大村入国管理センターを収容施設から、

難民等の定住化促進センターとしての再活用を!

――長崎新聞 2010年10月17日の特集記事(報道部 北川 亮 記者)

ルポ 長崎 2010年「大村入管収容の外国人たち」のご紹介

 2010年11月2日 

 中島 眞一郎(コムスタカー外国人と共に生きる会)

 

長崎新聞が2010年10月17日〔日曜日〕の特集記事で、大村入国管理センターについて、

報道部の北川記者が取材して報道していました。(1面と 5面 の1ページと4分の1の紙面を使って)

タイトルは、「大村入管収容の外国人たち」、見出しには「犯罪者ではなく難民」「強制送還募る不安」

「難民政策の変革が急務」「管轄外移送者9割超 」「職業訓練施設に再活用」「難民認定に最短2年」

「身柄拘束人権団体など非難」の言葉が並ぶいままでにない被収容外国人の視点から掘り下げた

特集記事となっています。

内容は、毎週1回ほど被収容外国人と面会するなど支援活動を5年以上続けている長崎インターナショナル教会の

柚之原寛史牧師の活動を紹介しながら、大村入国管理センター

に、帰国を拒否して長期収容されている外国人の様子、難民認定の難しさ、仮放免申請、許可後の生活の大変さ、

同センターの収容状況(9月下旬 20人の男性外国人、2010年は9月末までに109人)や、同センターの抱える

問題などが書かれています。

 私にも北川記者から電話で取材が有り、「同センターは、収容者が、年間1900名ほどいたときもあつたが、2007年

1473人  2008年633人、2009年221人と減少しており、2008年からは施設運営の効率化を理由に女性外国人の

収容が停止され、男性の外国人だけとなっている。しかも、その収容されている外国人は、同センターの管轄外の関東地方や中部地方、

関西地方から移送されてきており、その比率は、2007年98%  2008年95%となっている。

以前は、他の東日本や西日本の入管センターが過剰収容のため移送していると説明されていたが、東日本や西日本の入管センターでも、

収容者数は減少しており、大村入国管理センターの施設を維持(同センターの職員数は 60名余り)するための移送が行われている。

同センターは収容施設としての存在意義を喪失しており、移送に伴う経費面でも無駄そのものであり行政仕分けの対象となっても

不思議ではなく、収容施設としては廃止すべきである、

そして、収容施設から難民など定住者を目指す外国人のための職業訓練や日本語教育などをする定住支援センターとして活用されるべきである、

入管発祥の地ともいえる大村入国管理センターが、収容施設から定住支援センターに転換することは、日本の外国人政策の転換を象徴するものとなる」

という趣旨の説明をしました。

実際のこの記事では、収容者数の変遷の数値など説明のあとに、同団体の中島 眞一郎代表「大村市に収容施設 をおく必要性は薄れている」と

存在意義を疑問視する ――と書かれているだけでした。

 ただ、そのあとで、07年4月から1年間、同センター所長 を勤めていた田平啓剛氏は、「日本の難民政策は変革を迫られている、

大村入管は北朝鮮脱北者など難民を対象に日本語や職業訓練を行う施設として再活用すべき」と話している  と言うコメントが

掲載されていました。

私とほぼ同様な考えが、法務省の入管の元職員が匿名でなく新聞紙上で名前を出してコメントしていることに正直驚かされるとともに、

法務省内部でもそれなりに浸透していることがわかり、時代が少しずつ動いている気がしました。

 

表 1   収容所別入所人員

 

総数

東日本

西日本

大村

2004年

82872462

48101315

2090799

1387348

2005

111033878

72442298

2319895

1540685

2006

13131(6075)

8573(3796)

2579(1110)

1979(1169)

2007

97813936

59192412

2389908

1473666

2008年

71282180

56821797

813317

63369

2009年

39671116

34221019

32497

221(0)

( )は女性であり、内数

出典 「HP 出入国管理統計表 2006年から200年  収容所別 収容事由別入所人員」より作成

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