コムスタカ―外国人と共に生きる会

日比国際児問題


日比国際児の認知訴訟

東京地裁判決の持つ意味

中島真一郎(コムスタカ―外国人と共に生きる会)

2001年12月6日


日本に住所も居所もない日比国際児(日本人男性とフイリピン女性の間に生まれた子 ジャパニーズ・フイリピーノ・チルドレン JFC)の認知訴訟で、交渉や調停、認知訴訟にも一切応じようとしない男性に初めて東京地裁で子の認知を認容する判決がでました。


日本国外で生まれ一度も日本に住所も居所もない日比国際児の認知訴訟は、人事訴訟手続法の規定により、相手男性の住所地の管轄の裁判所でなく、東京地裁でしか、提訴できません。

フイリピンのNGOバテイスセンター・フォー・ウイメンから依頼を受け熊本のNGO コムスタカ―外国人と共に生きる会で担当している岡山県内在住の男性を相手とする日比国際児の認知訴訟に、本日(2001年10月24日)東京地裁で認知を認容する判決が言い渡されました。

一切の交渉を拒否されていたため、調停を経由せず2001年1月15日東京地裁に提訴したところ、東京地裁は調停前置主義の例外として受理しました。東京地裁での認知訴訟に相手男性はこれまでの4回の公判に1回も出席しなかったため、母子がフイリピンから来日することなく、フイリピン式の婚姻証明書、同居していた時の写真、母子のABO式の血液型の証明書や母親の本人であることを証明する宣誓供述書などの証拠提出のみで9月19日結審し、10月24日に東京地裁で子の認知を認める判決が言い渡されました。そして、被告側が控訴しなかったため、11月8日に確定しました。

このケースは、フイリピン方式での婚姻届を提出しておきながら、一切の交渉や調停や認知訴訟にも応じようとしない日本人男性に対しても、子の認知が母子の来日なしで日本の司法制度で救済できることを示す最初の先例としての意義を持っています。

※ 日比国際児の呼称の使用について

日本人とフイリピン人の間に生まれた子ども(ジャパニーズ・フイリピン・チルドレン)の呼称について、従来からマスコミでは「日比混血児」との呼称が使用されてきています。「混血児」は、「純血児」との対比で使われており差別的表現と思います。

コムスタカ-外国人と共に生きる会は、1995年11月のフイリピン人母子を招いた集会から、「日比混血児」の呼称ではなく、国際結婚から生まれ、父と母の異なる両国を結びつける意味をこめて「日比国際児」の呼称を使用し、全国各地のNGOやマスコミにおいても、「日比混血児」にかわって「日比国際児」が使用されてきています。

本件の提訴に至る事実経過

そもそも本件は、1990年から1991年にかけて岡山県内でエンターテイナーとして働きに来ていた原告の法定代理人(子の母)と交際していた被告がフイリピンへいき、1991年6月に婚姻し、3ヶ月ほどフイリピンで一緒に暮らしたのち日本へ帰国しました。被告は、その後もたびたびフイリピン訪問し、原告の法定代理人(子の母 1965年9月生)は、1992年4月に原告(男子)をフイリピンで出産しました。しかし、原告の出産後2ヶ月をすぎた1992年6月頃から被告は連絡を絶って、妻子の養育を放棄してしまいます。

1997年4月フイリピンのNGO バテイスセンター・フォー・ウイメンへ相談があり、被告の本籍地が九州内であったことから熊本の『コムスタカ―外国人と共に生きる会』に依頼がありました。被告とは、1997年に手紙をだしましたが、一度電話で「彼女(原告の法定代理人)とのことは、終わっている。いまさら話を蒸し返されてもこまる。子どもの認知も養育費の支払いにも応じる気はない。今後一切かかわってほしくない」といわれて一方的に電話を切られました。以後、被告とは連絡もとれなくなり、交渉もできない状態となってしまいます。

本件は、任意の交渉も家庭裁判所での調停での解決も期待できず、認知訴訟を起こしてでも争わないと解決できないケースと考えざるを得ませんでした。しかし、この時期別件の子の認知訴訟の東京地裁への移送決定をめぐる裁判管轄問題が争われており、その成り行きを見守るため、しばらく保留状態とせざるを得ませんでした。そして、東京地裁への移送決定をめぐる最高裁判所での特別抗告の棄却により、日本に住所のない日比国際児の認知訴訟は東京地裁でしか提訴できないことが1998年11月に確定しました。その後も1999年から2000年にかけて、被告に何度が手紙をだしましたが、反応がありませんでした。そのため、原告の法定代理人の意思を確認して、東京地裁への子の認知訴訟を提訴することになり、2001年1月15日に提訴に至りました。

本件判決の意義

被告と原告の法定代理人の間で法的に有効な婚姻届がフイリピンでは提出されており、両親が婚姻後に出生した原告は、被告がフイリピンの日本大使館あるいは日本の本籍地の自治体に原告の法定代理人(母親)との婚姻届と原告の出生届を出生から三ヶ月以内に国籍留保手続きをして提出すれば,原告は日本国籍を取得することができたケースでした。

原告が日本国籍を取得できず婚外子となり、日本人父親に対して認知請求をせざるを得ないのは、すべて日本人父親である被告が、夫や父親としての婚姻届や子の出生届を日本大使館に提出せず国籍留保手続きをとらなかったことに起因しており、原告たる子に一切の責任はありません。

住所や居所が日本に在る日本人父親と外国籍の母親から生まれた国際児の認知訴訟が、人事訴訟手続法により、子の住所地の裁判所に専属管轄があるとされ、また日本国外在住の父親を被告とする場合などは、認知訴訟を子の住所地にある裁判所で提訴することも認められています。しかるに,被告ような無責任な日本人父親により日本国籍を取得できず住所も居所も日本になくフイリピンで暮らしている日比国際児の認知訴訟は、人事訴訟手続法などにより東京地裁に提訴しなければならないとされています。その上、養育費の請求等は被告の住所地のある家庭裁判所に申し立てしなければならないとされており、さらに、母子が来日しての法廷での証言やDNA鑑定の実施などは、権利の救済を求める原告に、経済的にも時間的にも多重の負担が強いられています。そのため、相手男性の所在が判明しても、救済を求めることができず、泣き寝入りを強いられている日比国際児が数多くいます。

無責任な被告のような日本人男性により、日本国籍を取得できず養育責任も放棄され、住所も居所も日本になくフイリピンで暮らしている日比国際児が数千人とも数万人ともいわれるほど存在し,その数は今後とも増えつづけています。

被告は交渉も調停への出席の意向も拒否し、本件認知訴訟においても、答弁書の提出も,出席もしようとしませんでした。このような被告に対しては、フイリピン在住の原告及び法定代理人の来日による法廷への出席なしに原告側の提出した証拠などに基づいて、認知を認める判決を言い渡した本件判決は、日比国際児を今後救済していくための先例となる意味でも、また子どもの権利条約を批准している日本で子の権利保護の観点からも画期的な意義をもっています。

 参考資料1 日本に住所のない日比国際児のこれまでの認知訴訟の事例紹介

日本に住所も居所もない日比国際児の認知訴訟が、日本の裁判所で提訴されたケースは本音を含めてこれまで5例あります。最初が、福岡のアジアに生きる会が支援したケースで、家裁での調停不成立後、福岡地裁に1996年5月に提訴されました。そして、相手男性も裁判に出頭し、自分の子であることを否認したため、フイリピン人母子の来日によるDNA鑑定の結果、父親であるとの鑑定結果が出て、和解により解決となりました。(裁判所の管轄の問題は、裁判所も、双方の代理人も人事訴訟手続法の規定に気がつかず、相手男性の住所地の裁判所で行われ,1997年3月和解として解決しました)

2例目が、札幌のNGO SPR(在日外国人の人権を守る会)が支援した北海道在住の男性のケースで、家裁での調停不調後、札幌地裁に提訴しましたが、人事訴訟手続法の規定により東京地裁へ移送され、1997年に東京地裁で争われることになりました。このケースは依頼人であるフイリピン女性が1998年に訴訟を途中で取り下げたため、解決には至りませんでした。

3例目は、熊本のコムスタカ―外国人と共に生きる会で取組んだ大分県内の男性のケースで、大分家裁での調停にも相手男性が出席してこなかったため、調停を取り下げ大分地裁に1998年1月に子の認知訴訟を提訴しました。しかし、大分地裁は1998年5月人事訴訟手続法の規定を理由に東京地裁に移送決定がなされました。

この決定に抗告を福岡高裁にしましたが棄却され、そして、最高裁への特別抗告をして争いました。しかし、最高裁は、1998年11月に「いかなる裁判所において裁判を受けるべきかの裁判所の組織・権限・審級等については、憲法81条(違憲立法審査権)の規定するところを除いて、立法政策の問題」として棄却し、日本に住所も居所もない日比国際児の認知訴訟は東京地裁でしか争えないことが確定してしまいました。そして、このケースは東京地裁に移送されて争われ、最終的に相手男性が子の認知と養育費を支払うことで和解する意向を示したため、フイリピン人母子が来日することなく和解により東京地裁での最初の解決事例となりました。

4例目が福岡のアジア女性センターに相談のあった愛知県内在住の男性のケースが、家裁での調停不調後、2001年東京地裁に認知訴訟が提訴されました。この訴訟は相手男性も出席し、フイリピンから子どもを来日させDNA鑑定を行い父親であることが証明されましたが、相手男性が以後の公判を出頭せず、10月1日判決(1、原告が被告の子であることを認知する。2、訴訟費用は被告の負担とする)が言い渡され、10月下旬確定しました。


戻る