を積み上げ、立証し、運動してきた結果だと思っている。

 辛淑玉さんのインタビューに答えるなかで、1審敗訴後の絶望的状況のなかから、どのような方法や考え方で、逆転勝訴判決を導き、退去強制の恐怖にさらされていた7人に「定住者」の在留資格を得て、日本での定住を可能とする勝利を得ることができたのかを明らかにしておきたい。


 以下のインタビューは、2007年6月20日に発刊された『悪あがきのすすめ』(辛淑玉・著、岩波新書)のなかに掲載されている「人間、捨てたものじゃない――熊本発・連帯の希望」(P.65―P.77)のもとになったものです。


辛:裁判で勝つこと簡単ではなかったのでは?

中島 その通りです。入管行政をめぐる退去強制令書発付処分取消訴訟では、負けた先例しかなかったですから。そして、2003年3月の一審判決は敗訴。そのとき、周囲に絶望感が漂った。絶望的状況下で、仮放免中の子ども達が荒れ、非行、不登校、自殺未遂を引き起こし、大村入国管理センターに1年以上収容されている父親の釈放の目処は立たず、当事者2家族が崩壊しかけた。また、控訴後、たった一人で第1審の裁判を担った弁護士が海外留学することになり、新しい弁護団で控訴審をせざるをえなくなった。1審敗訴後の数ヶ月間は最もしんどいどん底の状態。

 支援の学校の先生達が必死で家族の崩壊を食い止め、また新たに弁護士経験2年目の若手弁護士に主任弁護人をお願いし、ベテランの弁護士一人と弁護士資格のない私が弁護団に入り3名で控訴審途中から(新弁護団を)結成した。3人がこれまでお互いを知らないこともあり、後に最強の弁護団になるが、この時点では最弱の弁護団であった。二人の弁護士に中国残留孤児の家族の家に来てもらい、聞き取りを最初からもう一度してもらった。二人の弁護士も、家族の真剣さの前に、この一家のためになんとかしたいという気持ちになった。
 
 

辛:絶望的状況から、逆転勝訴へどうしてできたの?

中島 情況が好転しだしたのは、大村入国管理センターに収容されていた父親が、2003年9月に1年10ヶ月ぶりに6回目の仮放免申請が許可され釈放された辺りから。裁判係争中の長期収容者への仮放免許可は、帰国準備か病気療養を理由としてしか認めてこなかった大村入国管理センターとしては、初めて。それでも、控訴審は、元中国残留孤児の証人を一人採用しただけで残り8人の証人申請はすべて却下され、12月の第3回口頭弁論で次回(2004年2月)の第4回口頭弁論で結審の予定が宣告されてしまう。このまま結審されると判決は敗訴必至と思われる。

 もう後のない土壇場の状況下で、これまでの立証方針を大転換する。1審判決は、原告が在留特別許可をえるための血縁がなくとも家族の実態があることや来日後平穏に暮らしていることなどを有利な条件として認めたが、不利な事情として、入国経緯に日本人の実子を偽造したという重大な違法性があることの方を重視して原告敗訴とした。

 控訴審では、当初有利な事情を補充して立証しようとしていたが裁判官の反応がなく、むしろ不利な事情である入国経緯に違法性が本当にあったのか再検討することにした。すると、入管の処分の根拠であり大前提である「実子(だとの証明書)を偽造して入国した」という事実がなかったという立証ができる道筋が見えてきた。つまり相手の強固と思われた根拠を崩せば勝てるわけです。
 
 

辛:どうやって相手の根拠を崩すことができたの?

中島 この事件では、入管(法務省入国管理局)から摘発された日本人の実子を偽造した容疑と、2家族のうち妹家族の来日の際に養子先の子ども二人が紛れ込んで入国していたという二つの事件がごっちゃになって処分されていた。後者の事件については、妹の養子先の家族から強要されて中国残留孤児の家族は家族ぐるみで加担していたが、その養子先の子ども二人が退去強制されるべき事件で、この家族の退去強制処分と関係がないことがわかった。また、2003年6月に大阪入管から在留特別許可が認められた中国残留孤児の血縁のない家族と支援者の方の協力をえて、この家族と(日本の入管に)提出した書類が同じであることが確認できた。

 そして、入管は中国の公証制度に無知で、再婚した配偶者の婚姻前の子が、配偶者の「姓」に変更したり、「子」や「長女」や「次女」との記載がなされていることを「偽造」と判断していたが、これらは何ら偽造ではなく中国の公証書の運用において合法的におこなわれていることが明らかになった。さらに、中国残留孤児の戸籍謄本が入国時に入管へ提出されているが、それに記載されている婚姻期日が、妻の婚姻前の子の出生公証書の出生日の後になっていること見れば、「実子」でないことが容易に判別できたこともわかった。つまり、この2家族は、来日時の入管への提出書類で「日本人の実子でないこと」を隠していなかったこととなり、入管のズサンな審査が明らかとなった。

 これらの主張と新証拠を2004年1月に福岡高裁に提出し、入管が保有する入国時の書類を裁判所に提出すること求める文書提出命令を申し立てた。すると裁判所は、結審の予定の第4回口頭弁論の期日を取り消し、相手側に文書の提出を求める積極的な訴訟指揮を取り始めた。あわてた被告側は文書提出に抵抗し、ようやく提出してきてもそのほとんど黒く塗りつぶしてくるなど徹底抗戦してきた。しかし、裁判所の文書提出命令を発動するという強い姿勢の前に、半年後にようやく任意で提出した。そして、私たちが主張してきたとおりの事実が裏付けられ、2004年10月に第4回口頭弁論が再開されることになった。
 
 

辛:裁判の攻守が完全に逆転することとなったね。

中島 そのとおりです。それでもまだ、逆転勝訴を導くには原告側には大きな壁があった。それは、「法務大臣の在留特別許可を判断する際の広範な裁量権」という壁である。

 この壁を破るため、もう一つの新たな争点を設定することにした。2004年7月、入管法改定の国会の衆議院及び参議院の法務委員会の議事録を入手し、「上陸許可取り消し処分には、上陸時点から許可を取り消す遡及的効果があることから、『重大な不正や明白な偽装』に限定して行われてきた」と入管局長が答弁していることがわかった。これを新証拠として提出し、入国時に偽造行為のなかった2家族7人に、上陸許可取消処分を適用したことが「重大な不正や明白な偽造」という要件を満たさない違法な処分であったという主張を追加した。つまり、在留特別許可を認めなかった判断をめぐるこれまでの争点以外に、その前提となっている最初の上陸許可取り消し処分が違法であるという新たな争点を設定し、その立証責任は被告側にあるので被告の立証を求めた。

 裁判所は、これをあらたな争点として認め、被告側に釈明を求めた。追い込まれた被告側は、この家族の摘発が、第三者甲による通報によるものから調査を始めたことを明らかにしたが、上陸取り消し処分の要件について一般的な説明しかしなかった。ところが、裁判所も、これ以上審理を進めようとせず2005年12月に結審し、判決言い渡しは2005年3月7日と決まり、逆転勝訴できるか不安が生じた。(結審後、この裁判を担当していた石塚裁判長が転勤したことがわかり、自らの判決文とするための結審を急いでいたことがわかる。)

 2005年3月7日当日、判決文は他の裁判長が代読すると思っていたら、法廷に石塚裁判長が、代読の代読としてあらわれ、判決文を自ら読み上げた。「主文 原判決を取り消す。―――」との逆転勝訴判決に、満席の法廷内は、どよめきと感動の坩堝となった。2家族7人が入管に摘発されて3年4ヶ月、勝訴判決を願ってこの日の法廷に傍聴していた者しか直接体験できない至福の瞬間であった。
 
 

辛:問題の立て方の基本は?

中島 当事者が本当に望んでいることを目的として、それを実現する為の手段を尽くしてみる。これまでの運動の側の多くは、勝てないという前提でスタートし現実的と思われる、次善の妥協点を常に探って落としどころを考える。そうである限り、よりましな範囲を超えることは最初からできない。でも、その次善の策は、当事者が本当に望んでいることでも、自ら考えて結論したことでもなく、支援者や専門家が、「目的は実現できない」ことを前提に、「よりましな策」として考えられたに過ぎない。

 逆転勝訴した中国残留孤児の退去強制問題でも、九州外の支援者のなから、『どうせ裁判では勝てない、現実的になれ』『裁判にだけ頼っていないで、子どもだけでも、日本に残れるように法務省―入管と交渉する気はないか』という助言や働きかけがあった。

 この事件では、入管は退去強制することで強固に固まっていた。裁判で勝つ以外はこの2家族を救えない状況で、それ以外に方法がなかった。「当事者は、親子が家族として全員日本で暮らしたい」という強い意思があったし、仮に手段を尽くしても敗訴し、日本に残る方法がなくなった場合には、家族全員で中国に帰ることを決めていたので、その道は選択しなかった。
 
 

辛:そのほかに、気をつけている点は?

中島 敗訴の先例しかない入管問題の外国人裁判の判例だけ見ていると負けパターンしか想定できないが、勝ちパターンのイメージを持っていた。農民が国を相手にする訴訟で、1審敗訴して控訴審で逆転勝訴し国が上告を断念した事案に、熊本県にある国営川辺川ダム計画の利水訴訟があった。また、水俣病の関西訴訟では、患者が1審敗訴し控訴審で逆転勝訴したが、国が上告し最高裁でも国が敗訴しており、この二つの事案のパターンのいずれかになるとイメージしていた。

 中国残留孤児の控訴審判決前に、敗訴の場合に上告するかどうかの検討もしていたが、控訴審の展開から見て7・8割勝訴の手ごたえを感じていた。そのため、勝訴判決後の国に上告を断念させることや、勝訴して国に上告された場合どうするかを考え、国会議員にお願いして判決前の予算委員会で、南野法務大臣にこの家族の問題を質問してもらった。また、判決後の法務省交渉の日程を折衝してもらった。
 
 

辛:この戦いでの勝利の意味は?

中島 運動としての意義は、第一に行政訴訟のなかでもいわば『聖域』となり不敗を誇っていた入管行政をめぐる裁判で、外国籍の原告が、正面から挑んで国を打ち破り勝利する事例ができたこと。第二に、大きな組織の支援もなく、有名人もおらず、当事者や中国残留孤児家族の訴えに共鳴した人の支援の輪を広げて、勝ち取ることができ、従来の運動業界にある「常識」を破り、多くの人々に希望を与えたこと。

 「権威」「肩書き」「組織」「有名人」に頼ることができる人は頼られたらよい。しかし、それらに頼ることのできない場合でも、むしろ頼れないことで問題の本質を見失わず、個人の意思と主体性に基づいて、決定権のある相手に向かって、事実と証拠を積み上げ立証し運動すれば、勝利できることを具体的に明らかにできたこと。
 
 

辛:マスコミは、この事件にどうでしたか?

中島 この事件は、もともと入管という公権力の摘発からはじまっており、2家族7人は、高裁判決で逆転勝訴するまで、「犯罪者」扱いされてきており、当初からマスコミの報道も好意的なものは期待できなかった。

 マスコミへの接し方として、特定の記者との人間関係に依存して、「お願いして書いてもらう」という関係を一切作らなかった。こちらが報道してほしい内容やお知らせがあるときは、司法記者クラブやそれに加盟していない社の記者に対しても公平に情報を伝えることを心がけた。むろん、その情報に反応して取材要請のあった記者には、取材意図や趣旨を確認し、プライバシーの保護への配慮など条件をつけて、了解してくれた人には積極的に協力した。そして、マスコミとも対等な関係をつくるなかで、熊本県外のマスコミの人から次第に理解者が増えていった。但し、これらの記者の報道は、単発的か、ベタ記事扱いで大きく報道されることはなかった。
 
 

辛:当初は、マスコミはほとんど扱わなかったのね。

中島 2003年3月の1審判決の前夜、熊本市内で原告家族を激励する集会を支援団体が企画し、100名を超える人が集まった。熊本県内の記者クラブ所属の加盟社及非加盟の社にもすべてに案内状と取材要請書を郵送した。しかし、このとき県外の東京・大阪・福岡のマスコミからも取材があったが、熊本県内のマスコミで取材に来たのは、記者クラブ非加盟のラジオ局のFM中九州(現在は、FMくまもと)の記者一人であった。その2年後の2005年3月の控訴審判決前夜の熊本市内での激励集会も、熊本県内のマスコミは数社しか取材がなかった。

 しかし、高裁判決で逆転勝訴すると、2家族7人はそれまでの「犯罪者」扱いから「救済すべき人々」に180度変わり、その風景が一変してしまった。テレビやラジオでは、その日の夕方のトップニュースとして報道され、翌日の新聞の朝刊では、第一面のトップ記事だけでなく他の紙面も関連記事で埋め尽くされるほど大量の報道がなされた。しかも、その報道は、高裁判決を批判するものは皆無で、すべて画期的と評価し絶賛するたぐいのものばかりであった。
 
 

辛:マスコミは、高裁での逆転判決後,手のひらを返したような対応にかわったのね。

中島 3年4ヶ月の裁判の間、当事者家族や支援者を一度も取材することなく、この事件が入管行政をめぐる訴訟として歴史的な大きな意味を持つという理解もセンスもなかった記者も、高裁判決が言い渡されると、それをもとに入管行政を批判する記事を大量に書き、紙面を埋める「優秀な能力」があることがわかって、私は正直しらけた。

 確かに、「世論はマスコミで決まる」。しかし、その世論を決定付けているマスコミは、政府や裁判所や検察庁など公的機関のお墨付きというものに依拠しており、自らの意思はない。自らの意思も決定権もないものに期待したり、働きかけてもエネルギーの無駄。現在マスコミは巨大化かつ空洞化している。マスコミには、仕事として事実を報道してもらうか、差別報道をやめてもらえればよく、それ以上の依存や期待もせず、公的機関の決定をかえることに全力を尽くした方が良い。それができれば、マスコミはその巨大なエネルギーを、高裁判決後のように敗訴した国を批判する方向へ、お願いしなくても勝手に向けてくれる。

 2006年3月15日に国が上告断念したというニュースが流れ、熊本県政記者クラブの要請でその日の夜、熊本市内のホテルで2家族7人と支援者の記者会見を開いた。かってないほど大勢の記者が取材に来た。たまたま司会を担当した私は、記者会見を終了する最後に「ここに集まられた多くの皆さんとって、おそらくこの家族の問題で皆さんが取材されるのは最初で最後となるでしょうから、一言わせていただきます。皆さんのなかに、もしジャーナリストという意識をお持ちの方がおられるのなら、3年4ヶ月の間この家族をこれまで一度も取材にこられなかったことを恥じてください。」と言って会見を終わった。
 
 

辛:いま打ち込んでいることは?

中島 日本に移住してきた外国人からの相談とその解決のための活動。

 抽象的なものより具体的なもの、「地位」「肩書き」「資格」「お金」よりも、生身の具体的な個々の人間とかかわり、具体的な人間の悩みや苦しみを受け止めながら、一緒になって解決していくこと。そうすると、類が類を呼ぶのか、そういう人たちと出会える。ある意味では何もない普通の人たちが、私と係るなかで、ある局面で動き始めて、それがものすごいパワーとして現れたとき、人のパワーを発見したとき、生きがいを感じるし感動する。人間が面白い。
 
 

辛:どういう人たちが中島さんに助けを求めてくるのですか?

中島 ほとんど口コミですが、ニューカマーと呼ばれる移住女性が多く、オーバーステイの外国人男性と国際結婚した日本人女性、移住外国人男性もいます。もう誰も助けてくれない、どこにもよりどころがない、弁護士もいない、金もない。そういう人たちです。
 
 

辛:重くないですか?

中島 他のところで相手にしてもらえなかったり、どうしようもなくなってからの人が多い。それこそ私が見捨てたら、泣き寝入りするか、入管の言いなりになって退去強制されるか、それでも私のところに来るのは、その人自身の中に、何とかしたいというパワーがあるからだと思う。必死になってやってきた人を、その目的を実現するために合法的に何ができるか、どのような手段と方法がありうるかを一緒に考え行動する。
 
 

辛:一緒に?

中島 そう、一緒に動く。代わりにやるのではなく、アドバイスだけしてたらい回しするのでもなく、一緒に動く。
 
 

辛:しかし、こちらが望むような「美しい被害者」は少ないと思うのですが。

中島 そもそも、私自身「美しい相談者」じゃないし、最初から「美しい被害者」など誰もいません。むしろ、一緒に動いて闘うなかで、「美しい被害者」になるんです。

 まっとうな方法と解決の道筋ができれば、どんなにあくどい人でも「美しい被害者」に変わるんですよ。権利として回復できる見込みがあれば、一緒になってやってみる。

 助けを求めてきた人の中に、まっとうな要求がある。それをまっとうに獲得できる道を探す。それを一緒にめざして動いていけば、その過程で、世俗的な利害関係を超えた「美しい」関係に変わるんです。
 
 

辛:落ち込むことは?

中島 ありますよ。思うようにうまくいかないとき、それも対峙する相手側との関係より、内部の人間関係の方が影響が大きい。内と外のギャップをゼロにすることはできないが少なくすることはできる。実態通りならストレスがすくない。個人の原点から広げていくから、無理がない。
 
 

辛:難しい案件のときは?

中島 簡単に解決につながる相談は、入管のインフォメーションセンターや行政の相談窓口で対応できるので、私のところに来るのは難しい案件のものが多い。その中に、現段階で全く実現できそうにない相談もあるし、また、現在は不可能でも、時間をかけて挑んでいるうちに可能となるかもしれない相談の場合もある。

 たとえば、「観光できたが、短期滞在の在留資格のままで合法的に日本で働きたい」という相談には、日本の法律や政策が変わらないと不可能と答えるしかない。「短期滞在」の在留資格のままでは、日本ではたら働くことはできないが、「定住者」「日本人配偶者等」の在留資格えられれば、日本で合法的に働くこと、生活の糧をうることは可能となる。

 「定住者」等の在留資格取得の可能性があれば、相談者の意思を確認してリスクがあっても行政にトライしてみる。また、在留資格のない外国人で、退去強制されたくないというという相談で来た人は、退去強制されること以外既に失うものがなくなっているので、そのときがゼロでしょ。それ以上悪くなることはない。ならば、動けば必ずプラスにはなる。
 
 

辛:一人で多くの案件を抱え込むのは大変でしょう?

中島 私の原則は、一人では闘わない。(むろん、表面的には、一人となる場合もあるが、その場合でも、表に出ない協力者や支援者といっしょにする)、一人でやると社会性がなくなるから、二人以上で闘う。相談者とまず私からはじめる。そして問題の内容の必要性に対応して、支援者・協力者を次第に増やしていく。物理的に抱え込めなくならない範囲でやっていっているので、そう大変とは感じていない。
 
 

辛:権力の中枢との闘いが多いですよね?

中島 退去強制されたくない外国人の相談の場合には、警察や入管、法務省が相手とならざるを得ないが、大それた国家を相手にしているとは意識していない。警察や入管、法務省も行政機構であり、市民への行政サービス機関としての本来的役割を果たしてもらえればよい。

 「国家権力」と戦うには、よく、組織がしっかりしていなとダメとか、大きな団体の支援がないとダメ、何々がないとダメという人がいるが、それがないとできないと思い込む必要はない。もともと、そういうことが望めない人が相談に来るのですから。

 理不尽な事に直面したとき、そこに挑もうとする「意思」(当事者)があって、誰か一人でも手伝ってくれる人(支援者)がいれば、はじめることはできます。さらに、訴訟を提訴する必要があるときは、協力してくれる弁護士が必要となります、裁判する場合でも、最低3人いれば、はじめられます。あとは、必要性に応じて増やしていけばよいのです。そして大事なことは、実際に行動し、機能する人を探しだして見つけること。
 
 

辛:弁護士費用は?

中島 お金のある人は 本人やその家族が出す。お金のない人は、法律扶助制度が使える人の場合はそれを活用するが、日本に住所がないとか、在留資格がないなどそれも使えない人は、実費分をコムスタカで立て替え、問題解決後に相手側からえた解決金などから回収したり、後日、弁護士に分割して着手金と成功報酬分などを支払ってもらう。また、基本的勝訴か、勝利的な和解により相手側からお金を得て、弁護士の報酬や費用をまかなうことをめざす。訴訟も弁護士任せにしないで、外国人からの聞き取り、翻訳、証拠の提供、書目の作成など私たちで担い、弁護士の負担を減らして取り組んでいく。
 
 

辛:もし、当事者が途中でやめたいといったら?

中島 意思確認をして、その場でやめる。本人の意思でしているので、わたしや支援者や弁護士のためにしているのではないですから。むろん立て替え分や未払いの実費分は後で返済してもらいます。
 
 

辛:負けた経験は?

中島 いっぱいあります。負け続けてきたことの方が多い。もちろん、その経験は大事だ。だって、考えるから。負けながら、そのつどどうしたら次は実現できるかを考える、一度目の申請ではだめでも、二度目、三度目と挑んでいくと認められていくこともある。
 
 

辛:全国で最初の事例が多いですよね?

中島 先例がなく、難しいと思われている相談も、最初からダメと自主規制せず、まず挑んでみてみることで、結果的に実現できていくことがある。むろん、これまで実現できていない根拠や理由があるので、その理由や根拠を崩し、実現していく為の創意工夫や知恵が必要です。難しい、前例がない、組織がない、きちんと学習してからでないとやれないなど、やらない理由を挙げて、やらないことを正当化して言っていたら、いつまでたってもできない。
 
 

辛:今の組織は?

中島 最初は、1985年9月に結成した「滞日アジア女性問題を考える会」という名前で、これが移住女性の救援のための日本で最初のNGOとなる。そして、1993年より現在の「コムスタカ・外国人と共に生きる会」に改称して、現在に至っています。

 ニューズレターを年3回発行し、500部ほどを発送しています。20年間活動していくなかで、いろいろな協力者がいますので、問題ごとに協力者を見つけて対応しています。
 
 

辛:闘う相手、交渉相手は怖くないですか?

中島 1985年に会を結成した最初のころは、逃げてきたフィリピン女性を保護し、パスポートを取り上げられているのを取り返したり、未払い賃金を要求したり、帰国を希望する彼女達の要求を実現していくため、その店のオーナーやマネジャー、プロモーターなど店の業者関係者といやおうなく、交渉しなければならなかったので、正直おっかなびっくりでした。しかし、お店の業者関係者と何度か遣り合っていくうちに、相手も同じであること。相手だって、こちらを不気味に思っている(笑)。それに、こちら側の方が立場が有利であることがわかってくるんです。
 
 

辛:強味はなんですか?

中島 NGOである私たちは金銭を得ないといけないという利害関係がないこと。

 そして、こちら側が被害者の身柄を確保しているから強いし、有利。こちらの要求に応じなければ、被害者を入管へ連れて行って、帰国させるようにする。そして、入管に提出された契約書類と実際の仕事が異なり、業者関係者の違法行為を明らかにして、次からタレントの入国を許可しないようにしてもらうようにすればよい。 彼らの多くは金儲けが目的だし、外国人女性は「タレント」としていわば「商品」で、流通することが大事でしょ。だから、そこを理解すること。つまり、相手の『正体』と目的がわかれば対処できる。

 実はあらゆる相談で一番しんどく、解決のために重要なのは、相手側と実際に誰が直接交渉したり対峙するかと言うことです。こちらが名前と顔をさらして向き合うと、相手のほうがいやな気持ちになる。匿名であったり、背後にいるというのは簡単だけど、相手に対する圧力にはなりにくい。当事者間では解決できないか、被害者としてできないから相談してくるわけで、当事者の意思を確認して一緒にやってみることが大事です。
 
 

辛:相談された時、気をつけていることは?

中島 相談を最初に受ける時、まず、「あなたは、どのようにしたいのか、あるいはどのようになりたいのか、一番何を望んでいることをいってほしい」と聞く。つまり、「どうしたいか」を聞き出すこと。そして、それが合法的に可能な方法や手段を考え、そのための費用や時間、うまくいかない場合のリスクも含めて説明し、どうするかを相談者に選択してもらいます。相談者にかわって全部代行することはしない。また、相談されたことや実現したいといわれたこと以外のことについては、関与しないことを心がけている。そして、もしうまく問題が解決できた場合でも、相談者とはそれでお別れです。

 「あなたが、あなた自身の問題を解決しよう」とガンバルなら、手段として尽くせるものを一緒にやるだけのこと。どんな困難や絶望的な状況におかれている人も、人は本当に実現を望んでいることを理解し、一緒に動いてくれる人がいたら,エネルギーが体のなかから湧いてきます。そして、人間って、そんなにすてたものではないですから、道は必ず開けてきます。
 
 

辛:限界を感じたことは?

中島 もともと、絶望的な状況から出発せざるをえない相談が多いので、限界だらけです。相談者が自分の意思で挑んでいく、起ち上がっていく(STAND UP)ことができれば、その限界の範囲を次第に押し広げていくことができます。仮に相手が入管行政という強固なものでも、当事者からいろいろな支援者があらわれ広がっていくと、限界の範囲は、どんどん伸びていく。伸縮自在。固定的ではない。動けば動いただけ、伸びて押し広げていくことができます。
 
 

辛:勝つために必ず押さえておくことは?

中島 勝ち負けという言葉で表現するより、相談者の目的を実現できるか、できないか、あるいは、一部だけでも実現できたかといったほうが適切とおもいますが、結果の評価は、当然伴います。

 少数の力で、目的を実現するには、相手側の決定権を持っている人を見つけ、その人を変えることができれば実現できます。それは、お店の業者関係者、DV加害者の夫、行政、入管でも同じです。そして、まず相手の根拠と理由を理解すること、その上で、どうすれば、相手の理由に反論し、根拠を崩すことができるかを考える。
 
 

辛:ボス交(渉)はなさらないのですか?

中島 自分もボスではないし、ボス交に出せる人もいないし、そもそもボス交で使える人がいない(笑)。私のバックには、私の背中しかない。(笑)

 国会で質問したりしてもらうなど国会議員でないとできないことをしようとする場合には、議員を説得して協力してもらう。また、弁護士に期待することは裁判の代理人として訴状や書面を作ってもらうこと。医者は病気を予防したり治療すること。いわゆる専門家としての本来業務をやってもらえればいい。国会議員だから、有名人だから、といって全部をゆだねない。責任を他者にゆだねるのは間違い。だいたい、無名な私たちはそんな有名人を使えない場合のほうが多い。そんな恵まれた環境にいない。

 大きな組織を持つ有力な人や有名な人に頼らないと問題が解決できないとしたら、そういう力を持つ限られた人しかできない。逆に無名な人だけで問題が解決できたら、誰でもできる希望を持てることになる。
 
 

辛:運動の基本を、もう少しわかりやすくお話していただけますか?

中島 あらゆる運動は、当事者としての個人の意思から始まる。私から見ると、目的と手段の関係が逆立ちし、本末転倒し、中身を失って形骸化している組織や運動が少なくない。イベントや集会とデモのスタイルばかりで、動員の数の維持に奔走し、誰が呼びかけているかなどの周囲の評価ばかり気にして、序列や形式にこだわる、そして気がつくと伝統芸能化している。スタイルは社会的アピールの手段であって、手段と目的の関係が本末転倒している。仮に外で何万人の集会をやっても、具体的問題に取り組まず、相手に直接抗議しないのなら相手にとって痛くもかゆくもない。
 
 

辛:相手の土俵にのるということですか?

中島 相手と直接対峙せず、理解しあえる仲間うちでのみ気勢をあげていても、「遠吠え」の運動にしかならない。相手と対峙して、その根拠や論理を崩すしかない。例えば、裁判する以外方法がなければ、法廷で争うしかない。裁判官や国の代理人の訟務検事、相手側の弁護士などエリート(偏差値の高い学校を出た人)は、ペーパー試験に強く、先例などに詳しく既存の作られた枠組みの中では強い。だから、その次元の枠組を壊すか、乗り越えないと勝負にならない。

 裁判になったら、決定権を持つ裁判官、とりわけ裁判長を説得できればいい。裁判長に、国を負けさせて、この人たちを勝たせよう、と思わせることが大事。そのための証拠や論理は必要ですよ。世論の支持を受けることも、可能であればあった方がよい。但し、世論はマスコミが代表しており、マスコミは公的機関の決定を後追いするだけなので、マスコミを利用しようとか、依存しようとしても無理。
 
 

辛:現在ある運動団体の課題は?

中島 私は、私の可能な条件のなかで、私の経験からいいと思うやり方でやっていっているだけ。私自身が把握しているのは、現在の日本社会のありようは、オセロゲームの状況に近いこと。両端を押さえられ、途中もすべて「白」あるいは「黒」一色となっている。途中ほとんど周りを見て力の強い方につくように決めて浮遊している状態で、実際にものごとを決める決定権をもっているのは実は少数の人間。オセロゲームのように、両端を押さえられると対抗する者はゼロになってしまう。これに対抗し、逆転していく為には、まず、一方の端を押さえること、つまり相手方と対峙関係をきちんと作ること、それは一人からでもできる。そして、やりやすい周りやできることからから始めようとしないこと、それをしていてもいつまでたっても相手に届かない。

 むしろ、相手方の依拠している最も強固と思えるもう一方の端の根拠を崩してそこを抑えれば、途中は全部ひっくり返ります。(中国残留孤児の家族の問題では、高裁で逆転勝訴判決を得たことにより、マスコミも世論も一変し、これまで高裁判決に依拠していた法務省を直撃し、国は総崩れとなり、法務大臣に上告断念と定住者告示の変更という政策変更をもたらした。)

 個人として、対等な関係で相手側と対峙すること、そういう構えを抱いて全体と向き合うこと、相手がどんな大きく、巨大に思えるものでも、基本的に1対1の関係にしてしまえばよい。そして、1対1の関係のなかで相手に対して、1対1で向き合ったとき、ちゃんと説得する論理と迫力がないといけない。そう、真剣さ。それがないと、形だけの運動になる。

 多くの運動体は、間接的に世論に訴えかけて、マスコミに働きかけてアピールすることを運動と思っているように思え、決定権のある人に直接挑むという動きをほとんどしていない。また、敗北して崩れていくのは、相手側の強さにやられる前に、自己の内面やこちら内部の分裂や対立が激化して崩壊していくことが多い。ならば、相手側にも逆のパターンで崩壊してもらい、転換してもらえばよい。

 どうせダメと最初から決め付けないで、直接出向いてやると、相手の反応と意思がわかる。相手が何らかの反応し動いてくると、効果があるとわかり、解決の糸口が見えてくる場合がある。そして対峙している相手のなかに、私の隠れファンや共鳴者を作り出していけばよい。相手側も内部矛盾を抱えており対立はあるので、私の考えや主張の正当さを理解し、私の代わりに代弁して主張してもらえるようにすればよい。事実、相手側に隠れファンがいることがわかったりして、世間て、けっこう捨てたものではないということがわかる。


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