コムスタカ―外国人と共に生きる会

中国残留孤児の再婚した妻の娘2家族7人の退去強制問題


2005年3月7日の福岡高等裁判所逆転勝訴判決の意義と今後への影響
中島真一郎
2005年3月29日

1、 事件の概要 

元中国残留孤児井上鶴嗣さんの再婚した妻(井上琴絵さん)の娘二人の二家族7人(小中学生(当時)の子ども4人を含む)が、2001年11月5日に福岡入国管理局より摘発され、『日本人の実子でないのに実子を偽装して入国した』として、1996年と1998年の来日時の上陸許可が遡及して取り消される上陸許可取り消し処分を受け、入管施設に収容されました。娘二人は、井上鶴嗣さんの実子ではないが、再婚した妻の「連れ子」であり、家族としての実体があり、来日後平穏に暮らしてきていることなどを理由に法務大臣へ在留特別許可を求めましたが、2001年12月14日に法務大臣は不許可の裁定を行い、入国審査官は2家族7人に退去強制令書を発付しました。このため、7人は処分の取り消しを求めて、2001年12月25日に福岡地裁に行政訴訟を提訴しました。

2、第1審の行政訴訟の争点

第一審の福岡地裁では、本件処分の根拠となった1990年5月24日法務省告示第132号(いわゆる「定住者告示」)の違法性が問題となりました。この告示は、「定住者」の在留資格の要件として、「連れ子」の場合には、「未婚・未成年であること」、「普通養子」の場合には、「6歳未満であること」が要件となっています。

しかし、日本人の実子の場合にはこのような要件がなく、成人や既婚者でも「日本人配偶者等」の在留資格が認められ永住帰国が可能となっていること、この定住者告示でもインドシナ難民の養子には年齢制限がつけられていないことや、「連れ子」などの血縁関係のない家族についても、人道配慮条項で認められる規定があることと比べて、差別的取扱いががなされています。

定住者告示にみられる入管行政は、日本人の実子という「血のつながりの有無」で形式的選別し、家族の実体で判断しない血縁重視の基準で運営しています。とりわけ、このような基準を、血縁のない養父母に育てられ、戦前の日本政府の植民地政策により生み出され、戦後も長年日本政府から遺棄されたため、日本への永住帰国が遅れ、ようやく1980年代以降に本格化した中国残留邦人の呼び寄せ家族に適用することは、許されません。

第1審の福岡地裁では、本件処分が国際人権規約や子どもの権利条約など国際人権条約に違反すること、中国残留邦人の家族に定住者告示適用することの不当性や、定住者告示の差別性を主張し、そして、入国経緯の形式的違法性よりも、「連れ子」として家族の実態があること、入国後平穏に暮らしてきたこと、退去強制されると家族7人に重大な影響を与えることなどを重視しなかった本件処分は、法務大臣の裁量権を逸脱濫用した違法な処分であることを主張しました。

しかし、2003年3月31日福岡地方裁判所は、「原告の訴えを棄却する」敗訴判決を言い渡しました。原審判決は、原告が日本人と再婚した妻の「連れ子」とその家族であること、家族の実態があること、入国後平穏に暮らしてきたことなどは在留特別許可をあたえるかどうか判断する有利な事情となることを認めましたが、入国経緯に重大な違法性があると認定し、これを重視して原告の訴えを棄却しました。このため原告7人は2003年3月31日即日福岡高裁へ控訴しました。

3、福岡高等裁判所の控訴審の経緯

控訴審では、当初原審判決(有利な事情とみなされた日本人の「連れ子」であること、家族の実態があること、入国後平穏に暮らしていることよりも、不利に判断された入国経緯の違法性を重視して訴えを棄却した)の比較考量論を土台として、国際人権条約に違反すること、中国残留孤児の歴史性や日本政府の責任、そして、退去強制が与える深刻な被害、とくに子どもの権利などを重点として立証しようとしました。

しかし、福岡高裁の裁判官は、井上鶴嗣さんの再度の証人採用を認めただけで、2003年12月第三回口頭弁論で、次回で結審の意向を示しました。結審されれば敗訴必至と思えたため、弁護団として、控訴人の入国経緯に違法性がなかったことや、本件処分の先行処分である上陸許可取り消し処分の違憲・違法性の立証に重点を転換しました。

2004年2月23日の予定が取り消された第4回口頭弁論は同年10月18日に変更となり再開されました。そこでは、控訴人が証拠として提出した大阪のMBSと福岡のFBSが製作報道した「中国残留邦人の家族の退去強制問題」を録画した2種類のビデオテープが証拠採用され、法廷内で上映されました。

また、石塚裁判長は本件訴訟の争点として法務大臣の裁決に裁量権の濫用があったか否かということに加えて、上陸許可取り消し処分についても重要な争点であることを認めました。控訴審は同年12月15日第6回口頭弁論において、控訴人7人の意見陳述を行い結審し、判決言い渡しが2005年3月7日と決まりました。

4、逆転勝訴判決が言い渡される。

 2005年3月7日午後3時30分福岡高裁501法廷(大法廷)は、支援者やマスコミ関係者で満席となるなか、福岡高裁の裁判官3人が着席し、司法記者クラブの申し入れによる冒頭のテレビ撮影2分間をへて、判決の言い渡しが行われました。

昨年12月15日の第6回口頭弁論で結審したあと、新潟家庭裁判所長に転勤したはずの石塚裁判長が、裁判長席に座って判決文を読み上げたのには、新任の裁判長が代読するものとばかり思っていましたので、びっくりでした。代読の代読を職務権限で希望して石塚裁判長が判決を読みあげるためわざわざ福岡高裁へ出張してきたということになります。 石塚裁判長は、主文「1、原判決を取り消す」と読み上げました。傍聴席から、どよめきと拍手、感動して泣き出す人、法廷内は騒然となりました。勝訴・敗訴の垂れ幕を持って裁判所入り口のマスコミ関係者に知らせる役割の傍聴者は、勝訴の垂れ幕をもって、法廷を飛び出していきました。

石塚裁判長は、傍聴者に、さとすように「静かにしてください。判決文をこのあともつづきます。判決理由の要旨を15分ほど読み上げますので、静粛にして下さい。」といいました。「2、被控訴人法務大臣が平成13年12月14日付で、各控訴人対して平成13年法律第136号による改正前出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく控訴人らの異議の申し出は理由のない旨の採決をいずれも取り消す。

3、被控訴人福岡入国管理局主任審査官が平成13年12月17日付けで控訴人に対してした退去強制令書発付処分をいずれも取り消す。 

4、被控訴人法務大臣と控訴人らのそれぞれの間に生じた訴訟費用は、第1審。2審とも、同被控訴人の、被控訴人福岡入国管理局主任審査官と控訴人らのそれぞれに生じた訴訟費用は第1審、第2審ともに,同被控訴人のそれぞれの負担とする。」という判決を言い渡しました。

そして、判決文がA4 約30枚に比べて、判決骨子(A4 1枚)と判決要旨(A4 7枚)が、訴訟当事者には配布され、15分ほどかけて石塚裁判長は判決要旨を朗読したあと、閉廷となりました。刑事事件でもない行政訴訟で、司法記者クラブの要請があったとはいえ、1枚の判決骨子以外に詳細な判決要旨を訴訟当事者とマスコミに配布して、判決公判で読み上げるのは聞くのは、私にとって初めての経験でした。そのため、 いつもは、主文の読み上げだけで数分で終わる判決言い渡しが、約20分経過して閉廷しました。

5、高裁判決の論理構造

判決の論理構造は、第1審福岡高地裁判決(原審判決)の「入国時の違法性と在留特別許可を認める有利な事情」との比較考量論をそのまま踏襲しています。結論が異なったのは、原審判決が、「入国経緯の違法性が重大である」と判断して原告の請求を棄却したのに対して、控訴審判決は、「入国経緯の違法性は極めて重大なものと評価できない」とする一方、「実子と同様や実子以上の存在であることや日本政府の中国残留孤児の帰国が遅延した責任などの特有な事情があることや、家族の実態、子らが日本に定着していった経過、子らの福祉や教育、中国での生活の困難性など」の有利な事情を重く評価して、法務大臣の裁量権の範囲を逸脱又は濫用した違法があるとして原審判決を取り消しました。

6、法務大臣が、福岡高裁判決に対して上告断念を表明

2005年3月15日南野法務大臣は、以下のような上告断念のコメントを公表し、逆転勝訴となった3月7日の福岡高裁判決は、確定することになりました。上告期限が過ぎた3月22日に確定し、3月24日福岡入管熊本出張所で在留特別許可(在留資格証明書交付)により、定住者(1年)の在留資格が7名に交付されました。

「平成17年3月7日の福岡高等裁判判決に対する大臣コメント

平成17年3月15日  法務省

今月7日に福岡高裁において判決のあった中国残留孤児井上鶴嗣さんの家族である井上菊代さんほか6名の方に関する退去強制令書発付処分取り消し訴訟等請求控訴事件につき、上訴しないこととしました。

今回、今の決断をしましたのは、菊代さんが鶴嗣さんの実子以上の存在であったことなど、指摘した福岡高裁の判決の趣旨を踏まえ、このような本件についての特段の事情を総合し、上訴しないこととしたものです」

政府―法務省は、3月7日の福岡高裁で逆転敗訴した判決(訴訟費用はすべて被控訴人の負担となっていますから。政府―法務省の行った処分が違法であるという認定を受けた全面敗訴の判決)を、最高裁に上告した場合の世論の批判や、上告しても高裁判決をひっくり返すことが難しいこと、もし最高裁で確定したときの影響力の大きさ考慮して、最高裁への上告を断念して、高裁判決を確定させる「苦渋の選択」に追い込まれました。

7、 高裁判決が画期的である理由と他への影響について

(1)  行政相手の訴訟の勝訴率は2%以下、その行政訴訟のなかでも入管行政は、国際人権条約や憲法の人権規定より在留資格制度や法務大臣の裁量が優先される司法判断が定着し続けており、いわば「聖域」となっていました。特に、高等裁判所が「厚い壁」として存在して、実質的に入管行政は「不敗」を誇っていました。そのため、「裁判しても勝てない」と考えられ、多くの外国人があきらめて、退去強制に応じていました。福岡高裁判決は、「裁判しても、勝訴して、具体的に救済できる」ということを具体的に示しえたことが、画期的でした。入管行政にとっても、最終的には司法が守ってくれるという安心感で行われてきたあり方が、司法において処分が違法として取り消されることもあるという具体例が示されたことは、今後の入管行政に影響を与えていくと思います。

(2) 日本政府が批准している国際人権条約の精神や趣旨を遵守する義務が公務員にあること、在留特別許可を付与するか否かの判断するに当たって、被控訴人法務大臣は、国際人権条約(B規約や児童の権利条約)の精神やその趣旨を重要な要素として考慮しなければならないと明記したこと。

これまで裁判所は、在留特別許可の付与の判断に関して、これまで「在留資格制度の枠内である」とか、「法務大臣の広範な裁量権の下にある」ことを認め、外国人の人権よりも「取り締まり」を優先してきた入管行政を追認してきました。

司法が、「国際人権条約の精神と趣旨を尊重して判断しなければならない」という間接適用ではありますが、国際人権条約の精神と趣旨に基づく入管行政を義務付け、それを逸脱した場合には、裁量権の乱用・逸脱になるとして、処分を取り消したことは、入管行政に国際人権条約を具体的に適用する道を切り開きました。このことは、司法の場で、在留特別許可の付与に関する判断だけでなく、入管行政全般に関しても、国際人権条約を適用して判断できるという可能性を具体的に広げました。

(3)「過去の日本国の施策が遠因となり、その被害回復措置の遅れによって結果的に在留資格を取得できなくなってしまっている控訴人らの立場は、本件特有の事情として、特別在留許可の判断に当たって十分考慮されなければならない。」と日本政策の中国残留孤児政策の誤りやその責任を指摘したこと。

判決は、過去の日本政府の政策の誤りによって中国残留孤児問題が発生していること、 帰国の遅延の責任は、日本政府にあることをはっきりと指摘していますので、現在全国各地で闘われている中国残留日本人の国家賠償訴訟にも、大きな影響を与えていくことになると思います。

(4) 在留特別許可の判断にあたって、形式的な血縁関係により実子であるか否かで判断するのではなく、実子あるいは実子以上の家族関係が実体として存在している場合には、「このような家族関係は、日本国がその尊重義務を負う国際人権B規約に照らしても十分保護されなければならないものである」と判示したこと。

判決が、これまでの入管行政が、「定住者告示」の要件を形式的に判断していたことを批判し、国際人権B規約に照らして家族の実態を重視して判断すべきことを示したことは、在留特別許可の付与の判断にあたって、家族の結合権や子どもの権利を尊重し、家族の実体を重視する入管行政への転換を迫っていくことになります。直接的には、元中国残留日本人の「継子」「養子」家族の問題で、現在大阪高裁や大阪地裁で現在係争中の退去強制令書発付処分等取消訴訟や、法務大臣から委任された入国管理局長の在留特別許可の判断を待っているケースにも大きな影響を与えていくと思います。

8、福岡高裁判決の積み残した課題

 3月7日の福岡高裁判決は、画期的なものですが、以下の問題点と今後の課題も含んでいます。

(1)諸事情に照らすと、入国手続きにおける虚偽申請の違法性は極めて重大なものとまで評価できないとしながらも、入国経緯の違法性について「公証書の記載及び申請書に記載した身分関係がいずれも虚偽であることを認識しながえら、あえてその身分関係に基づいて本邦に入国しようとした下というべきである」と認定していること、

(2)第三者甲の「密告」による摘発という入管行政の実体にふれなかったこと。

(3)上陸許可取り消し処分を重要な争点と認めながら、その違憲―違法性の判断を回避したこと。

元中国残留孤児井上鶴嗣さんの再婚した妻の娘2家族7人の退去強制問題
最終報告――なぜ勝利できたのか

2005年4月15日  中島真一郎(コムスタカ―外国人と共に生きる会)

1、はじめに

 元中国残留孤児井上鶴嗣さんの家族の闘いの勝利を祝って、熊本県菊陽町で勝利祝賀集会が2005年3月27日に開かれました。

その場には、いろいろな運動経験や闘争経験のある参加者の方々からも、  「勝利で、終われる戦いを経験するのは初めて」とか、「本当に勝ったのは、久しぶり」。「勝利するって、こんなに感動的で楽しいものですね」という声が多く聞かれました。

 「運動や闘争は、敗北しつづけるもの、それでも抵抗するもの」ということが強固に常識化されているなかで、しかも原審敗訴判決後の絶望的状況から、国(法務省―入国管理局)を相手に劇的な勝利できたことは、画期的な出来事といってよいと思います。

 この祝賀集会参加者の一人から私に、「どうして、この闘いは勝利できたのか」という質問がありました。そのときは、私は「一言ではいえない」といってお答えしませんでした。別の方が、その方に「組織や権威やマスコミに頼らず、少数でも家族の思い大事にして、自立した運動ができたからよ」と答えてくれました。

「なぜ、勝利できたのか」という質問への答えは、この闘いを担った一人一人が、それぞれその答えを見出して、今後に活かしていってもらえればよいとお思います。

私に相談があった2001年11月19日から3年4ヶ月余り、渦中でこの闘いを担った者として、個人的な見解ですが、先の質問に以下、お答えしておきたいと思います。

2、なぜ勝利できたか

なぜ、勝利できたかは、結論的にいえば、控訴審で逆転勝訴判決を得られたからです。

裁判で勝利して、7人の日本での定住を実現するという目的を達成するという方針で望み、そのとおり勝ち取ることできました。

なぜ、勝ち取ることができたかについて、以下の必要条件の上に、十分条件があわさって実現できたと考えています。

 必要条件  問題の本質をとらえ、「水増し」に頼らず実体にあわせた運動で目的の実現をめざし、そのときの可能な条件下で、できることを一つ一つ積み重ねて目的に近づいていくことができたからです。

1、当事者7人及び井上鶴嗣さん家族の結束が崩れなかったこと、とりわけ仮放免という条件で暮らしながら、裁判を闘ってきた当事者7人(1年10ヶ月入管収容施設で収容された馬好平(井上浩一)さんを含む)が、国相手に闘い続けることができたこと。

2、 「2家族7人全員を日本に定住させたい」という当事者7人と井上鶴嗣さん家族の願いや意向に沿ってその目的を実現する為の支援運動が最後まで展開できたこと。

3、入管の処分理由である「日本人の実子を偽装した」という問題の本質を的確に捉え 定住者告示の差別性や元中国残留孤児問題へ歴史性を正面から掲げて裁判や運動したこと。

4、 2001年11月5日から12月17日の法務大臣の裁決(在留特別許可が不許可)までは、在留特別許可の取得をめざし、不許可通知のなされた同年12月17日以降は、行政訴訟で勝利して、7人の日本での定住化をめざすという目的を実現していく方針で、当事者7人と井上さん家族と支援団体及び弁護団が最後まで結束して取り組めたこと。

5、 以上の立場で、支援をよびかけ、共鳴してくれた方にはすべての人に開かれるとともに、以上の立場と異なる場合には、どのように協力的で、近い関係にある人からのアドバイスや呼びかけにも従うことをせず、「勝利への道」を誤らなかったこと

6、  マスコミには、特定の記者にお願いして取材してもらう関係を作らず、すべてのマスコミに公平に呼びかけや情報提供をするとともに、取材要請のあったマスコミには趣旨を確認して、了解できれば積極的に協力したこと。

 十分条件   福岡高裁での逆転勝訴を実現する

 2003年3月31日福岡地裁での敗訴判決以降、控訴審で逆転をめざし、原審の代理人であった松井弁護士が築いてくれた土台の上に、若手で意欲に満ちた大倉弁護士とベテランで福岡県弁護士会の国際委員会の活動を熱心に担われている大塚弁護士と、弁護士資格を持たないNGOの私の3名で控訴審途中から弁護団を形成し、弁護団と家族・支援者が協力しあって、事実の究明と調査などによる証拠を提出し立証を積み重ねたことで、逆転勝訴が、実現できました。

1、 元中国残留孤児井上鶴嗣さん家族と当事者2家族には、「実子」の家族と同様な家族の実態が存在することを裁判官へ印象付ける立証や証拠を提出し、この2家族を救済すべきだという心証を強く裁判官に形成することができたこと、

2、 2001年12月25日の提訴以降3年間余りの時間経過のなかで、中国残留日本人の国家賠償訴訟の提訴や、入管行政の変化、類似事例である元中国残留孤児の「連れ子」家族などの在留特別許可の取得事例、入管法改定を巡る国会の審議録など当初には存在しなかった有利で活用できる事例や証拠を的確に把握し、そのつど裁判所に提出できたこと。

3   福岡地裁の原審敗訴判決の比較考量論を土台に、国際人権条約の適用、中国残留孤児問題の歴史性や日本政府の責任、家族の結合権や呼び寄せ家族の国際比較など有利な事情の補充立証と、敗訴の要因であった入国経緯に重大な違法性があったという根拠を、反証を挙げて崩すことができ、裁判官に国相手に控訴人の勝訴判決が言い渡せる理屈や論理を提供できたこと。

 4、  高裁判決で逆転勝訴後、上告を断念させるために、2005年3月7日判決前に野党の国会議員の協力を得て、2005年2月下旬予算委員会で元中国残留孤児の「養子」「継子」とその家族の問題を質問してもらい、法務大臣の「個々の事情をくんで、人道的に配慮 している」という答弁を引き出し、福岡高裁判決前に、法務大臣や法務官僚らに井上さん家族の問題を印象付けることができたこと。

3、まとめ

控訴審での逆転勝訴という2005年3月7日福岡高裁判決の影響力は、この日を境に、入管法違反で摘発された2家族7人に対するマスコミの論調や世論は「犯罪者」扱いから、「救済されるべき人」へ一変させました。

この判決は、最高裁に上告係争中の在留資格のない難民や外国人の事件も「高裁での勝訴判決」をよりどころに退去強制処分を行っていた法務省を直撃し、3月15日の南野法務大臣の臨時記者会見による「上告断念」表明をもたらしていきます。

国の上告断念は、「本件処分が違法であった」と認定した高裁判決を国が認めたことを意味し、2005年3月7日の福岡高裁判決は確定した判例として、今後影響力を与えていきます。

今後、国(法務省)は、同様な元中国残留孤日本人の「継子」とその家族や「養子」とその家族の係争中の訴訟や在留許可申請中のケースについて、本件家族と同様の「定住者」の在留資格を付与していかなければならなくなります。

閣議決定されている「定住者告示」の問題も、元中国残留日本人の「継子」「養子」家族について、いずれ見直しをせざるを得なくなってくると思います。  


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