第8回大村入国管理センターとの意見交換会の報告
2011年12月21日 中島 真一郎(コムスタカー外国人と共に生きる会)
1、 はじめに
大村入国管理センターと移住労働者と共に生きるネットワーク九州(以下、ネットワーク九州)との8回目の意見交換会が、2010年11月28日(月)午後1時より、大村入国管理センター 2F会議室で開かれました。 大村入国管理センター側から総務課長、総務係長、企画管理部門、処遇部門の統括審査官ら5名、NGO側として、ネットワーク九州より16名(長崎・大村・熊本、北九州、福岡、大分から)が参加しました。
最初に、大村入国管理センター内の施設見学(毎年1.2階のみで、被収容者がくらしている3階は見学できませんでしたが、今年も、運動場でバスケットやランニングをする被収容者5−6名を見ることができました。)を、20分ほどしました。
その後、事前に提出していた質問書や要望書への回答を含めて1時間半程度の意見交換会、そして、2ヶ月以上収容されている外国人13名との面会(複数人との面会を含む)を、参加者を3グループに分け、1グループ各15分ずつ3回に分けて行いました。
2 被収容者や収容施設の状況
2010年の7回目の意見交換会のときに比べて、施設見学も同じ施設内のコースを見て回り、昨年同様、あまり人のいる気配がしませんでしたが、医療関係のレントゲン室のレントゲンが数台設置されるなど設備が幾分充実しているように感じられました。
昨年の意見交換会の大村入国管理センターへの入所数に関する質問の回答は、2009年(9月末)44名、2010年(10月末)で20名でしたが、今年の回答は、「2011年(9月末)22名(全員男性)、被収容者の50%が九州外(広島や高松等中国四国地方を含む)からの移送でした。
国籍別では 「中国が3名、パキスタン3名、フイリピン3名、韓国2名、トルコ2名その他各1名の計9名(カメルーン、イラン、ケニア、ナイジェリア、ペルー、ブラジル、バングラデッシュ、ドミニカ、ベトナム)」
世代別では、「10歳代 0名、20歳代、7名、30歳代 5名、40歳代、8名 50歳代以上 2名 」でした。
※ 大村入国管理センターの被収容者数
2006年と比べて20分の1程度に激減 2003年1383人、2004年1387名、2005年1540名、2006年1979人、2007年1473人、2008年633人、2009年221人、2010年133人へと変遷しています。2003年から2006年まで増加し、これ以降は急減して、2010年は2006年と比べて10分の1以下へとなっています。2011年も2010年よりも減少して、100人程度となる見込みです。
(大村入国管理センターの『業務概況書』(平成21年11月)、及び法務省入国管理局のホームページより)
3、平均収容期間の増大と収容者の最長期間の増大
平均収容期間は、2009年 25日間、2010年は38日間、そして、2011年53.1日へと大幅に増加していました。最長収容期間は、8ヶ月(2008年9月末時点)、1年5ヶ月(2009年9月末時点)、1年2カ月(2010年10月末)と推移してきましたが、2年間(2011年9月末時点)と、昨年より8カ月間も長期化しています。
6カ月以上の長期収容者は、2009年5名、2010年10名、2011年9名と、昨年より1名減少していました。
また、2010年の質問から新たに、刑事罰を受け受刑後に刑務所から移送されている外国人数を質問したところ、2009年11名(うち6カ月以上が5名)、2010年13名(6カ月以上が7名)、2011年9名 (6か月以上 6名)でした。
受刑後に刑務所から大村入国管理センターへ移送されてくる外国人が管轄内外を問わず被収容者の半数程度を占めており、これら受刑後の被収容者が収容の長期化をもたらしている一因となっていると思われます。
4、仮放免事由の拡充 (職権による仮放免も行われる。)
仮放免許可者は、2005年5人、2006年15人、2007年36人、2008年7人、2009年5人、2010年 10人、 2011年1−9月 10人 へと推移しています。
事由別は2009年まで回答がありましたが、2010年以降は、「諸般の事情を考慮して仮放免しているので、個別の理由は答えられない」として明らかにされなくなりました。(2008年の仮放免許可7名のうち5名が長期収容、1名が出国準備、1名が病気療養でした。2009年1月−9月の5名のうち、行政訴訟係争中2名、病気療養1名、その他(人道配慮)2名となっています。)
2003年ごろまで、仮放免の事由で認められるのは、帰国準備と結核など病気療養だけでしたから、それに代わって、長期収容や行政訴訟係争中を事由とする仮放免が増加していました。今回の意見交換会では、入国管理センター側から、被収容者の申請や身元保証人の存在がなくても、入国管理センターの職権による仮放免もありうることが明らかになりました。(2010年に大村入国管理センターでも1例でているとのこと。)
「2010年10月からの法務省の方針変更により、個々の被収容者の状況を考慮して、仮放免の弾力的運用を行うようになってきたため」という説明でした。今回、入国管理センター側から移住労働者と共に生きるネットワーク九州へも、職権で仮放免をしたい被収容者に対する受入れへの協力要請がありました。但し、仮放免許可者は、就労が認められておらず、また、将来の在留特別許可など適法なビザ取得の可能性がなければ、身元保証人や受け入れ団体や個人が生活すべての面倒がみなければならず、そのような引受者が現れることは事実上困難です。
注) 職権による仮放免許可者数
移住労働者と連帯する全国ネットワークによる法務省への質問に対する回答(2011年11月24日)では、退去強制令書が発付された者の職権での仮放免許可件数は、2010年 275件、2011年1月から9月まで256件あります。2010年の1件を除いて、すべて身元保証人なし、収容期間も、2010年1年以上1件、2011年1月―9月の6月以上1件を除いて、すべて6月以内で、職権による仮放免が認められています。
5、国費送還者数
国費送還者も、2005年11名、2006年10名、2007人8名、2008年11名、2009年15人、2010年11名、2011年1月―9月10名でした。
2008年以降、入所者数が大幅に減少しているにもかかわらず、国費送還者数がほぼ10人前後と変化していないのは、大村入国管理センターとして、帰国旅費がないため送還できない外国人への国費送還を増加させ、長期の収容者をできるだけ出さない運用へ変化してきていることを示しています。なお、大村入国管理センターでは、「送還忌避者の強制送還」については、事実上行わない運用をしているという説明でした。
注)移住労働者と連帯する全国ネットワークによる法務省への質問に対する回答(2011年11月24日)では、国費送還された被収容者数 2010年 291人(うち 送還忌避者への強制送還 32名)
6、職員体制及び医療体制について、
2010年度の職員数は、56名(前年±0人)でしたが、2011年度は 49名と7名減員でした。法務省は、大村入国管理センターの職員数を少しづつ減少させていっています。
職員一人あたりの月平均残業時間も 2007年10時間程度から、2008年9時間程度、2009年9時間程度、2010年8時間程度、2011年1月―9月 7時間程度に減少していました。
また、医療スタッフは、医師1名が、2007年度途中より常駐、歯科医師1名、看護士(常勤)2名の体制及び、メンタルケアの専門家、臨床心理療法士1名によるカウンセリングが、月二回(午後)行われていることも昨年と同様でしたが、歯科医師の診療が火曜日と金曜日の週2日から週1日に減少しました。
7、被収容者の処遇
2008年から入浴時間(シャワー)が土曜日と日曜日も可能となり、これまでの平日午後2時から午後4時までが、毎日午後2時から午後4時までとかわりましたが、2010年6月からは、入浴時間が13時から16時30分まで拡大しました。それ以外は、回答から見る限り、昨年までと特に大きな変化はありませんでしたが、設備面で、2011年は、洗濯機と乾燥機を各1台追加設置したということでした。
2008年には、2007年度被収容者の直接経費約4231万円、被収容者一人当たり1日約1310円と回答がありましたが、2009年以降、2010年、2011年も「経費は多岐の項目にわたり算出が困難で、回答できない」と、回答がなされませんでした。
2009年からはじめて薬の常備体制や処方状況について質問しました。回答は、2008年と2009年の常備薬は、 診療所 161種類、警備室が11種類とでしたが、2010年は、常備薬200種類、市販薬11種類、2011年も2010年と同様という回答でした。
処方した薬は 診療所が、2008年1万6307個体→2009年15425固体→2010年14610個体、市販2386個体、2011年 処方 19988個、 市販 1787個という回答でした。2008年の回答では、警備室の常備薬での処方が、診療所での処方約半分を占め、被収容者が日常的に警備員に薬を要求して服用していることがうかがえましたが、2009年の回答は、診療所の処方は余り減少していませんが、警備室での処方が3分の1以下に大幅に減少していました。2010年は,警備室での処方の回答がなくなりましたが、診療所での処方の個体数が14610個体とあまり変化していないので、被収容者の薬の処方は、診療所での処方が大半を占めるようになっていることがうかがえます。これらは、2008年途中から医師が常駐するようになったことが影響していると思われます。2011年処方が前年約15000個から約2万個に増加しており、収容の長期化とともに薬の処方が増えていることがうかがえます。
8、面会者数
面会者の延べ人数は、2008年延べ1206名、2009年延べ1450名、2010年1362名と前年より88名減少していました。
注)被収容者との面会活動
大村入国管理センターには、面会に来る親族や友人がほとんどのぞめない被収容外国人が多いなかで、延べ人数で、1200人〜1400人ほどの面会者が存在することは、これらは地元大村在住の長崎インターナショナル教会の柚之原牧師や、毎月1回大村入国管理センターを訪問し、被収容者との面会をおこなっているマルセル神父など福岡県内や長崎県内カトリック教会の神父や長崎県内の支援者などの努力の結果と思われます。
9、宗教行事への参加
宗教上の行事を希望した被収容者の人数は、2008年1人、2009年1人(7回)2010年延べ21人(一人礼拝 4回、集団礼拝 4件)、2011年1月―9月 延べ40人(一人礼拝 ラマダン 一人、集団礼拝 9件)
2008年、2009年と1件だけだった大村入国管理センター内での宗教行事(礼拝など)に参加する被収容者も、2010年延べ21件、2011年1月−9月 延べ40件人と参加者が増えています。これらは、大村入国管理センター側が、被収容者の希望があれば礼拝などの宗教行事を認めるようになったこと長崎県内や福岡県内の宗教関係者(牧師や神父)の努力の結果です。
10、入国者収容所等視察委員会の視察後の結果について、
2010年の回答は、「入国者収容所等視察委員会には東日本と西日本地区があり、当センターは西日本地区入国者収容所等視察委員会の所管になっている。視察は2010年9月14日に実施された」というものでした。
2011年の回答は、2010年9月14日の委員会による視察実施を受けてなされた意見やそれに対する検討結果が 2011年10月25日の法務省のホームページで公開されていること、大村入国管理センターに対する意見は3つあり、そのうち2つは改善措置をすでにとったが残り1件は対応困難なため実施できない」という回答でした。
被収容者も、大村入国管理センター所長あての提案箱には、意見を投書する者はここ数年存在していませんが、入国者収容所等視察委員会への提案箱の方には 投書したり、視察の際の意見聴取の際に、意見を述べているようです。また、視察と被収容者かとの面会と意見聴取を踏まえた検討結果による改善提案に対して、法務省の入管の収容施設側もできるかぎり前向きに迅速に改善措置を取ろうとしていることがうかがえます。
意見交換会
1、収容施設としての存在意義を失う大村入国管理センター
2−3年目まで、大村入国管理センター入所者のその大半が東日本地区などの管轄外から移送されてくる状況(2008年9月末時点で98%、2009年9月末時点 95%)でしたが、2010年以降は、2010年50%、2011年 50%と半減しました。九州内だけでなく、中国地方や四国地方を含めた他の入国管理センターや入管の収容施設そして刑務所から移送されてくる外国人も、半分程度いるということでした。
日本社会の非正規滞在の外国人の減少傾向が続くなかで、大村入国管理センターも被収容者数が、2006年の約2000人から2011年 100人程度に大幅に減少し、平均1日20人程度(その約半数が長期収容者)しか存在しなくなっています。そのため、本来対象とする退去強制令書発付後3−4週間で帰国していく被収容者が大幅に減り、
収容外国人のうち刑罰法令違反者が占める比率増加し、刑務所などの受刑後(2011年1月―9月 9名(うち6月以上の被収容者 6名))に管轄内及び管轄外から大村入国管理センターへ移送されて、退去強制を拒否して収容が長期化している外国人が増えているためと思われます。
つまり、大村入国管理センターは、「退去強制令書が発付された外国人が帰国できるようになるための旅券や渡航証等が発給され、退去強制されるまでの3週間や4週間を収容するための施設」という本来のあり方から、「外国人男性専用で、刑罰法令違反者として受刑後に移送され、退去強制を拒否して収容が長期化する外国人のための収容施設へ」とその性格が変化してきています。
2009年度、2010年度の職員総数は、同じ56名で、「交代制の勤務で、この人員は最低限必要」という回答でしたが、2011年は、7名減員の49名となっていました。また、関連質問に対して「当面、女性の被収容者を受けいれる予定はないこと」との回答が入国管理センター側からありました。
2006年の約2000人と比べて、2011年 約100人程度と20分の1程度に大幅に減少している状況でも、定員800名の規模を誇る施設を維持管理していくための50名近く職員が必要とされています。
本省(法務省)は、大村入国管理センターを、「現状維持」しながら、少しづつ大村入国管理センターの職員総数を減少させ、その機能を縮小させていくのか、それとも、大村入国管理センターの在り方を 抜本的に見直すのか岐路に立っています。
2、脱北者9名の保護について、
2008年以降から、収容施設としての大村入国管理センターの存在意義を議論していますが、今回は、2011年7月から8月にかけて、大村入国管理センター で保護された脱北者9名の問題について議論しました。
大村入国管理センターとしてこの問題については、「上陸許可、一時庇護許可の指定住所地として、大村入国管理センターが脱北者9名を受け入れたこと、収容棟以外施設内で保護したこと、保安上の理由で外出、面会、差し入れを認めなかったこと」等の事実関係は認めましたが、それ以外は、「本件に関して、これ以上コメントできない」という回答しかありませんでした。
2011年9月14日から10月4日韓国へ移送されるまで約3週間、大村入国管理センターは、仮上陸許可者、一時庇護許可者である適法な外国人9名(脱北者9名)を収容ではなく、保護したという事実は、大村入国管理センターが適法な外国人のための保護施設として使えることを示しました。そして、今後、朝鮮半島情勢の変化によっては、今回のような漂着民として日本へ来る者や、あるいは難民として日本へのがれてくる者が増大してくることが予想されます。これに対する対応についての質問に関しては、 昨年と同様に、「本省の判断となる政策レベルの問題で回答できない。」という姿勢は変わりませんでした。
2009年まで「東アジアの状況がどうなるのか不明で、必要となるときも来る」等という存続理由の反論が、2010年は、砲撃事件など朝鮮半島の危機が現実化し、2011年は、脱北者9名の日本への漂着がおきただけに、こちらの以下のような主張の方が説得力をもったように思えました。
「もし、万が一の事態が起きたら、その時日本へ来るのは、大量の避難民や難民で、必要とされるのは、入管法違法者の退去強制するための収容施設ではなく、避難民や難民らの保護施設であること」、「法務省の施設のなかで、朝鮮半島に近く、長崎空港がすぐ近くにあり、800名(過去、同センターで最大時、在日韓国・朝鮮人を2000名収容したことがあることを教えてくれました。)が収容可能で、給食設備や医療施設や医療スタッフがそろっており、建物以外にも広大なグランドや敷地あることから、難民キャンプとして最適であること」
現状や将来的にも、外国人収容施設としての大村入国管理センターの存在意義そのものが失われてきており、収容施設としては、その役割を終えたとして廃止し、難民の日本での定住化のための日本語や職業や生活習慣などの教育や訓練を受ける「定住化促進センター」として再活用していくという提案が、「夢物語」ではなく、法務省内部にも浸透してきており、より現実味を帯びてきています。
そして一気にそこまで転換できなくても、当面、一部収容施設として機能を残し、他の施設を、仮放免許可者、一時庇護者、難民申請者の保護施設、あるいは、難民などの外国人の定住化促進センターとしての機能に転換させ、収容機能と併用して活用していくあり方も、検討されるべきであると思います。
注) 2011年12月18日 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金正日(キムジョンイル)総書記が急死し、朝鮮半島情勢が一層不安定化する可能性が強まっています。また、以下の2011年12月25日共同通信の配信記事によると、「日本政府も、北朝鮮からの大量の難民の流入に備えた対策の検討に入った」と報じられています。
「政府は北朝鮮の金正日総書記死去を受け、同国からの大量難民流入を想定した対策の検討に入った。難民の一時保護などで日本海側の自治体の協力を得るため事前協議を進め、受け入れが可能な施設を選定。朝鮮半島が不安定化した場合の韓国在留邦人輸送に備え、米軍との連携緊密化を図る。政府関係者が24日明らかにした。」
http://www.47news.jp/news/