コムスタカ―外国人と共に生きる会

「外国人犯罪」問題


犯罪報道について(1)
「外国人犯罪」報道における外国人差別

松本 妙子
2005年12月23日

コムスタカは2002年9月に熊本県に対し「熊本県への外国籍住民・帰国者のための施策の提言」と題した提言書の提出を行いましたが、この提言書の提出のあと記者会見がありました。記者会見にはテレビ局二社、新聞社五社から七人の取材を受けましたが、その中で、記者の方たちから次のような質問がありました。その質問とは、「外国人犯罪」の報道に「外国人らしき」とか、「東南アジア風」「不審な外国人」という表現を使うことがなぜいけないのかというものでした。

コムスタカの「県への提言」の5項目目に「外国籍住民や子どもへの偏見と差別を助長する表現をやめさせること」という項目があり、その(1)の「最近、学校へ配布されている薬物被害のパンフレットや警察の広報に「イラン人薬物違反」とか『不審な外国人(中国人)に気をつけよう』などという表現を見かけます。犯罪に関する広報に際して特に自治体や警察が『外国人らしき』『東南アジア風』などと『外国人』を一括りに表現したり特定のグループをイメージさせたりしないように提言します。」という文章が自分たちへ向けられていると感じたのでしょう。記者たちはこれらの表現は容疑者の特徴を描写する際に必要な表現で事実の報道である、と主張しました。

しかし、私は「外国人が犯罪」という見出しをつけることを「容疑者の特徴の描写」と言ってしまえるその感覚に衝撃を受けました。「外国人」というのはそれほど客観的で、絶対的な、ゆるぎない属性でしょうか。犯罪が起こり、容疑者が特定されるたびに、そこに「外国人」という言葉がでていないか、心配になります。そして「外国人」という言葉がでると、まず、デッチ上げられたのではないか、なにか裏があるのではないか、何の意図をもって「外国人」と言うのだろうと考えます。こういった報道は外国籍を持つ人々全体にたいする侮辱ではないでしょうか。

広島の幼女殺害の事件の報道はさらにすさまじいものでした。まだ、容疑者にすぎない段階から、名前はもちろん、顔写真も大きくでました。そして、知人、友人という人たちの中傷ともいえるコメントが何度も繰り返し流されました。事件に関する情報のほとんどが、「女の子と話していた。」「中学生に声をかけていた。」「女の子をいやらしい目で見ていた。」などというものばかりで、事件の核心に迫る情報は皆無でした。また、容疑者が過去にも同じような事件をおこしていたということも報道されました。いったい、メディアはなんの権利があって、このようなリンチまがいのことができるのでしょうか。犯罪者が裁かれるのは彼が犯した犯罪についてだけです。また、姉妹殺しの容疑者が逮捕されたという報道がありましたが、彼に関しては、しばらくの間実名が伏せてあったようです。日本人容疑者と外国人容疑者のメディアの扱い方のこの差。これが外国人全体に対する差別と偏見でなくてなんでしょうか。

しかし、職場で、何人もの人から「あの報道はおかしいなところが多すぎる」という声を聞いたことは救いでした。「テレビを見ながら親とあれはひどい、と話した」という人もいました。また、このホームページにも「あの事件の報道はおかしいのではないか」という声が届きました。メディアが世の中におかしな流れを作り出そうとしているときに、それは変だという声があることは重要です。また、圧倒的な力を持った報道するものたちは、「事実の報道」という大義名分の下で何を書いても良いということではないはずです。報道されるもの、そして、その報道で影響を受ける力を持たない普通の住民の存在を常に心に留め、報道は神経質すぎるくらい神経質であって欲しいと思います。


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