コムスタカ―外国人と共に生きる会

入管政策について


移住労働者と共に生きるネットワーク九州の第8回総会
「かたらんね、しゃべらんねー外国籍住民との集い」の報告

中島真一郎(コムスタカ−外国人と共に生きる会)

はじめに

 1996年に福岡市で開催された移住労働者と連帯する全国フォーラムを契機に、1998年より「移住労働者と共に生きるネットワーク・九州」を結成しました。(2006年4月1日現在、10団体と62名の会員)そして、毎年5月頃に総会を開いています。
 第8回目となる今年の総会は、これまでの総会とは異なり、会場は同じ福岡市内ですが、天神地区の大名町カトリック教会から美野島の美野島司牧センターに、形式も、1泊2日から、「2005年活動報告・決算報告と、2006年度活動方針,予算、役員」などの事務的な協議は別の日の夜(5月17日)に事務局会議をかねて行い、イベントは半日の企画として行うことにしました。
 また、企画内容もこれまでの九州外からの講師を招いて講演と各団体報告という形式から、九州内在住の外国籍住民が主体となる「かたらんね、しゃべらんねー外国籍住民との集い」をメイン企画として5月28日に開催することにしました。

全体会の報告

 5月28日(日曜日)午後1時から午後5時まで、福岡市美野島司牧センターで開催された移住労働者と共に生きるネットワーク九州の第8回総会「かたらんね、しゃべらんねー外国籍住民との集い」には、九州各地(鹿児島県、大分県、熊本県、福岡県)と山口県内から、総数74名(うち外国籍の参加者 29名、国籍、14カ国)の参加がありました。
 日本人の参加者の中には、福岡市の国際課の職員が個人として1名、そして福岡県国際交流課の職員の方2名が、外国籍住民の現状を勉強したいとして、全体会・分科会とも参加されました。(NGO主催の集会に、行政の職員が自発的に参加してくるのは、時代の変化をかんじさせます)また、マスコミの取材も、事前に4社から問い合わせがあり、当日の読売新聞社と毎日新聞社の2社の新聞記者が取材に来て、翌日の新聞に報道されました。
 第一部の全体会は、ネットワーク九州の共同代表の一人であるコースマルセル神父の司会ではじまり、コムスタカの私(ネットワーク九州の共同代表の一人)が主催者を代表して挨拶をしました。
 そして、8名の外国籍(ペルー、フイリピン、バングラデッシュ、アルゼンチン国籍)の住民からの日本で暮らしてきたなかで経験や体験した困難や苦しかったこと、そのなかでどのように自分が変わってきたことなどが、日本語や出身国の言語で報告されました。
 シングルマザーの外国籍女性は、「働いても賃金が支払われないことがあった。契約書がないため、水に流されてしまった。きちんとした契約書を作っておいた方が良い。また、子どもの病気で仕事を休んだら解雇されたときのつらい体験」を話しました。
 外国籍男性は、「突然会社から不景気を理由に『外国人』が解雇された。再就職を探したが、『外国人』ということで、いくつも採用されなかった。私は、日本の法律を守り、税金を払い、子どもを育てている。この国のために少しでも力になりたいのに、差別を受けている」と、仕事を一方的に解雇された時のつらい体験が話されました。
 外国籍の女性から「出身国に残っている年を取った親を日本に呼び寄せて一緒に暮らしたいと入管に相談しても、短期滞在(3ヶ月)しかできないといわれ、日本に呼び寄せることができない」という悩みが報告されました。
 「日本で暮らしたり、就職する上で自動車免許は不可欠だが、出身国の免許取得後に3ヶ月以上滞在していないと日本の免許に切り替えができないので、そのために帰国して長期にすごさなければならなかった。日本の自動車免許の学科試験が日本語でしか受けられず、多言語化して受験できるようにしてほしい」との訴えがありました。
 「今後とも少子―高齢化が進むと日本社会は、現在約1億3000万人の人口が、2050年には1億人を切り、2100年には半減して約6000万人に、3300年には一人もいなくなる。日本社会にとって外国人は、『犯罪者』としての厄介者でなく、日本社会が外国人を必要としている、自分達は日本社会に必要とされていることを自ら日本の政府だけでなく、近所の身近な隣人にアピールしていこう」という訴えがなされました。また、自らの体験として「600世帯ほどある団地の自治会長に誰もなろうとせず、偶然自分が推されて外国人として初めて自治会長になった。その任期中、他の日本人役員の一部から様々な嫌がらせや会長を辞めさせようとする動きがあったが、2年間会長を担った。但し、その後、自治会の規則が変わり、外国人には役員をさせないように変更された」という報告がありました。
 「BEFORE AND AFTERの私」として報告した外国籍女性は、「自分も同じような差別やいじめをこれまで日本でくらすなかで受けてきた。そのときは『日本は大嫌い』だった。しかし、その体験をいろいろなところで話をしているとき、ある人から「あなたの言っていることは「不満だけ」だと指摘された。その指摘を全部受け入れたわけではないが半分はみとめるようになった。そして、日本人の中にも同じように解雇されたり差別されたり、いじめられたりしている人がいること、自分を助けてくれたり一緒になって取り組んでくれるNGOが存在していることを知って、自分が一人じゃない、自分にも権利がある、前向きに進んでいける自信が生まれてきて、「日本が少し好きになってきた」という報告がありました。
 カトリックの信者の外国籍女性からは、日本人夫がクリスチャンでなく、日本社会で成長する子どもが信仰とはなれた生活や環境ののなかで育っていく現状があること、そのなかで毎週1回子どもと教会へ行き続け、次第に日本人夫や子どもも理解してくれるようになったことが報告されました。

分科会の報告

 事務的な報告と休憩を挟んで午後3時10分から午後4時40分まで、会場を2階と1階に別れて二つの分科会をおこないました。A分科会 仕事・労働 15名、B分科会
 仕事以外(家族・教育・文化など)には28名の参加があり、自己紹介などの後、外国籍住民からの積極的な発言や報告がありました。
 私は、B分科会(28名中12名が外国籍の参加者)の方に出席しましたが、外国籍住民が、日本語で積極的に発言し、それに他の外国籍の参加者が関連して発言するなど外国籍の参加者主体の分科会になりました。
 その中で印象に残った発言をいくつか紹介しておきます。

 その1 「私も仕事を探しているとき、電話で日本語で話をして、「明日から来てください」とOKになりかけたが、最後に外国人とわかると断られるなどつらい経験を何度もした。そのうち日本は「信用」と「資格」が大事な社会であることがわかってきて、日本語が話せるだけでなく、読めないと仕事に影響が大きいので、日本語の勉強をして、ハローワークで「適正試験」を受けて合格できた。その後は、ハローワークの職員の人が、雇い主に「この方は、外国人だけど日本語ははなせるし、適正試験にも合格しているというと、OKが出て、就職先が広がってきた。現在では、自分に自信が持てるようになった。
 そして、今までは、「外国人」を理由に断った会社の担当者を、「日本人はひどい」と思っていたが、今は日本人や日本の会社や会社の担当者にもいろいろな人がいることがわかって、「ひどい会社」「ひどい担当者」と思えるようになった。

 その2 車を運転していて、道がわからなくなった時、車を止めて窓を開け、日本語で、通りかかった日本人に、「すいません、あそこへいきたいのですがどういけばよいのですか」と尋ねたら、その日本人は、外国人とわかって「ぎゃー」と叫んで、離れていった。日本語で尋ねているのに、最初意味がわからず、「自分の姿は、そんなに恐ろしく、ひどいのか」と鏡を見直したが、いつもどおりの姿しか映っていなかった。
 結局、その日本人は、外国人から話しかけられたことこれまでになく、とっさにどうしていいかわからず、あのような反応をしたのだと思う。(他の外国籍の参加者からも、その日本人が「ぎゃー」と叫んでくれただけまし、自分のときは、黙って逃げていってしまった との体験談もでました)
 日本人も、外国人に慣れていない。外国人と話すことに慣れれば、このような対応はなくなる。外国人も、自分達の仲間内だけに閉じ困ってしまう傾向があるが、日本人の中にどんどん入っていって、日本人と話をした方が良い。

 その3 学校で娘が、ある日本人の男子生徒から「フイリピン人、フイリピン人」と揶揄され、いじめられて、学校に行こうとしなくなった。娘から事情を聞き、日本人の夫と一緒に学校の先生に相談し、娘をいじめた男子生徒の家に行き、その生徒とその両親と話し合いをした。
 その生徒の両親は、これまで学校で自分の息子がいじめの加害者となっていることに全く気が付いておらず、その事実を知らされ、動揺して、その息子をひどく叱りつけ、私たちに、それこそ土下座してあやまろうとされた。私は、その生徒の両親に「ご両親があやまられなくていいんです。息子さんがあやまり、いじめをしないようになってもらえればいいんです」といい、その男子生徒に「あしたから、もし娘を誰かがいじめたら、あなたが守ってあげてほしい」と話をした、
 翌日、娘が学校に行くと、その男子生徒が娘に「ごめん」といってき、娘へのいじめがなくなった。

 そして、午後4時40分から午後5時まで、全体会が開かれ、二つの分科会の報告が、担当者からなされ、閉会の挨拶をマルセル神父がおこない無事終了となりました。

まとめ

 外国籍住民が日本社会の中で、「外国人」を理由とする解雇や差別やいじめを体験して様々な困難を抱えている現実があきらかになりました。そして、その一方で、その困難を様々な努力をしながら乗り越えてきていることや、日本人や日本社会へ積極的に関与して発言していこうという前向きな姿勢が感じられました。
 移住労働者と共に生きるネットワーク九州の第8回総会は、主催者の予想以上の参加と外国籍住民の積極的な発言や報告があり、稔り多いものとなりました。


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