報告 日比国際児の認知の問題
―佐賀家裁として、はじめてフィリピン在住の日比国際児の認知の調停が成立しました。
2008年12月29日
中島 真一郎(コムスタカー外国人と共に生きる会)
2007年8月に、コムスタカに、東京のJFCネットワークから依頼のあった、
佐賀県内在住の日本人の夫とフィリピン人妻と間に婚姻前にフィリピンで出生した
子どもの認知と養育費を求める相談でした。
当初父親の所在が不明でしたが、佐賀県内にいることがわかり、佐賀家裁に子の認知と
養育費の請求の調停を申し立てることになりました。代理人を引き受けてくれる弁護士を
佐賀県内と福岡県内で探しましたが次々と断られ、結局、熊本の弁護士が代理人を
引き受けてくれることになりました。
日比国際児の住所がフィリピンであり、日本に住所がないため、民事法律扶助制度は利用できませんが、
その代わり、法テラスに委託されている日弁連の法律援助制度の申請を熊本法テラスに行ってもらったところ、
許可されました。(弁護料 12万円、他に交通費として3万円以下ならば可能ということでした。)
これまで、日本に住所のない日比国際児の認知や養育費の調停・審判事例は、九州7県の家裁のうち、
佐賀家裁のみが実例がない状態でした。
佐賀家裁の調査官に相手男性の住居に住んでいるか否かの確認と相手男性の意向の調査に調停前に
おこなってもらいました。相手男性がその住所に住んでいること、認知に応じてもよいという意向
であることがわかりました。
2008年10月に第1回の調停がひらかれ、申立人の代理人弁護士と相手方男性が出席しました。
佐賀家裁の担当書記官も、これまでこのようなケースを取り扱ったことがないとして、事前に代理人
弁護士に対して、海外在住の申立人のケースで、代理人のみ出席ということで調停を受理することが
可能かということからはじまって、準拠法、裁判管轄などいろいろ質問がありました。
相手男性が、「子どもの養育費は送金を再開し、依頼人のフィリピン女性とやり直し、母子を日本に
呼び寄せる」という意向を示したので、離婚や養育費の請求を取り下げ、子の認知請求のみの調停としました。
そして、相手男性も合意したので、子の認知は任意認知の合意ではなく家事審判法第23条の調停の合意による
審判となりました。
子どもの認知の審判が2008年10月中旬に決定し、この審判は、相手男性が決定書を受理してから2週間後
の同年11月中旬に確定しました。
フィリピンのマリガヤハウスに依頼があったのが2007年3月、コムスタカへの依頼が2007年8月でした。
約1年3ヶ月ほどかかりましたが、婚姻前の子の認知、養育費の支払いの再開だけでなく、今後、
母子を日本に呼び寄せ、家族として一緒に暮らしていくことになるという最良の解決となって終了できました。
コムスタカとしては、九州7県のうち、唯一空白となっていた佐賀家裁で、フィリピン在住のままで、日本に
住所のない日比国際児の認知調停・審判の実例を作ることができ、 これで九州7県全部の裁判所で先例が
できました。また、法テラスに委託されている日弁連の法律援助制度を、ははじめて活用して解決することが
できました。