コムスタカ―外国人と共に生きる会

中国残留孤児の再婚した妻の娘2家族7人の退去強制問題


福岡高裁での控訴審で、入国経緯の違法性をめぐる攻防始まる。

中島真一郎(コムスタカ−外国人と共に生きる会)
2004年3月31日

 福岡高裁は、3月22日法務大臣へ4月中旬までに求意見(昨年6月に在留特別許可が大阪入管で認められた家族の入国申請のための提出書類の提出について)を行い、次回口頭弁論期日は4月中旬以降にずれ込むことがはっきりしました。そして、2004年1月30日の新証拠や文書提出命令の申し立て以降の2ヶ月間の攻防は、次回口頭弁論で結審―敗訴判決必至のぎりぎりの状況から、流れが変わり攻守ところをかえ、被控訴人(法務大臣―入管)側を次第に追い詰めていっています。

1、控訴審での争点と福岡高裁の結審への動き

 原審判決は、再婚した配偶者の子の場合には、未婚未成年でなければならないという「定住者告示」に該当しないから被告の在留特別許可不許可処分や退去強制令書発付処分を認め、原告の訴えを退ける判決を出したのではなく、以下のような比較考量論にたって、原告の訴えを退けています。2003年3月31日の福岡地裁民事3部の判決は、要約すると「中国残留孤児の再婚した配偶者の子であるという身分や地位が在留特別許可の有利な事情の一つであること、原告ら家族に、事実上の家族関係という実態があること、入国後平穏にくらしていることなどを認めましたが、本件の具体的な事情を検討した上で、原告家族の入国経緯について重大な違法があったことなどをより重視し、法務大臣の裁量権を広く認めて、原告らに在留特別許可を付与しないことが社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかということまではできない」と原告の請求を斥けました。
 このように判決は、「法務大臣の裁量権を広く認め、入国の経緯の違法性と、原告の日本人の再婚した配偶者の子の地位や身分や家族としての実態があることなどを比較考慮して、前者を重視した結果、上記の結論に至った」との論理構成をとっています。
 従って、控訴審の争点は、「@入国経緯の違法性の重大さ、A中国残留孤児の歴史性と日本政府の責任、B元中国残留孤児の再婚した配偶者の子とその家族としての身分や地位にあること、C来日後も家族関係の実体があること、D入国後、日本で平安に暮らしていること、E退去強制されれば、重大な影響を家族、特に子どもたちが受けること」となります。原審判決を覆すため、このうち、B、C、Dについては、原審判決でも認められており、控訴審では、AとEを中心で立証しようとして、証拠や証人申請を行ってきましたが、2003年12月15日の第3回口頭弁論まで、福岡高裁の裁判官は、証人採用を井上鶴嗣さんのみしか採用しようとせず、これまでどおりであれば、これ以上の証拠調べを打ち切る以降を示し、次回第4回口頭弁論(2004年2月23日)結審となる可能性が強まりました。

2、入国経緯の違法性の有無を争点とした新証拠の提出と証人申請など新たな立証方針へ

 そのため、残された争点として@入国経緯の違法性の重大さへの反論を行うため、2003年6月20日大阪入管で在留特別許可を得た元中国残留孤児の家族のケースや類似事例のケースの入国手続きと本件がどのように違うのか比較検討しました。その結果、入国手続きにおいて本件の妹家族の中に二人の養子先の子二人が紛れ込んで入国した事実関係部分を除いて、何ら提出書類内容や入国手続きにちがいがなく、被告が主張し原審判決が認定しているような「事実と異なる書類を提出して、実子と偽って入国した」事実そのものが存在しないことが明らかになってきました。
 井上鶴嗣さんや控訴人(井上菊代さん井上由紀子さんら)が、入国の際に元中国残留孤児で日本人である井上鶴嗣さんと同じ姓でないと入国できないという認識はありましたが、入管難民認定法の定住者告示にある「未婚・未成年でない再婚した配偶者の子(継子)は入国できない」という基準があることは知らず、「実子でないことを隠そう」としたという認識はありませんでした。井上鶴嗣さんや控訴人らに主観的な認識がなかったということを明らかにするにとどまらず、入管の処分理由や原審判断の前提となっている『実子』を装って入国したという、控訴人らの入国時の手続き自体に、実は違法性がなかったことが明らかになってきました。以下、その根拠を説明します。

(1)1991年、1996年、1998年の入国申請時にすべて入管へ、昭和40年10月9日と井上琴絵さんとの婚姻期日の記載されている井上鶴嗣さんの戸籍謄本を入国手続きの際に、入管へ提出しており、井上菊代さんや由紀子さんの出生公証書や親族関係公証書には、生年月日が1963年(昭和38年)3月14日と記載されており、菊代さんと由紀子さんが井上鶴嗣さんの「実子」でないことは明らかであり、入管は容易に提出書類から知ることができましたから、「井上鶴嗣さんの実子であること」を装うものではありませんでした。注) 井上鶴嗣さんの戸籍謄本は、証書提出日が、昭和59年(1984年)12月10日と記載されていますので、1984年12月10日に戸籍謄本が作成され、琴絵さんとの婚姻期日(昭和40年10月9日)と記載されています。

(2)原審判決は、井上菊代さんと由紀子さんの姓を「孫」に変更したり、「長女」「次女」あるいは「子」と書かれた「出生公証書」及び「親族関係公証書」を偽造と認定して、入国経過の違法性が重大であるとしています。しかしながら、中国で居民戸口簿に、再婚した配偶者の子(継子)である井上菊代さんが、成人既婚後にも、実母湖亜芹の再婚した配偶者である孫守堂(日本名 井上鶴嗣)の姓に変更する行為は合法的行為であり、違法性はありません。また、井上由紀子さんが、養子先の同意を得て、実母湖亜芹の再婚した配偶者である孫守堂(日本名 井上鶴嗣)の姓に変更する行為は合法的行為で、違法性はありません。さらに、中国では、公証書の実務運用として、再婚した配偶者の子(継子)と実子の区別をしておらず、実母湖亜芹の再婚した配偶者である孫守堂(井上鶴嗣)の「子」あるいは「長女」「次女」「娘」や「息子」と記載された公証書は、偽造ではなく真正なものです。

(3) 本件と類似事例である2003年6月20日に大阪入管より在留特別許可が認められた元
中国残留孤児の再婚した妻の子2家族(日本人と「継父」−「継子」関係にある)のケースも、大阪入管への入国申請に提出された出生証明書には、「継父」−「継子」関係が明記されておらず、元中国残留孤児の戸籍謄本に記載された婚姻期日と、子の出生証明書の生年月日から「実子」でないことは明らかであったことは、本件と同様でした。

3、文書提出命令申し立てと、戸籍謄本などの新証拠を福岡高裁へ提出

 1月30日午前10時30分に福岡高裁に、@準備書面5(入国経緯に違法性がなく、原審は事実誤認と判断を誤っていることなどを主張する)、A文書提出命令申立書(控訴人の入国申請時の入管への提出書類一切など)、B証拠申出書(福岡入国管理局長、大阪入国管理局長など証人申請)、証人採用と証拠調べを求める要請書(47団体、個人375人)を提出しました。そして、午後10時40分より、主任弁護人の大倉弁護士、元中国残留孤児 井上鶴嗣さん、私と支援団体より熊本の会の寺岡先生の4人で、福岡地裁司法記者室で会見をしました。
 1月26日に記者会見を申し入れ、1月30日午前10時30分より会見をすることになり、会見の目的と今後立証趣旨の説明を文書にして事前に、記者クラブ幹事社あてに送信していました。しかし、事前に反応があったのは共同通信の記者だけでした。約束の時間10時30分には記者は、記者は二人しかきておらず、最終的には5人程度の取材でした。最初20分間は、大倉弁護士や私より、提出書類やその内容の説明について行いましたが、記者の反応は悪く、ほとんどニュース価値がないような受け止め方でしたが、出席していた記者の携帯電話が会見途中で鳴り出し(共同通信がこの件を記事にして配信していることが伝わる)、それ以降、熱心に質問がなされ、予定より30分以上も長い、午前11時半に終わりました。今回提出した元中国残留孤児の戸籍謄本(新証拠)は、これまで入管から証拠としてだされていませんでした。元中国残留孤児の戸籍の婚姻日の記載と、すでに証拠として入管から出されている再婚した配偶者の子の生年月日が記載されている出生公証書や親族関係公証書から、実子でないことが明らかであり、入国手続き上、控訴人らに「実子を偽装する」違法性はなかったことを証明するもので、入管の処分や原審判断の「日本人の実子を偽装して入国した」という大前提が覆るものです。

4、福岡高裁の 2004年2月23日第4回口頭弁論期日の取り消しと延期決定

 2004年2月13日午後、福岡高裁より、 次回期日が職権で取り消され、 新たな期日は「追って指定」するとの連絡が主任弁護人の事務所に入りました。2004年1月30日提出した文書提出命令申立に対して、2月10日付けで、被控訴人側から1996年の井上菊代さんの入国申請時の書類、1998年の井上由紀子さんの入国申請時の書類のうちすでに証拠として提出されているものを除く書類が任意で提出されました。但し、1991年の井上菊代さんが申請時の書類については、「すでに保存期間がすぎて福岡入管は保持していないこと、井上さん家族と類似例の2003年6月に大阪入管で在留特別許可が認められた元中国残留孤児の再婚した妻の子2家族の入国申請時の書類については、本件と関係なく証拠調べの必要性なし」として、文書提出命令を却下するように主張する意見書が裁判所へ提出されました。これに対して、2004年2月13日午前中、控訴人側として、「井上菊代さんは、入国5年後の2001年11月5日に入管から摘発されており、その時点では福岡入管は入国申請書類を保持していたはずであり、保持していないという被控訴人の説明は合理性がなく、文書を所持しているものと考える」「裁量権が恣意的に行使されているかどうかを判断するために、本件類似事案との比較検討が不可欠であり、大阪入管で在留特別許可が認められたケースの入国申請時の書類の文書提出命令と証人調べは不可欠である。」と被控訴人の意見書へ再反論し、文書提出命令や証人調べの必要性について述べた意見書を提出しました。そして、福岡高裁は、被控訴人側に2月末日までに、控訴人の再度の意見書への再反論や釈明を求める決定を行い、2月23日の第4回口頭弁論の期日が取り消され、3月以降に追って期日を連絡することになりました。
 2月13日の期日取り消しと被控訴人に追加の釈明の提出をもとめる決定は、福岡高裁としては、文書提出命令を被控訴人へ命じることを即意味しているわけではありません。但し、裁判所が、被控訴人の2月10日に任意提出された一部証拠と、同日の被控訴人の文書提出命令申し立てへ却下を求める意見書に対して、裁判所として納得していないことを示すもので、期日の延期や、2月末期限での被控訴人の回答を求める動きは、入国経緯の違法性の問題について裁判所として関心を示している動きと理解して良いと思います。

5、文書提出命令をめぐる攻防

 そして、2月25日被控訴人から文書提出命令申し立てに対する意見書2が提出され、「「1991年の入国申請の提出書類は、2年間の保存期間経過により廃棄処分としており、文書が存在しないこと、大阪入管のケースと本件は、別のケースであり関係がないこと、別件の文書の提出は関係者のプライバシー侵害となること理由に必要ない」という主張でした。これに対して、福岡高裁は、2月26日被控訴人に対して求釈明を行い3月12日までに廃棄処分をしたことを示す証拠(廃棄処分記録など)の提出を求めました。3月12日、被控訴人から求釈明に対する回答がなされ、「廃棄処分を記録している文書も保存期間5年がすでに経過しており、廃棄処分としあっため提出できない」という回答でした。控訴人側は、「出生公証書の『継子』が『継父』の姓に変更することや、『長女』や『次女』と記載されていることが、違法ではない」ことなどを主張する中国人弁護士(元南開大学教授 中国婚姻法と中国法制史専攻)の意見書と準備書面6を3月10日に提出し、被控訴人の第3準備書面と文書提出命令に対する意見書2への反論と未提出文書への文書提出命令を求める準備書面7を3月15日に提出しました。
そして、3月22日福岡高裁から「、現在,文書提出命令のうち,大阪入管の(昨年6月に在留特別許可を認めた)の家族の分について,法務大臣に求意見中です。その意見の締切りが4月中旬となっているので,文書提出命令に関する決定は,4月中旬以降となります。」との連絡が主任弁護人へ入りました。この結果、次回口頭弁論期日は少なくとも4月中旬以降へずれ込むこと、昨年6月に大阪入管より在留特別許可が認められたケースに関する文書について,控訴人側が主張した「必要性」について,裁判所が一応理由があるものと考えている(法務大臣への求意見は,被控訴人が主張する職務上の秘密にあたるかどうかに関するものであると思われます)ことが明らかになってきました。

6、今後の争点

 今後の争点は、今後、被控訴人側、が残りの未提出の資料を任意で出すのか、任意で出さないときに裁判所が命令を文書提出命令を決定するのか、あるいは命令として必要なしとして却下するのか、特に、福岡高裁が、大阪入管で在留特別許可が認められた家族の入国申請記録に関心をしめし、 これらを含む文書提出命令を発するか否かとなりますので、裁判所の法務大臣への求意見は、大きな前進と評価できます。被控訴人側は、早期の結審を主張していますが、この間の攻防で福岡高裁が入国経緯の違法性の問題に関心を示してきていることが明らかになり、流れが変わってきました。本件行政訴訟は、4月中の結審がなくなり、今後入国経緯の違法性をめぐる証拠調べに裁判所が入るかどうかの重大な入り口に立っています。


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