コムスタカ―外国人と共に生きる会

中国残留孤児の再婚した妻の娘2家族7人の退去強制問題


3月31日の行政訴訟判決公判は、原告の請求を棄却する不当判決でした。
原告は、判決を不服として即日控訴しました。
中島 真一郎
2003年4月2日

1、はじめに

1990年代後半から、中国残留孤児の家族を装う「偽装日系人」の摘発が全国的に行われ、おそらくこれまで数千名の中国籍の子どもを含む家族が、入管の摘発により「不法・違法入国者」として退去強制されたり、自主出国してきました。そのなかで、関西のNGOを中心に就学中の子どもを入管施設に収容しない闘いや、養子や再婚した配偶者の子のケースで法務大臣へ在留特別許可を求める運動が展開されてきました。熊本県菊陽町の井上さんの家族のケースも、2001年11月5日の福岡入管の摘発により突然いなくなった2家族7名をすぐに探し、入管へ抗議に行った井上さん家族や学校の先生がいなければ、11月8日には退去強制されて、数多くある退去強制された入管法違反事件の一つとして終わっていました。収容された7名のうち4名が、異議申し立て放棄書に署名を拒否し踏みとどまったこと、弁護士が接見に入り一旦署名した3名も撤回し、全員が法務大臣への在留特別許可を申請しました。その申請は、2001年12月14日に法務大臣が裁決を不許可としたため、在留特別許可は認められませんでした。そのため7人は、法務大臣などを被告に裁決や退去強制令書発付処分等取消訴訟の行政訴訟を福岡地裁へ提訴しました。提訴後、2003年12月17日に福岡入管に再収容されていた7人のうち、母親二人と子ども4人は仮放免が認められ釈放されましたが、父親の井上浩一さんは仮放免が認められず、長崎県大村入国管理センターに身柄が移送され、収容され続けます。この訴訟は、中国残留孤児の再婚した配偶者の子のケースの訴訟として全国ではじめての訴訟(他に大阪地裁で2例の訴訟が後に提訴されます)となり、約1年5ヶ月の期間に7回の公判をへて2003年3月31日に判決公判を迎えました。

2、判決公判

2003年3月31日(月曜日)の判決公判には、70名を超える人々が傍聴に来てくれました。そして、提訴から結審までの期間のマスコミの関心が低かったので、福岡地裁前での報道陣の数の多さにも、びっくりさせられました。

同日午後1時10分に福岡地裁301法廷で、福岡地裁第3民事部の木村元昭裁判長は、退去強制令書発付処分取消等請求事件において、「1、原告の請求をいずれも棄却する。2、訴状費用は原告らの負担とする」との原告敗訴判決を言い渡しました。その瞬間、敗訴がわかると原告らは、凍りつくような沈黙の後、泣き続けました。長女の菊代さんは傍聴席にいた中国残留孤児井上鶴嗣さんに、「お父さん、離れたくない」と抱きつき、次女の由紀子さんは、母親の井上琴絵さんに抱きつき「お母さん、離れたくない」と泣きつづけました。そして、ショックで気を失い、体調悪化で裁判所から救急車で病院へ運ばれました。井上鶴嗣さんは、原告である娘や孫を「まだ終わったわけじゃない、まだ闘うんだ」と励ましました。この裁判で勝訴する以外、日本での在留を認めさせる道がない原告らにとって、敗訴もありうることも予想していたとはいえ、この裁判での勝訴への期待が大きかった分、わずか1分もない敗訴判決の言い渡しには言葉でいいあらわすことのできないショックをうけていました。

3、判決後の報告集会

同日午後1時50分から福岡弁護士会館3階ホールで、マスコミ関係者への記者会見と傍聴参加者への報告集会を開きました。原告側弁護団の主任弁護人である松井弁護士より、の判決文を速読して、「全く不当な判決だ。裁判所は法務大臣の裁量権の逸脱に対して、余りに臆病になりすぎている。井上鶴嗣さんや原告にとって家族がいかに大切であるかを裁判所は十分理解していない。控訴して争わざるを得ない。被告には、原告特に子どもたちの教育を受ける権利を侵害しないように、この裁判が確定するまで、決して原告らを収容しないでほしい。マスコミや支援者の方々にも、この家族が日本で一緒に暮らせるように世論の喚起と一層の支援をお願いしたい」との判決へのコメントがなされ、判決内容の概要の説明がおこなわれました。

中国残留孤児井上鶴嗣さんの「判決には納得できない、中国で家族と引き離された私は、人生の最後を家族と一緒に過ごしたいだけ,又再び娘や孫と引き離されたくない。まだあきらめるわけにはいかない」との発言がなされました。熊本の会の井野代表から今後の控訴審へむけて原告家族や裁判への支援が訴えられました。

支援者や参加者からの意見表明や質疑をへて、松井弁護士より、即日控訴していくことが表明されました。報告集会終了後、弁護団と支援者で福岡地裁に控訴状を提出し、即日控訴しました。また、控訴状の写しをもって、福岡入管審判部へいき、「控訴したことを伝え、原告のうち仮放免が認められている6名の母子について収容しないように」申し入れました。入管側は、「まだ入管としてどうするかは決めておらず、要望はお聞きした」との対応でした。また、「執行停止の申し立てをされるか」と入管側からきかれたので、弁護士は「早急に申し立て行う」と答えました。弁護団として、送還停止の執行停止が1審判決までしか認められていないため、改めて4月5日をめどに控訴人7人の執行停止の申し立てを行います。救急車で病院に運ばれた井上由紀子さんも、同日夕方には漸く落ち着き自宅に帰りました。敗訴判決にショックを受けていた子どもたちもしだいに落ち着き、「泣いていても勝てるわけではない、学校やアルバイトを普通にしていく」と話す子もいます。「仮放免」といういつ収容されるかわからない不安を抱えながら、原告家族にとって裁判を担うこと以上に「仕事をし、学校に行き、アルバイトをして普通に暮らしていく」こと自体が闘いです。

4、判決の概要について

(1)法務大臣の裁量権について この判決で、福岡地裁第3民事部は、法務大臣の裁量権について「在留特別許可を付与するか否かを判断する場合には、法務大臣に広範な裁量権があること」を認め、「付与しなかったことが違法となるのは、その判断が全く事実の基礎を欠き、又社会通念上著しく妥当性を欠くことがあきらかな場合に限られる」として、法務大臣の広範な裁量権を認めながら、違法になる場合の事由を限定しながらも違法となる場合があることを認めています。

(2)条約等違反の主張 国際条約に違反し、本件処分は違法との原告の主張には、「被告法務大臣が裁量権を逸脱・濫用したか判断するに当たって、本件裁決が直ちに条約違反となるものでなく」として、原告らの主張を斥けていますが、「我が国が上記条約を批准していることを判断の一事情として考慮することはありえる」ことは認めています。

(3)入国の経緯について 原告家族の入国の経緯については「在留特別許可を付与するか否かは、法務大臣の広範な裁量権の範囲にあり我が国の出入国管理行政秩序に対する影響等の大きさを考慮するため、違反行為の程度、内容についても当然考慮することができると解すべきである」、その上で、原告家族の入国経緯を具体的に検討すると「原告ニ家族の入国経緯については、我が国の出入国管理行政秩序を乱すものとして、重大な違法であるとの評価されるべきである」としています。

以上の判断を前提にすれば、「法務大臣には広範な裁量があり、原告の入国経緯の重大な違法性を評価すれば、その余の原告の主張を検討するまでもなく、原告の請求には理由がない」との判決を言い渡すことも可能であったようにも思えます。しかしながら、判決は、本件について具体的な事情を検討して、本件訴訟の原告主張の二つの柱である@原告に「定住者」の在留資格が付与されるべきこと、A子どもの福祉及び教育について、以下のような判断を示していずれも原告の主張を斥けています。実は、本件判決の意義は、原告側の主張を具体的に検討して、原告の主張を斥けている点にあります。

(4)原告に「定住者」の在留資格が付与されるべきこと 「原告らが、中国残留孤児の井上鶴嗣の継子であることや事実上の家族のつながりがあること」を認め、「それらの事情が在留特別許可が認められる有利な一事情として斟酌されることがあること」をみとめ、「また家族と一緒に暮らしたいという思いも何ら保護に値しないものではないこと」までは認めました。しかしながら、「上記のようなな事情があるからといって直ちに原告につき告示の規定を適用ないし類推適用して在留特別許可付与しなければならないということにはならない」としています。

ア、「入国経緯に違法がある外国人に、入国の経緯よりも日本人等との婚姻や子の養育などの身分や地位に基づき、年間5−6千人に在留特別許可が付与されている」との原告の主張に対して、判決は「婚姻を理由とする在留特別許可と本件のようにそもそも入管法別表第ニ及び告示に規定がない場合とを同視することはできないこと」

イ「インドシナな難民と同じように取り扱われるべき」との原告の主張については、「インドシナ難民については政治的な判断によってこれを告示に規定したものであり、中国残留孤児の継子がインドシナ難民に類するとして取り扱われるべきかについては極めて政治的な判断によるものであって、直ちに被告法務大臣の裁量権の範囲が限定されるものでないこと」、

ウ「本件は父母の婚姻時1歳と3歳で、日本人実子や6歳未満に認められる特別養子と同じに扱われるべき」との原告の主張については、判決は「幼少の継子と日本人実子又は日本人の特別養子との関係についても、異なる取り扱いをしても直ちに不合理なものとはいえないこと」、

エ、「1990年の定住者告示が日本人の配偶者である外国人の連れ子について、未婚・未成年を要件としていることは不合理な差別である」との原告の主張に対して、判決は「日本人の配偶者である外国人の連れ子について、未成年・未婚である場合に限って、『定住者』の在留資格が付与されていることも特段不合理なものといえない」と斥けています。

(5)子どもの福祉と教育について  「確かに原告子らは、本件における入国経緯の不法性について何ら責任がなく、原告親らの意思によって、それまで慣れ親しんだ中国を離れ、日本において学校生活を送ることになったにもかかわらず、その後日本語の会話能力を取得して友人などを得るに至った原告子らの努力は十分い理解できる」としながらも、「しかしながら、そもそも、原告子らの日本における生活は、原告子らの保護者である原告親らが作出した虚位の身分関係を基礎とした、不法残留という違法状態の上に築かれたものであって、そもそも法的保護に値しない」と子どもの福祉と教育の権利を否定し、「原告子らは、3−5年の期間ではいまだ本邦に定着性があるとまでいないこと、いまだ可塑性を有する年齢で中国に強制送還した後にも、中国に置いて学習することが不可能であるとはいえないことを考慮すると、原告子らに対して在留特別許可付与しないことが、被告法務大臣の裁量権を逸脱濫用したものであるということはできない」としています。

(6)その他の事情 原告親(井上菊代さんと、由紀子さん)の中国語の能力、中国における家族の生活、日本での定着性、井上鶴嗣・琴絵夫妻の扶養についても、判決は「原告親は中国に帰国しても、十分生活していけること」「日本での定着性は認められない」「扶養も実子により不可能でないこと」としています。

(7)結論 判決は、以上の検討をへて、「被告法務大臣が判断の基礎とした前記の各事情を考慮した上、原告らが、本邦に入国後は平穏な生活を送っていたことを考慮しても、原告らに在留特別許可を付与しないことが社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかということはできない」と原告の請求を棄却しました。

5、判決への批判と評価

2003年3月31日の福岡地裁民事3部の判決は、要約するとに「中国残留孤児の再婚した配偶者の子であるという身分や地位が在留特別許可の有利な事情の一つであること、原告ら家族に、事実上の家族関係という実態があること、入国後平穏にくらしていることなどを認めましたが、本件の具体的な事情を検討した上で、原告家族の入国経緯について重大な違法があったことなどをより重視し、法務大臣の裁量権を広く認めて、原告らに在留特別許可を付与しないことが社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかということまではできない」と原告の請求を斥けました。このように判決は、「法務大臣の裁量権を広く認め、入国の経緯の違法性と、原告の日本人の再婚した配偶者の子の地位や身分や家族としての実態があることなどを比較考慮して、前者を重視した結果、上記の結論に至った」との論理構成をとっています。 

原告は、この訴訟で「入国時の経緯について事実関係を認めた上で、それに至る事情については反論釈明しましたが、入国の経緯よりも、原告の地位や身分、家族としての実態があることを重視して判断すべき」と現在の在留特別許可の運用の実情に沿って主張してきました。そして、「原告に定住者の在留資格が付与されるべきこと」というその理由や根拠を示す原告の主張をことごとく斥けていますが、「不合理でない」とする理由の前に「直ちに」や「特段」とか記され、具体的なケースによっては、「不合理となりえる」ことがありうるような表現となっています。 この判決は、なぜ、本件原告らについて、入国の経緯の違法性がより重視されるのかについて説得力ある根拠が示されておらず、その実は、1990年の「定住者告示」(法務省令)に当てはまらない本件ケースについて、法務大臣の裁量権の濫用を認定することにしり込みして逃げた判決でもあります。この判決は、仮に「原告家族に在留資格を付与する判断を法務大臣がおこなっても、当然裁量権の濫用にならない」という判断を前提しており、この判決の論理構成でも裁判官の価値判断次第では、原告の請求を認める判決を出すことも可能です。むろん、そのような判決を福岡地裁の裁判官に導かせるに至らなかったことこそ、今後の課題です。

今後、福岡高裁の裁判官に「原告らに在留特別許可を付与しないことが、社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである」との判断を出させるため、定住者告示の問題、中国残留孤児の歴史的問題や政府の責任、インドシナ難民などとの類似性の証明などの立証して控訴審を戦うとともに、この問題への理解を広く世論に訴え、政府や国会へも働きかけ、現在の定住者告示を中国残留孤児の帰国家族に当てはめることをやめさせていく運動が必要です。

福岡地裁で第1審判決が言い渡された2003年3月31日は、、原告家族にとって、怒りと悲しみの日でした。中国残留孤児井上さん家族が、心から喜びと希望を見出せる日が来ることをめざして、今後ともがんばりましょう。


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