日比国際児の認知と養育費問題の
司法手続きによる解決の現状と課題
中島 真一郎
1、はじめに
数万人以上といわれる、日本人男性とフィリピン人女性との間に生まれた子どもたち、JFC(ジャパニーズ・フイリピーノ・チルドレン─日比国際児)が、父親から認知や養育費も受けられずフィリピンで苦しい生活をしています。日比国際児の両親の多くは、日本人男性が観光や仕事等でフィリピンにいった際に、あるいは、フィリピン女性がエンターテイナーとして日本で働いている際に知り合っています。その多くが、結婚の約束をしたり、あるいは結婚しながらも日本人男性が子どもの出生後連絡を絶ってしまうケースです。日比国際児問題は日本への移住労働者の増大や国際結婚の増大を背景に起きてきていますが、今後日本とフィリピンに限らず、日本とタイや日本と中国などの国際児の問題が次々とおきてくることが予想されます。このような国際児の問題は、日本人男性の無責任さはむろんですが、それだけにとどまらずその無責任さを容認している日本社会による外国人女性や子どもに対する国際的人権侵害といえます。
1988年に設立されたフィリピンのバティスセンターは、数多くの日比国際児の相談を受け、父親探しや子どもたちの教育・医療支援活動などを行っています。しかしながら、2003年10月現在までなんらかの父親からの援助が受けられるようになった日比国際児はわずかにすぎず、その解決内容も任意交渉によるものが大半で、日本式の子の認知なしの養育費のみが多く、その金額も少ないものが多いのが実情です。 私たち「コムスタカ-外国人と共に生き会」も、日本に働きに来ているフィリピン人の母親からの直接依頼とバティスセンターを通じた依頼を含めて、これまで41件の日比国際児の相談に取り組み、現時点(2003年10月末)で21件が解決にいたっています。日比国際児の認知と養育費の問題の解決を、任意交渉だけなく家庭裁判所の養育費などの調停・審判や地方裁判所の認知訴訟など司法的手段を通じても行ってきた経験から、その現状と課題について、以下報告します。
2、「コムスタカ―外国人と共に生きる会」とは
1985年に起きた売春強要や契約違反により助けを求めてきたフイリピン人女性の救援活動をきっかけとして、アジアから働きに来る女性の抱えるさまざまな問題に対して、キリスト者や市民の立場から手をさしのべる援護活動をめざして「滞日アジア女性の問題を考える会」が1985年9月に結成されました。当初は、エンターテイナーとして働きに来ているフィリピン人女性からの相談は、売春強要、賃金未払い、契約違反等の労働条件をめぐるものが多かったのですが、移住労働者の在日期間の長期化や定住化の動きに対応して、相談内容も労働条件以外に、研修生問題や結婚・離婚、医療・社会保障、子どもの親権・認知・養育・教育等多岐にわたるようになりました。また相談に来る外国人もフィリピン人以外にもペルー人や中国人やタイ人やパキスタン人等多国籍化してきました。そこで、会の名称が活動の実態にそぐわなくなったため、「日本に居住し、あるいは、働きに来る外国人の人権を確立し、外国人との共存をめざす」ことを目的として、1993年4月より「コムスタカ-外国人と共に生きる会」に改称して今日にいたっています。 結成時から、熊本市内にある手取カトリック教会を連絡先に、在日外国人からの人権相談の他に日本語教室、フィリピンを訪問して行うワークショップ、フイリピンの子どもたちへの奨学基金制度の創設や、アジアへの理解を深める映画上映会や講演会や学習会等の啓蒙活動に取り組んでいます。現在は、移住労働者の国際結婚の相談、夫の暴力から逃れてくる子どもを連れた外国人女性からの相談、日比国際児の認知や養育費などの相談が増えています。
3、これまでの日比国際児問題への取組み報告 ここで取り上げる日比国際児問題とは、日本人男性とフィリピン人女性の間に生まれて、日本に住所や居所もなくフィリピンで暮らし、日本人父親に対して、日本式の子の認知または養育費等の請求の相談です。日本式の子の認知または養育費等の請求を日本の裁判所で司法手続による解決をめざす場合に、日本に住所あるいは居所のある国際児の場合には、日本に住所のある日本国籍の子の場合と同等に扱われますが、日本に住所あるいは居所のない国際児の場合には、その救済を阻む様々な壁が司法手続上も存在しています。 これまで依頼を受けて取り組んだ日比国際児問題は、2003年10月末現在41件(うちフィリピンのNGOバテイスセンターからの依頼が39件)です。解決事例が21件、取下げ1件、交渉準備中 9件 、未解決事例10件です。
依頼されたケースの解決状況報告(2003年10月31日現在)
1、 解決事例 21件
A 子の日本式認知の有無による内訳
1-1 子の日本式認知を得たケース 11件
そのうち任意交渉4件 調停5件 認知訴訟2件
1-2 フィリピン人妻の婚姻の報告的届出により国籍のない婚内子となったケース 2件
1-3当初から子が日本国籍のある婚内子であったケース 3件
1-4 養育費のみで日本式の認知を得ないケース 5件
B 養育費の継続状況についての内訳
2−1 養育費などが一括分割で支払済のケース5件
内訳 調停による2件、任意交渉3件
2−2 養育費の支払いが継続中のケース 14件
ア、認知訴訟によるもの2件(うち認知訴訟中の和解によるもの1件)、
イ、調停によるもの5件、うち養育費の審判へ移行後調停に戻って合意解決が2例
ウ 任意交渉による7件
但し、継続中の14件のうち、1件の父親が途中で失踪し行方不明となっています。また、4件の養育費の支払いが途中から止まっており、交渉中です。
2−3 子の日本式の認知のみの解決 1件
2−4 相手方との連絡が取れ、養育費の送金が再開された 1件
2、依頼の取り下げ 1件
2-1
相手側が依頼人に送金するなどして依頼が取り下げられた。
3、交渉準備中 9件 (2002年度―2003年度新規依頼分)
3−1 相手男性の所在の確認ができ、任意交渉中 1件
3−2 調停準備中 3件
3−3 相手男性の所在調査中 4件
4、未解決事例 10件
4-1父親の所在不明で交渉不能なため解決できない 10件
4、家庭裁判所の調停・審判制度や地方裁判所での認知訴訟など司法的救済手段を行使する場合の現状と課題
これまで依頼を受けて取り組んだケースは、すでに日本人父親が、何らかの事情で子の養育の意思を放棄しているケースがほとんどですから、父親の日本人男性と交渉しても、双方が合意して解決できる場合は少なく、交渉を拒否されるか、依頼人のフィリピン人母親に働きかけて依頼を取り下げさせるなど、交渉だけでは解決に導くことが困難です。任意交渉だけしか手段を持たない限り、相手男性の意向に応じながら説得するしかなく、その解決には大きな限界を持ちます。そこで、依頼人のフィリピン人母親の要求を実現していくには家庭裁判所での調停・審判や、地方裁判所での子の認知訴訟など司法手続きによる救済方法を通じて解決していく必要があります。その場合の最大の問題は、フィリピン人母子が日本に住所がないため、弁護士を代理人として依頼せざるをえませんが、現実にフィリピンで困窮しているフィリピン人母子から、裁判費用や弁護士への着手金や報酬などを請求することができません。また、調停や審判、訴訟でも、原則として申立人や原告のフィリピン人母子の来日が必要となり、その来日および滞在費用をどうするかという問題があります。さらには、相手男性が、「自分の子である」ことを否定した場合に、父子関係を確定するため大学の法医学教室に依頼したDNA鑑定が行われますが、以前は裁判所が大学の法医学教室にDNA鑑定を依頼していたため、その費用が30−40万円もかかりました。その上にそのような経費をかけて、最終的に解決できたとして、相手男性からそれに見合う解決金や養育費などを確保できる可能性が不透明でした。これらの費用の問題が、実は日比国際児の養育費や子の認知の請求の司法的解決を阻む最大の壁でした。
当初は、集会やキャンペーンなどで広くカンパを募り、それでまかなっていましたが、そのような方法はすぐに資金が不足し行き詰りました。そこで、調停申立てや子の認知訴訟提訴のための必要書類の手配や翻訳文作りなどの準備をコムスタカ−外国人と共に生きる会で準備し、弁護士には、実費分程度をコムスタカ−外国人と共に生きる会で立て替えて、解決後に相手男性の支払う養育費や解決金のなかから一定比率を報酬として支払う、いわば成功報酬方式で協力してくれる弁護士を見出し、代理人として引き受けてもらいました。弁護士への費用や報酬問題を上記の条件で協力してくれる弁護士を見出すことで解決できても、ケースによっては、フィリピンからの母子の来日費用・滞在費用やDNA鑑定費用をコムスタカ―外国人と共に生きる会で負担するリスクを負うことになるという問題があります。その費用負担問題については、相手男性が父子関係証明のためDNA鑑定を要求する場合には、母子の来日費用と滞在費用およびDNA鑑定費用を相手男性に負担させることで解決してきました。そして、DNA鑑定については大学病院の法医学教室でなくとも民間会社のDNA鑑定結果を裁判所が証拠として採用するようになり、その費用が半分以下か、3分の1以下になりました。数例の解決事例を積み重ねるうちに、母子の来日が最低1回は必ず必要といっていた裁判所が、母子のフィリピンからの来日なしで、証拠書類やABO式の血液型証明書などの提出だけで父子関係を認める調停合意による審判決定や、認知訴訟の判決を言い渡すなど、フィリピンからの母子の来日なしで解決できた例が増えてきました。
5、日本国籍を取得できない日本国外で出生した婚内子の日比国際児の認知審判が認められる。
熊本家庭裁判所で、2000年3月14日「離婚後に300日以内に国外で生まれ婚内子として推定されるが、3ヶ月以内に国籍留保しなかった子で、日本国籍を喪失し、父親の戸籍に載らない日比国際児」に認知の審判がなされました。
日本国籍をもたない婚外子は、日本人父親が子を認知することで、その戸籍に子であることが記載され父子関係が明記されます。一方、上記の場合のような国外で生まれ3ヶ月の国籍留保期間内に日本大使館等へ出生届けをしなかった婚内子は、国籍も取得できないだけでなく、父親への戸籍への父子関係の記載も認められません。仮に、第2子の認知を求める調停が双方合意となり、家事審判法23条の合意に相当する審判を熊本家庭裁判所が認めても、戸籍への記載ができないことが明らかになり、家庭裁判所の書記官からは、第2子に関する認知の調停申立を取り下げてはどうかという話しもありました。申立側としては、父親の戸籍に記載ができないとしても、家庭裁判所での認知の審判がなされ、審判決定書という公文書が残るようにできれば、この子に将来相続やその他で父子関係の証明が求められるときに役立つことになると判断して、取り下げないことにしました。但し、熊本家庭裁判所の裁判官が、日本の民法第772条-2項の『嫡出性の推定』がなされる子に、民法779条の『嫡出でない子』に認められている認知の審判をどのような理論構成で認めるか、あるいは却下してしまうか注目していました。
2000年3月14日に熊本家庭裁判所は、婚外子である第1子だけでなく、婚内子として推定される第2子にも「相手方(日本人父親)の子であることを認知する」との審判を行いました。その理由として「申立人(第2子)については、フィリピン家族法164条の1項によれば、母と相手方の嫡出子とされるが、同法166条(一定の事由がある場合、嫡出性を争うことができる。)により反証をあげて争う余地があることがみとめられ、あらかじめ嫡出親子関係を確立する必要がある場合は、同法172条1項2号により公文書による嫡出親子関係の認諾ができるから、民法上認知が認められると解される」とするものでした。 このような申立側の主張を認めた審判がなされ、同年3月31日にこの審判は確定しました。この結果、第2子は、戸籍への記載はできないものの、将来の子の福祉や利益を考えて父子関係を証明する公文書として認知の審判決定書を得ることができました。
このケースは1、フィリピン在住の母子を、来日させることなく家庭裁判所の調停で解決できたこと。2、子の認知の審判に関して、子の法定代理人である母親の認知を求める陳述書と、ABO式の血液型の証明書でみとめられたこと。3、国外で出生した婚内子であるが3ヶ月以内とされている期間内に国籍留保手続きをしなかった国際児には、父子関係を日本人父親の戸籍に記載することができませんが、父子関係を証明する公文書として家庭裁判所で認知の審判決定書をえることができました。
6、日本に住所も居所もない日比国際児の認知訴訟は、東京地裁で提訴しなければならないという裁判所の管轄の壁
日本国籍のない婚外子の日比国際児にとって、養育費の請求の前提としてだけでなく、将来の相続や日本への入国のためのビザ取得など日本人父との父子関係を証明する公文書として日本人父親による子の認知の戸籍への記載は、重要な意味を持ってきます。日本人父親が交渉を通じて、日本での子の認知に任意で応ずる場合は任意認知手続きで解決できますが、日本人父親が「自分の子」であること認めず、子の認知を拒否した場合には、子の認知訴訟を地方裁判所へ提訴して解決していくしかありません。
住所や居所が日本に在る日本人父親と外国籍の母親から生まれた国際児の認知訴訟は、人事訴訟手続法により、子の住所地の裁判所に専属管轄があるとされ、また日本国外在住の父親を被告とする場合などは、認知訴訟を子の住所地にある裁判所で提訴することも認められています。しかるに,住所も居所も日本になくフィリピンで暮らしている日比国際児の認知訴訟は、人事訴訟手続法および最高裁判所規則などにより、東京地方裁判所に提訴しなければならないとされています。その上、養育費の請求等は原則として日本人父親である相手方の住所地のある家庭裁判所に申し立てしなければならないとされています。権利の救済を求める国際児の側には、経済的にも時間的にも多重の負担が強いられていました。
大分県内在住の日本人男性に対する依頼のケースで、相手男性は任意交渉も拒否し家庭裁判所の調停にも出席せず、日本に住所のない子の認知訴訟を1998年12月に大分地方裁判所に提訴しました。1999年4月大分地方裁判所は、日本に住所も居所もない子の認知訴訟の裁判管轄は東京地方裁判所にあるとして、大分地方裁判所から東京地方裁判所に移送を決定しました。この決定に対して、福岡高等裁判へ抗告しましたが棄却され、最高裁判所へ特別抗告しました。最高裁判所は、1998年11月30日特別抗告を「いかなる裁判所において裁判をうけるべきかの裁判所の組織・権限・審級などについては、憲法第81条の規定するところを除いて立法政策の問題」として棄却し、日本に住所のない日比国際児の認知訴訟は東京地方裁判所でしか提訴できないことが確定しました。この結果、東京以外に在住する父親を相手とする子の認知訴訟を起こすには、養育費の家庭裁判所での調停・審判まで考慮すると事実上被告の住所地の地元の弁護士と東京の弁護士の最低二人の弁護士に代理人を依頼して裁判をになう体制を作らないと認知訴訟を担えないことになりました。相手男性の住所地の裁判所ではなく東京地方裁判所にしか提訴できないとする人事訴訟手続法や最高裁判所規則の不当性は明らかで、救済を求めている多くの日比国際児問題の解決に大きな壁となっています。
大分在住の父親を被告とする子の認知訴訟は、結局大分地方裁判所から東京地方裁判所に移送されましたが、大分在住の弁護士とともに東京在住の弁護士に協力してもらい継続することができました。そして、1999年4月に東京地方裁判所で相手男性が子の認知に応じることと、未払い分の養育費の一部と子の成人するまでの将来の養育費を支払うことで和解が成立して、解決に至ることができました。また、2001年10月には、フイリピンに在住する母子を原告とする岡山県内在住の父親を被告とする子の認知訴訟で、被告の相手男性は一度も裁判所に応答せず、出頭もしませんでしたが、東京地方裁判所はフィリピン人母子の来日なしで、子の認知を認める判決を言い渡しました。
7、養育費の算定基準をめぐる課題
日比国際児の養育費問題で最も問題となったのは、フイリピンで在住している子どもの養育費は、日本と比べフイリピンの物価水準が低いため、低額でよいとする相手男性の考え方に対して、家庭裁判所の調停委員、調査官や裁判官が同じような考えで対応してくることでした。日本人父母の養育費の調停では、父母の収入状況、養育のための必要経費などで算定されます。海外在住の国際児の養育費の算定基準にその地の物価水準を考慮して判断していくことになれば、日本での養育のケースに比べて、きわめて低額な養育費しか認められないことになります。
これまでの調停では、日本国外在住の国際児についても、コムスタカ―外国人と共に生きる会として日本人父親の収入状況を基準に養育費額を算定すべきであると主張してきました。日本人父母の離婚等に伴う養育費のケースでも、父親の資産や収入が多ければ、それに対応して高額の養育費が認められており、物価水準が低く養育費の最低必要経費が安くすむことをもって、日本人父親の養育費の支払い額を低額にすることは許されないと考えて問題の解決にあたってきました。その結果、日本人父親の収入や資産状況に応じて子ども一人毎月1万円から3万円程度で養育費の請求の調停で合意解決してきました。
2002年7月に、岡山家庭裁判所での養育費の調停が不調で審判に移ったケースは、相手男性が出席せず、相手男性の収入が不明でしたが、その男性の年齢の平均賃金と,その男性の現在住んでいる賃貸マンションの家賃などを根拠に収入を推定し、フイリピンでの母親側の収入状況、これまでのコムスタカでの日本に住所のない日比国際児の調停での養育費合意事例(毎月1−3万円)を根拠に毎月2万円の養育費を妥当として決定しました。2002年7月30日の岡山家庭裁判所の審判決定は、日本に住所のない日比国際児の養育費の審判決定として、全国初と思われ大きな先例的意義を持ちます。
8、日比国際児の認知・養育費交渉の取組みの現状と今後の課題
日比国際児の問題には、1993年4月から取り組んできましたから、約10年となります。フィリピンにいる子どもの養育を放置し、父親としての責任を果たそうとしない多くの日本人父親に対して、子どもの父親であることが確認し、それが事実であれば、その父親に子の認知や養育費を支払う義務があることを認めさせてきました。相手男性との話し合いで合意できないときは、家庭裁判所の調停―審判制度や地方裁判所の認知訴訟などの司法手続きにより、日比国際児の具体的な救済をめざしてきました。その過程で、日本国外に暮らす国際児も、日本国内で暮らす子どもと同じ権利が認められ、同じように救済されるうえで、制度上や手続き上の壁を体験してきました。
その中でも、フィリピン在住の母子の来日費用や、子の認知をめぐるDNA鑑定費用など経費の問題が大きな壁となっていましたが、いくつかの解決事例を積み上げていくなかで、フィリピン人母子の来日なしで、代理人の弁護士のみの出席で裁判所の養育費などの調停や子の認知訴訟が行われ解決できるようになって来ました。また、日本に住所あるいは居所のない国際児の認知訴訟の裁判管轄が、日本に住む父親の住所地の裁判所の管轄ではなく、人事訴訟手続法や最高裁判所規則により東京地方裁判所となるという理不尽な『壁』が存在し続けていました。しかし、2003年の国会で、これまでの人事訴訟手続法にかわる人事訴訟法が成立し、2004年4月から、従来は家庭裁判所の調停で解決できないときは地方裁判所に提訴しなければならなかった離婚や子の認知など人事訴訟が、今後は家庭裁判所で行われることになります。その結果、住所も居所も日本にない国際児の認知訴訟も、原則として父親の住所地の家庭裁判所で申し立てることができるようにかわります。
この10年間ほどの取り組みから、相手男性の住所または居所がわかり連絡がとれたケースについては、時間がかかることはあっても解決に至ることができるようになりました。しかし、調停の成立や任意交渉での合意書の締結で解決となるわけではなく、合意後に合意内容が履行されないケースが出てきます。特に養育費の毎月払いについては、長期間にわたるためその危険性が伴います。これまでの解決事例21件のうち、養育費の一括または分割での支払いが終了したケースは5件で、その他の解決が2件、残り14件は養育費の支払いが継続中です。大半は合意どおりの履行がなされていますが、そのなかには途中で相手の父親が行方不明になったケースや一部しか支払われず未払金の滞納額が多くなっているものもあります。このような場合には、合意内容を履行させていくため、司法手続きで認められている手段である支払請求訴訟や差し押さえを行ってきました。これまで3件について賃金や預金や不動産など財産の差し押さえを行って確保しています。
2003年に成立し、2004年4月より施行される改正民事執行法は、これまでは、合意後滞納が確定した分の養育費しか強制執行できませんでしたが、合意した将来分にわたって相手の収入から一括して差し押さえられるように強化されます。但し、この改正後も収入の不安定な父親の場合には、養育費の確保が困難で、父親からの子どもへの安定的な養育費の支払い確保のためには、将来的には、裁判所で合意した養育費などの政府や自治体の立て替え払い等の制度的保障が求められていくと思います。この10年の取り組みは、ゆっくりした歩みではありますが、具体的なケースを具体的に解決していくことで、日本国外に暮らす国際児も、日本国内で暮らす子どもと同じ権利が認められ、同じように救済できるように、日本の司法や行政や社会の仕組みが変化しつつあります。
9 補論――― 「日比混血児」ではなく日比国際児の呼称について
日本人とフィリピン人の間に生まれた子ども(ジャパニーズ・フィリピン・チルドレン)の呼称について、従来からマスコミでは「日比混血児」との呼称が使用されてきています。「混血児」は、「純血児」との対比で使われており差別的表現と思います。コムスタカ-外国人と共に生きる会は、1995年11月のフィリピン人母子を招いた集会から、「日比混血児」の呼称ではなく、国際結婚から生まれ、父と母の異なる両国を結びつける意味をこめて「日比国際児」の呼称を使用しています。
「混血児」は、「純血児」との対比で使われています。「純血」と「混血」は、対等な関係になく、「純血」が優位に、「混血」が劣位に置かれた上下関係にあるもとして使われています。子どもは、あくまで個人としての父母の間に生まれるものであり、父母の間の人種や民族や国籍の違いにより差別されるべきではないと思います。個人としての父母の間に産まれてくる子どもを、「血が混じる」という血統を示す表現で表すことが差別になります。
日比国際児問題に取り組むなかで、見出しやタイトルに大きく「混血児」との差別表現をし続けるマスコミ各社(岩波書店、毎日新聞社、朝日新聞社、NHK、熊本日日新聞社など) に「混血児」は差別表現であるので今後使用しないこと、そして代わりに「国際児」または、「JFC(ジャパニーズ・フィリピン・チルドレン)を使用してほしいとの要望を行ってきました。
しかし、NGOのなかにも「混血児」に関する呼称について、「私達は、この言葉を当面使っていくことにしました。というのは、『混血児』という言葉そのものは、『人種や民族の異なる両親の間に生まれた子ども』はという以外なにも語っておらず、本来は侮蔑敵意味ではないからです。問題なのは、言葉そのものでなく、むしろ『混血』は『純血』に劣るという考え方が存在することではないでしょうか」(1998年1月20日発行 岩波ブックレットNO446『日本のお父さんに会いたい-日比混血児はいま-』松井やより編集)とする考え方もありました。また、マスコミ各社も「使い方に注意すべきではあるが、使ってはいけないという言葉ではない」、「テーマを正確に読者や視聴者にわかりやすく伝えるには、他におきかえる適当な言葉がなかったので使用した」などの反応や回答でした。
2002年6月23日付け朝刊読書面の書評『アメラジアンの子供たち』の見出しに『混血児』を使用したことへの熊本日日新聞社への申し入れを行いました。熊本日日新聞社からは、「今回の記事の見出しは、共同通信社配信の記事にはなかったものを、熊本日日新聞社の編集局で独自につけたもので、社としてチェックミスであり、お詫びしたい。今後は、社内の部会で報告し、文書で社内に使用を避けるように徹底する」という回答を受けました。今回の申し入れで、共同通信社が、1997年3月の第8版の『記者ハンドブック 新聞用字用語集』までは、差別語・不快語として「混血児」を含めていませんでしたが、2001年3月の第9版から「合いの子・混血児」も「差別語・不快語として使用を避けるように」と明記されている事がわかり、私たちの申し入れに対して、熊本日日新聞社から「『混血児』を差別表現と認め、今後使用しない」という回答を得る事ことができました。
名称 コムスタカ-外国人と共に生きる会
代表者 鈴木 明郎
連絡先 〒860-0845
熊本市上通町3-34 手取カトリック教会気付
電話 096-352-3030
HP http://www.geocities.jp/kumstak/
相談 予約の場合は、毎週日曜日午後、緊急の場合には随時
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