お断り
10月29日付朝刊文化面「散文月評」中の「混血の牧師」の表現は、不適切でしたので削除します。「混血」は、これまで差別やいじめを招いた歴史を持つ表現だとして、熊日では使用しないようにしてきました。しかし、今回、チェックが不十分なまま掲載しました。
コメント
2005年10月29日付熊本日日新聞社の朝刊文化面「散文月評」中で「混血の牧師」の表現がなされていることを見つけました。熊本日日新聞社に対しては、3年前の2001年に新刊書などの書評・紹介欄に沖縄のアメラジアン問題についての記事で、「混血児」の見出しがつけられていた問題について抗議した際に、熊本日日新聞社は、チェックミスを認めて、今後内部でチェックを徹底すると確認していました。
それにもかかわらず、同じことが起きたことに対して、11月早々、抗議文を送り、そのなかで熊本日日新聞社の「混血」という表記への見解の再確認と内部チェックの徹底、そして謝罪記事の掲載を求めました。11月9日に熊本日日新聞社の文化生活部長が、手取教会に説明にこられ、「熊本日日新聞社として、共同通信社の『記者ハンドブック』に依拠して差別語や不快語など不適切な表現を避けるようにしており、「混血」は不適切な表現としてあるという見解は、現在も変わっておらず、チェックミスである。今後、内部で再発防止のためにチェックを徹底する。」ことについては認めました。
しかし、謝罪記事については、「あきらかな誤報記事や、氏名や肩書きの誤記などにつては、お詫びや訂正を記事として載せることがあったが、差別語や不快語についてはこれまで先例がない」という見解でした。
「その代わりに、中島さんに紙面を提供するので、この問題について投稿してほしい」という提案がありました。
これに対して、私は「『混血』が差別表現であるか否かをめぐって見解が、熊本日日新聞社と異なるなら、私の見解を投稿してもよいが、今回は差別表現であるという見解が変わらず、チェックミスを繰り返した責任は熊本日日新聞社にあることが明らかであること」を理由として、その申し出を断りました。その上で、「再発防止は言葉ではなく、紙面で社の責任として、私に説明した社の見解を簡単な内容でかまわないので掲載してほしい。」と再度申し出ました。
文化生活部長は、社に持ちかえって検討することになりました。その日の夕方、文化生活部長から私に電話で、「社として、中島さんの申し出を受け入れ、お断りの記事を掲載することになった」との連絡がありました。そして、上記の記事が、その2日後に掲載されました。
訂正記事自体は、小さく目立たないものですが、文化生活部長の説明では、「熊本日日新聞社が、差別語や不快語を掲載したことをめぐって『お断り』記事を出したことは初めてのこととされ、おそらく他の新聞社でも例がなく、新聞社として一つの改革となる」ということでしたから、大きな意味があると思われます。
「混血」が差別表現であることは、2年前に大手メデイアのなかで最も遅かった朝日新聞社も差別表現として認めるようになりましたので、新聞メデイアでは、ほぼ定着してきています。しかし、今回の熊本日日新聞社で、何重もの校正チェックをへて紙面化されるのを通過して、見出し記事に使われることが再発したことからも、その内部の意識は、「混血」表記が差別表現としての自覚が徹底されていないことを示しています。
今回の熊本日日新聞社のケースは、その社の用字行政に反して、誤って差別語や不快語を使用した場合に、新聞社として、その紙面にお詫びや削除記事を掲載するという先例ができたことになります。
10年前から日比国際児の問題に取り組む中で、その救済の取り組みとともに、「混血児」や「混血」を差別表現としてやめさせることをめざしてきましたが、今回の熊本日日新聞社の「お断り」記事の掲載で、新たな段階に進むことができました。
資料 抗 議 申 入 書
熊本日日新聞(2005年10月29日朝刊)掲載の散文月評(古江 研也)「羊の闘い」の見出し「混血の牧師の生涯をたどる」の「混血」表現について
熊本日日新聞社殿 2005年 10月30日
貴社への「混血」表記に関しての抗議申し入れは、今回で2度目です。2002年6月23日に掲載された『アメラジアンの子供たち』を紹介する書評の記事の見出しが、「米亜混血児の集合的履歴」となっていた問題で、同年7月3日付で、「コムスタカ―外国人と共に生きる会」と「アメラジアンの教育権を考える会」の2団体で質問と申し入れを行いました。
同年7月10日に貴社に回答と説明を聞きにいった際、応対された貴社の矢加部和幸文化生活部長(当時)から、「今回の記事の見出しは、共同通信社配信の記事にはなかったものを、熊本日日新聞社の編集局で独自につけたもので、社としてチェックミスであり、お詫びしたい。」「熊本日日新聞社は、差別語や不快語の使用基準を共同通信社の『新聞用字用語集』(2001年3月 第9版)に基づいて行っており、このなかで『混血児・合いの子』という表現について、使用を避ける。なるべく、『父が日本人で、母がドイツ人という国際児童』などと具体的に書くように心掛ける。」と記載されており、社内でこの用語への使用をさける事が徹底されておらず、編集部の方でわかりやすくするため見出しに使用し、それをチェックできなかった。
今後は、社内の部会で報告し、文書で社内に使用を避けるように徹底する」という回答と説明を受けました。私たちの申し入れに対して、貴社から受け入れる回答を得る事ことができましたので、今後回答されたとおりに運用されていくか、私たちのほうでも紙面を監視していきたい旨を述べ、その回答と説明を了解しました。
この問題では、貴社の同年10月23日付熊本日日新聞社の取材や報道のあり方を検証する「読者と報道を考える委員会」の第2回会合の報告記事のなかでも取り上げられ、貴社の矢加部和幸文化生活部長(当時)は「中島さんと面談し、認識不足とチェックミスで、今後認識の徹底を図ると回答、了解を得た」と記載されています。
しかしながら、あれから3年以上をへましたが、貴社の文化欄の記事(2005年10月29日朝刊第25ページ9 「散文月評」 古江 研也氏の『羊の闘い』(藤坂信子 熊日出版 8月)の見出しが、「混血牧師 生涯をたどる」となっていました。
古江研也氏の記事中の表記も、「日米混血児として熊本で生まれ」とかかれていますが、貴社が依拠している差別語や不快語の使用基準を共同通信社の『新聞用字用語集』(2001年3月 第9版)に基づけば、「日本人とアメリカ人の両親から熊本で生まれた」と表記すべきものであり、著者にも、記事中の「混血児」表記が差別表現であるということへの無自覚さがあると思われます。
しかし、「混血の牧師生涯をたどる」の見出しは貴社の編集部の判断と責任でつけられています。
なぜ、3年前の回答と説明があったにもかかわらず、今回も貴社の文化欄で、同じことが繰り返されることになったのか、その事実経緯を説明してください。また、貴社の「混血児」表記への3年前の回答と説明が変わっていないのであれば、今後の再発がなされないように貴社内部で認識の徹底とそのための具体策を実施してください。
その上で、貴社の同年10月23日付(熊本日日新聞社の取材や報道のあり方を検証する「読者と報道を考える委員会の第2回会合の報告記事の「苦情処理」の見出し記事のなかで、「批判への対応紙面化」の見出しがつけられ、田尻委員から「処理までの経緯を示す方が、マスコミの説明責任が果たせ透明性につながる」との指摘や、林田委員から「『この見出しは適切でなかった』というお断りをだすことは、新聞社の恥ではなく読者への周知の意味もある、記事に対する注文苦情に対する処理の紙面化は勇気がいることだが、開かれた新聞に向けて検討してもらいたい重要な課題だ」との指摘がなされています。
今回の問題の事実経緯や今後の貴社の見解や対応や「混血(児)」の表記が適切でなかったことなどを貴社の紙面で明らかにしてください。
2005年10月31日
中島 真一郎(コムスタカ―外国人と共に生きる会)
添付資料
1、貴社の「散文月評(古江研也)」の記事(2005年10月29日朝刊)の写し
2、2002年7月3日付 貴社への「質問及び申入書」の写し
3、熊本日日新聞社の取材や報道のあり方を検証する「読者と報道を考える委員会」の第2回会合の報告記事(2002年10月23日)の写し
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