大村入国管理センターと移住労働者と共に生きるネットワーク九州との
第4回意見交換会の報告
中島真一郎(コムスタカ−外国人と共に生きる会)
2007年11月16日
1、はじめに
2004年9月、2005年10月、2006年11月に引き続き4回目となる大村入国管理センターと移住労働者と共に生きるネットワーク九州との意見交換会が、2007年11月14日(火)午後1時から開かれました。ネットワーク九州より12名(北九州市1名、福岡都市圏6名、熊本市3名、長崎県大村市2名 )が参加しました。大村入国管理センターより5名(総務課長、総務課係長、処遇部門の首席入国警備官、 処遇部門の統括入国警備官、企画管理・執行担当の職員)が出席しました。
最初に午後1時から10分間ほど施設視察時の諸注意などの説明があり、被収容者のいる3−4階は見学できませんでしたが、大村入国管理センターの1階・2階部分を統括入国警備官の案内で40分ほど施設見学をして、午後1時55分から3時5分まで意見交換会を2階会議室で行いました。その後、7人の被収容者(男性4人 女性3人)に分担して面会しました。
2004年の第1回目が、入国管理センターから、「ここは、退去強制令書が発付されてから退去強制されるまで留め置く施設で刑務所とはちがうこと、いかに被収容者の人権を尊重した施設や運営をしている」という説明に終始した印象がありました。また、2005年の2回目以降は、質問書(1施設の状況,2職員体制 3 被収容者の処遇 )を事前に提出する形式となり、入国管理センターが外国人の拘禁施設であることを前提に質問していましたので、それに対する回答も、一部回答できないという回答もありましたが大筋丁寧で、意見交換会も相当突っ込んだやり取りができました。
2007年の4回目となる今年は、入国管理センターが具体的に回答できる質問項目に絞り、事前に質問書((1収容施設及び被収容者の状況,2職員体制 3 被収容者の処遇 の26項目)を提出し、また9項目の要望書も事前に提出しました。
2、大村入国管理センターの収容状況について
これまでの意見交換会でも、大村入国管理センターは、収容定員800名と入管の収容施設としては日本最大規模ですが、昨年「廃止論」が出てきても不思議でないほどその機能を失ってきている印象を受けました。今年は、入管センター内部からも、施設の存在理由を「合理的」に説明できなくなり、「既に施設として存在しているから存続させなければならない」という本末転倒したあり方になっており、内部から「廃止論」や「撤退論」や「貸与論」がでてきても不思議ではない印象を受けました。
被収容者は2004年9月末300名、2005年10月末99名、2006年9月末119名、2007年9月末 133名(うち女性59人)でした。職員数は昨年度と同67名でした。
被収容者の国籍別内訳( ( )内は女性)は、中国82人(36人)、ベトナム18人(6人)、インドネシア12人(4人)、韓国11人(8人)、フイリピン 4人(2人)、その他6人(3人)で、中国籍が一番多くを占めていますが、その比率は低下しており、より多国籍化が進んでいます。 そして、全体の4割以上を女性が占めていることが特色です。 昨年と同様に、質問で世代別内訳を聞いたところ、世代別では、10歳代 1人(1人)、20歳代40人(15人)、30歳代44人(17人)、40歳代36人(18人)、50歳代以上12人(8人)でした。
入国管理センターは、旅券を持たないため、帰国準備のために領事館などから渡航書を発行してもらうまでの待機期間中収容されて退去強制される外国人を一時的に留めるための施設(平均収容期間は、3〜4週間程度)です。
大村入国管理センターで、これらの被収容者の98%が、管轄外(名古屋入管施設や東京入管施設)から移送されてきていることも明らかになりました。つまり、本来、西日本入国管理センターや東日本入国管理センターで収容すべき外国人を、それら施設の過剰を理由に大村入国管理センターまでわざわざ、移送し収容しています。
これは、これまで大村入国管理センターが受け入れていた主に中国からの集団送還者が近年ほぼなくなり、大村入国管理センターの担当領域である西日本(中国・四国・九州)在住の外国人の収容者が激減しているためです。(2007年9月末の非収容外国人は133名ですから、九州・中国、四国地方は3人以下しかいないことになります。) 大村入国管理センターの管轄内で収容すべき外国人がその時点の収容者の数名、年間40名以下(2006年1979人)しかいない現状は、その存在意義が問われます。
仮放免が許可されたのは、2004年5人、2005年5人、2006年15人、2007年1月―9月 31人と急速に増加していました。(2007年の仮放免許可者の多くは、ビルマ難民が占めているということでした)、2007年より仮放免許可者の事由別内訳が明らかになりました。2006年 出国準備 0人 病気療養 6名 長期収容 6名 その他 3名、2007年1―9月 出国準備 6人 病気療養 2名 長期収容 22名 その他 1名、長期収容を理由にする仮放免者が大幅に増えています。
2003年ごろまで、結核などの病気や帰国準備のための仮放免しか原則的に認めていなかった在り方から、1年程度の長期間収容されている難民申請者、裁判継続中の外国人にも仮放免を認める運用に代わってきたためと思われます。
平均収容期間は、2004年の25日、2005年26日、2006年23日と、2005年より3日間短縮していました。最長収容期間2005年1年、2006年 8ヶ月、2007年9月末現在 6ヶ月(但し、あくまで大村入国管理センターでの収容期間で、それ以前の東京入管などの収容施設の収容期間は含まれていない)ということでした。
6ヶ月以上の長期収容が2005年9月現在2名から、2006年9月現在5名、2007年9月末現在1名と減少していました。
国費送還者は、2004年16人、2005年11人、2006年10人、2007年1−9月8人 という回答でした。 予算の制約上、年間10人程度(※全国の個別の国費送還数は、2005年192人、2006年239人と増えています。)で推移しいています。
被収容者の自殺未遂(自傷行為)の件数が、2005年2件、2006年3件から2007年1−9月 14件と急増していました。(同一人物による軽度の自傷行為が繰り返された結果という入管側からの補足説明がありました。)
被収容者の苦情申立て制度の申告者は、2005年、2006年、2007年1−9月
該当者ゼロでした。( 1階の収容施設の身体検査や荷物検査を受ける最初の部屋には、注意事項などは、4ヶ国語(日本語・中国語・英語・ベトナム語)で掲示されていましたが、苦情申立制度の説明は中国語のみしかありませんでした。)
大村入国管理センターの被収容者への面会者の年間延べ人数は2004年412人、2005年391人でしたが、2006年は、1107人と急増しています。
(※ これは、長崎インターナショナル教会の柚之原牧師など長崎県内在住のキリスト教関係者が、被収容者との面会を積極的に行う活動の成果であり、九州外から
の面会者が増えているわけではありません。)
2007年4月1日から常勤医師の採用があり、被収容者の医療への不満は減少し、外部診療の数も減少してきており、改善されてきているという説明でした。
3、意見交換会
(1) 被収容者の98%が大村入国管理センターの管轄外から移送されている現状について、「移送コストや人員配置からみて無駄であり、廃止してもいのでは」という意見について
昨年は、入管職員の反論として「@全国に3箇所しか入国管理センターはなく、東日本と西日本の施設が過剰な収容状態にあるため、大村入国管理センターへ移送せざるを得ないこと、A不法滞在者5年間で半減」の目標を達成するため、被収容者は増加すると思われる。 B成田空港の近くに新しい収容施設が作られたが、それでも過剰収容状態にあること、C将来国際情勢の変化などにより大量の収容すべき外国人が発生するなどの有事の場合の備えとして必要」とのことでした。
今年は、98%管轄外という「衝撃的な数字」が明らかにされたこともあり、入管職員の反論も、「世間一般から見ると、合理的でないとおもえるかもしれないが、この問題は 本省(法務省)のレベルの問題である」「収容者は2006年に比べ、2007年は減少してきており、中国からの『集団密航者』などの送還者がほぼなくなってきた状況では今後とも減少していくと思われるが、将来何が起こるかわからないのでこの施設は必要」など、消極的な反論が目立ちました。
2004年から2008年までの5年間の「不法滞在者」半減計画が来年終了します。入管による外国人摘発が減少し、東日本地区などから移送されてくる外国人が減少すれば、大村入国管理センターの本来の管轄地域で、送還のため収容すべき外国人がほとんどいなくなっている現状では、大村入国管理センターの存在は必要ありません。東日本地区や西日本地区の収容施設の過剰が解消された後も、現在の約70名近くの職員を配置し、大村入国管理センターを維持するために外国人を大村まで移送し続けるという本末転倒なことが起こりかねません。
むしろ、大村入国管理センターの施設を、退去強制のための収容施設としては廃止し、難民や在留特別許可を得た外国人の定住化促進センターとして再活用するという私の提案の方が、今後説得力を持つような気がします。
(2) 長期収容者の人権問題、日本人配偶者等の家族がいる被収容者で、裁判係争中や在留特別許可の再審請求中のケース等については仮放免を積極的に認めるようにも求めました。
この問題に対しては、入国管理センター側の回答は、帰国準備や感染性の病気治療以外認めたことがないという2003年までの姿勢から、2005年は裁判係争中の長期収容者のケースがあることをはじめて認め、「仮放免はセンター所長の裁量といわれるが、東日本、西日本、大村の3つの入国管理センターで、バラツキがあるのも問題なので本省とも協議して一定の基準を示していく必要がある。ただ帰国したくないと言うケースは別にして、日本人配偶者や家族などがいるケースなどについては、仮放免の運用についてご意見を踏まえて本省とも協議して検討していきたい」という、抽象的ではありましたが前向きな回答でした。
2006年は、「病気やその他の事情など個々の案件の状況に基づいて総合的に判断している」という抽象的な回答でしたが、仮放免者が、2006年1月から9月まで9名と昨年の5名よりも増えていることや、長期収容者が5人で、最長期間が8ヶ月(但し、あくまで大村入国管理センターでの収容期間なので、他の施設での収容期間を含めるとより長期間となる)という回答でした。
2007年1−9月までの仮放免許可者は、31名と2006年の15名の倍以上に急増していました。ビルマ難民の仮放免許可者がその多くを占めるという説明でした。6ヶ月以上の長期収容者(大村入国管理センターに移送される前の他の収容施設の収容期間を含めるとより長期となる。)は1名と、2006年の5名より減少していました。実際に、6ヶ月以上の長期収容者について、裁判係争中で日本人配偶者が身元引受人となっているケースや、難民申請や難民不認定裁判係争中や、精神的疾患で収容が困難なケースについて、仮放免を認めてきており、具体的に運用の変化が見られます。
(3) 入国管理センターでの常勤医師の不在について、
大村入国管理センターには、2004年12月に常勤医師が退職して以降、常勤医が不在でし、週2回の非常勤医師(内科)が通ってきている状態が約2年近く続いていました。しかし、2007年4月1日より、常勤医師が、国家公務員として採用され、被収容者の外部診療の件数は 2005年 53件から、2006年81件へと増加していたのが、2007年は減少傾向にあるということでした。
4、要望書について
2005年の要望11項目、2006年は8項目の要望、2007年9項目の要望事項(その多くが昨年の要望事項と重なる)を提出しましたが、被収容者の申し出による宗教行事の実施や面会時間の延長問題など一部に運用面で配慮する姿勢は感じられましたが、要望事項のなかで、常勤医師の常駐は2007年度より実現したこと以外は、「応じられない」という回答でした。
その理由として、「保安上の理由」(万一の時の逃亡や事件に対応できない恐れがある)があげられ、大村入国管理センターから、他の入国管理センターなどに応援の職員をだし、職員数の減員が続くなかで、大村入国管理センターの運営が職員体制に余裕がなく、ぎりぎりの状態で運営している様子がうかがえました。
5、被収容者との面会
施設見学及び意見交換会終了後、参加者12名は、他の収容施設での収容期間を含めると比較的長期となる中国籍、ビルマ籍、ベトナム籍、タイ籍、フイリピン籍の7名の被収容者と面会しました。私は、関東地方在住の夫と子どもがいる中国籍の妻と面会しました。東日本入国管理センターで5ヶ月収容後に、大村入国管理センターでの収容6ヶ月目で、計11ヶ月となっており、夫が身元保証人となりこれまで2回仮放免申請をしているが、不許可となっており、「早く外に出て、夫や子どもと一緒に暮らしたい」というのが本人の希望でした。 このケースについては、今後、在留特別許可の再審(情願)を東京入国管理局長へ申立て、その後に3回目の仮放免許可申請を行うことになりました。
コメント 中島 真一郎
私にとって、2002年(国会議員の視察に同席)、2004年、2005年、2006年に続いて5回目の大村入国管理センターとの意見交換会でしたが、被収容者の状況の変化、大村入国管理センターや入管行政を取り巻く状況の変化や、NGOとの対応の変化がみられました。
現在の大村入国管理センターが被収容者の98%が、名古屋の入管施設や東京入管の収容施設など西日本地区や東日本地区など大村入国管理センターの管轄外から移送された外国人が占めています。
大村入国管理センターの現状は、主に東日本入国管理センターの「過剰」な被収容者の受け入れのための補助施設という性格を一層強めています。また、女性の被収容者の比率が増加(2001年8.7%、2002年16.7%、2003年23.1% 2004年20.7% 2005年45.8% 2006年 59.1%)、2007年9月末現在44%を女性が占めており、女性のための収容施設の性格を強めています。
2003年12月からの政府の「不法滞在者の5年間半減計画」により、関東地方を中心に、大量の外国人の摘発が進められ、東日本入国管理センターの入所人員は2003年1716人、2004年4810人、2005年7710人、2006年 8573人と約5倍に増加しています。一方、他の2箇所の2003年2005年の最近4年間の入所人員は、大村入国管理センター は、1384人、1387人、1540人、1979人、西日本入国管理センターは、2229人 2090人 2319人、2579人となっており、2倍以下の範囲で増加している程度です。
現在の政策的に強化されている主に東京入管内での在留資格のない外国人への摘発が平常に戻り、帰国費用を持たない外国人に対する国費送還の予算が増額され、長期収容者への仮放免の運用を弾力化すれば、管轄地域(九州・四国・中国)での大村入国管理センターでの外国人の収容はほとんど必要なくなります。
そして、大村入国管理センターの被収容者の98%が管轄外から移送されてきているという現実は、既にそのことを証明しています。
また、将来の国際情勢の変化による大量の難民の発生や収容すべき外国人が増大したときに備える施設として必要という「有事」に備えた必要論も、そうであるならば拘禁―収容施設としての機能から難民の保護や定住支援センターとしての機能に転換すべきものと思います。
日本の入管の発祥の地であり、日本の入管行政のシンボル(象徴)ともいうべき大村入国管理センターが、外国人収容施設から、日本での定住を希望する難民や定住希望者への教育・訓練センターへ転換することは、日本の入管行政が「管理と排除」から「保護と共生」への転換を象徴することにもなります。そして、これが決して「夢物語」ではなく、そう遠くない将来に現実化しうる施策であるという実感を得ることができました。