コムスタカ―外国人と共に生きる会

日比国際児問題


報告、朝日新聞社が全社として、「混血児」表記を差別表現と認めて、今後使用を避ける決定を行いました。

中島真一郎
2004年2月15日

 朝日新聞西部本社から、2003年10月18日付で、朝日新聞の記事の見出しに「混血児」が使われた問題で、なぜ使用したのか、「混血児」表記を差別語として認め、今後やめるようにという質問と申し入れへの回答がようやく3ヶ月以上へた2004年1月30日付で、文書で送られてきました。 回答によると、朝日新聞社西部本社だけでなく朝日新聞全社として、私たちの主張どおり「混血児」を差別表現と認め、今後「混血児という表現を避ける」との結論に達したとのことでした。
 「混血児」は、「純血児」との対比で使われています。「純血」と「混血」は、対等な関係になく、「純血」が優位に、「混血」が劣位に置かれた上下関係にあるもとして使われています。子どもは、あくまで個人としての父母の間に生まれるものであり、父母の間の人種や民族や国籍の違いにより差別されるべきではないと思います。個人としての父母の間に産まれてくる子どもを、「血が混じる」という血統を示す表現で表すことが差別になります。
 日比国際児問題に取り組むなかで、見出しやタイトルに大きく「混血児」との差別表現をし続けるマスコミ各社(岩波書店、毎日新聞社、朝日新聞社、NHK、熊本日日新聞社など) に「混血児」は差別表現であるので今後使用しないこと、そして代わりに「国際児」または、「JFC(ジャパニーズ・フイリピン・チルドレン)を使用してほしいとの要望を行ってきました。
 しかし、NGOのなかにも「混血児」に関する呼称について、「私達は、この言葉を当面使っていくことにしました。というのは、『混血児』という言葉そのものは、『人種や民族の異なる両親の間に生まれた子ども』はという以外なにも語っておらず、本来は侮蔑敵意味ではないからです。問題なのは、言葉そのものでなく、むしろ『混血』は『純血』に劣るという考え方が存在することではないでしょうか」(1998年1月20日発行 岩波ブックレットNO446『日本のお父さんに会いたい-日比混血児はいま-』松井やより編集)とする考え方もありました。また、マスコミ各社も「使い方に注意すべきではあるが、使ってはいけないという言葉ではない」、「テーマを正確に読者や視聴者にわかりやすく伝えるには、他におきかえる適当な言葉がなかったので使用した」などの反応や回答でした。
 2002年6月23日付け朝刊読書面の書評『アメラジアンの子供たち』の見出しに『混血児』を使用したことへの熊本日日新聞社への申し入れを行いました。熊本日日新聞社からは、「今回の記事の見出しは、共同通信社配信の記事にはなかったものを、熊本日日新聞社の編集局で独自につけたもので、社としてチェックミスであり、お詫びしたい。今後は、社内の部会で報告し、文書で社内に使用を避けるように徹底する」という回答を受けました。今回の申し入れで、共同通信社が、1997年3月の第8版の『記者ハンドブック 新聞用字用語集』までは、差別語・不快語として「混血児」を含めていませんでしたが、2001年3月の第9版から「合いの子・混血児」も「差別語・不快語として使用を避けるように」と明記されている事がわかり、私たちの申し入れに対して、熊本日日新聞社から「『混血児』を差別表現と認め、今後使用しない」という回答を得る事ことができました。そして、2001年3月より共同通信社が「記者ハンドブック新聞用事用語集」(第9版 2001年3月改定)と同様な決定を朝日新聞社も2004年1月30日付で西部本社だけでなく全社的に行うようになりました。今後、朝日新聞社は、国籍や民族の異なる父母から生まれた子どもを、「混血児」と表記する記事や見出しを使用しなくなるとともに、それに代わるアメラジアンや日比国際児という表記についてもこれまでの西部本社だけでなく、定着度をみながら全社的に適宜説明を加えて使用していくことになります。以下、その回答と昨年10月18日の申し入れ書を紹介しておきます。


資料1 朝日新聞社からの回答

コムスタカ−外国人と共に生きる会
日比国際児問題担当
中島眞-郎様
2004年1月30日
朝日新聞西部本社広報センター
 前略
 朝日新聞をご愛読いただきありがとぅござぃます.
 2003年10月18日付夕刊に掲載された「親不在の混血児に国籍」の見出し・記事についで、中島様より「混血児という表現は差別表現である.今後、混血児という表現を使わないでほしい」との申し入れを受けました。申し入れについて社内で検討した結果を社外の方ヘの窓口である広報センターから回答させていただきます.
 今回の申し入れは、西部本社だけの問題ではなく朝日新聞全体の間題ととらえ、記事の出稿もとである東京本社社会部と用語幹事とが検討を重ねてまいりました.その結果、「混血児という表現は避ける」との結論に達し、1月末、全社の編集部門の各人に、新しい取り決めを邁知しました.
 「混血」は「純血」との対比で使われ、「純血」が優位に、Γ混血」が劣位に置かれ、「混血児」は差別的に使われている、との指摘を踏まえたものです。記事では「米国人男性と日本人女性との間に生まれた」など具体的に書くよう工夫することになります.また、西部本社ではこれまで「国際児」「アメラジアン!などの表現を使ってきましたが、これらも全社で定着度を見ながら、適宜説明を加えて使うことになりました.
 回答が遅くなったことをおわびするとともに、今回の申し入れを機に、差別問題への思いを新たにし、真摯に取り組んでまいりたいと存じます.ご理解下さいますようよろしくお願いいたします。
 末尾になりますが、貴団体のご発展と中島様のご健勝をお祈りいたします,
'                             草々


資料2

質問及び申入書

・2003年10月18日「親不在の混血児に国籍  家裁審判へ救済への道」との見出しの報道記事での「混血児」表現について

 朝日新聞社殿    2003年 10月30日

1、日比国際児問題に取り組むNGOとして

 私たちは、日比国際児問題(JFCージャパニーズ・フイリピン・チルドレン)に取り組んでいるNGOです。この問題は、日本人男性によるフイリピン女性や子どもへの重大な人権侵害問題であるとともに、子どもの養育責任を放棄している無責任な男性を容認し、放置している日本政府や社会のあり方が問われている社会問題でもあると考えています。1994年以降フイリピンのNGOであるバテイスセンターフォーウイミンから日本人父親を探し交渉してほしいと依頼をうけ、九州内に居住している父親との交渉や、家庭裁判所への調停・審判申立や地方裁判所への認知訴訟を通じて解決してきました。

2、「混血児」表記の差別性について

 「混血児」は、「純血児」との対比で使われています。「純血」と「混血」は、対等な関係になく、「純血」が優位に、「混血」が劣位に置かれた上下関係にあるもとして使われています。子どもは、あくまで個人としての父母の間に生まれるものであり、父母の間の人種や民族や国籍の違いにより差別されるべきではないと思います。
 個人としての父母の間に産まれてくる子どもを、「血が混じる」という血統を示す表現で表すことが差別になります。日本人の父母の間に生まれて来た場合も、母親と父親の「血が混じって」生まれてくることには違いないので、人種や民族や国籍が異なる父母の間から生まれてくる子どもと同様に「混血児」と呼ばれてよいはずですが、前者の場合は、通常と呼称がなく、ただ、後者の場合の「混血児」と対比された場合にのみ、「純血児」と呼ばれます。この場合、「混血児」が、侮蔑的意味で使われているのに対して、仮に反論として「純血児」といったところで侮蔑敵意味にはなりません。このことからも「混血児」が、差別的表現であることは、あきらかだと思います。
 実際問題としても、人種や民族や国籍の異なる父母により生まれてきた子どもが、日本社会の中の地域や、学校で「混血児」と呼ばれていじめられてきています。今年になって、福岡市内の小学校で、小学4年生の母親が、「その曽祖父が米国人であることを話したこと契機に、担任の男性教諭から『血が混じっている』との発言がなされ、その4年生の男子に対して「ミッキーマウス」や「ピノキオ」と称して鼻や耳を引っ張るなどのいじめ行為を繰り返していたとして、担任をはずされる」事件がおきています。(2003年6月27日 朝日新聞の記事より)

3、「混血児」を使用し続けるマスコミ各社への申し入れ

 日比国際児問題に取り組むなかで、「混血児」との差別表現をし続けるマスコミ各社(岩波書店、毎日新聞社、朝日新聞社、NHK、熊本日日新聞社など) に「混血児」は差別表現であるので今後使用しないこと、そして代わりに「国際児」または、「JFC(ジャパニーズ・フイリピン・チルドレン)を使用してほしいとの要望を行ってきました。この問題に対する、マスコミ各社の姿勢も次第に変化し、「混血児」を差別表現と認め、今後使用しないと回答するところも現れてきました。2002年6月23日付け朝刊読書面の書評『アメラジアンの子供たち』の見出しに『混血児』を使用したことへの熊本日日新聞社への申し入れを行いました。これに対しては、熊本日日新聞社から、同社が差別語・不快語の使用基準を依拠している共同通信社の「記者ハンドブック新聞用事用語集」(第9版 2001年3月改定)に、「混血児」について使用を避けると明記されるようになっていたのに、「認識不足とチェックミスで見出しに使用してしまった。「混血児」について、今後認識の徹底をはかる」と回答がありました。

4、2000年7月5日の朝日新聞社への申し入れと回答

 朝日新聞社に対しても、2000年6月28日の朝日新聞朝刊での「沖縄の中学校教諭 混血児の生徒に暴言」との見出し記事に対して質問と申し入れを、2000年7月5日に国際児問題に取り組むNGO4団体名で行いました。私たちのほうから、「駐留米軍基地が集中する沖縄では、アメリカ人の父と日本人の母親から生まれてきた子どもについて『合いの子』や『混血児』との呼称がかつて使われてきました。しかし、沖縄のNGOである『アメラジアンの教育権を考える会』は『合いの子』や『混血児』を差別表現と批判し、自らをアメラジアンと名乗っています。また沖縄の行政や地元マスコミは、現在では『混血児』ではなく国際児を使用するようになっております」と説明して、今後使用しないことへの申し入れと朝日新聞社として「混血児」表記への見解を質問しました。
 そのとき応対された龍野史朗氏(朝日新聞西部本社広報室副室長)から同年7月11日に以下のような報告がなされました。
 「7月5日の申し入れを受けて、西部本社の編集局長と東京本社の用語幹事に申し入れ書とその趣旨をすぐに伝えました。また、西部本社の社内報の一面で申し入れがあったことを記載しました。那覇支局で沖縄の事情を聞いたところ、沖縄では『混血児』は使われなくなっており、行政は『重国籍児等』、地元マスコミは『国際児』と表記していることがわかりました。申し入れを受けて、沖縄の那覇支局は『混血児』という表記が歴史的な用語として記載がやむをえないと判断されるとき以外は、今後『混血児』という表現を使わないということを決めました。西部本社でも、今後使わない方向で議論を進めて生きたいと考えています。そして、最近東京本社の用語幹事が、マスコミ各社の用語幹事が集まる会合で、『混血児』表記の問題を話したところ、他者は関心がないのか反応がなかったとのことでしたが、しかし、調べたところ、読売新聞社は『混血児』の表記を避けているようで、紙面に出てきていないことがわかりました。朝日新聞社としても、できるだけ避ける方向で検討したい」とのことでした。このように200年7月の申し入れに対して、朝日新聞社西部本社は前向きな回答をしていました。

5、質問と申し入れ

 上記の3年前の回答とは異なり、2003年10月18 日に朝日新聞夕刊で『親不在の混血児に国籍 』との見出しで報道がなされ、記事の中でも「日比混血児」という呼称が使われていました。なぜ、朝日新聞社は、「混血児」という差別表現を見出し及び記事の中で使用したのか、その理由を明らかにして下さい。また、今後とも「混血児」の表現を使用しつづける意向であるのかをあきらかにして下さい。そして、今回の申入れを機会に、朝日新聞社のなかで十分議論し、今後『混血児』を差別表現と認め、二度と「混血児」という表現が使われることのないように申し入れます。また朝日新聞社として、「混血児」という表現が差別表現であると認められる場合には、朝日新聞社の見解として報道などでその見解をあきらかにして下さい。

 申し入れ団体
  コムスタカー外国人と共に生きる会(事務局 熊本市)
     連絡先 〒860-0845 熊本市上通町3−34 手取カトリック教会 
     日比国際児問題担当   中島 真一郎