マスコミ等に「混血児」を差別表現として認めさせ、
替わりに国際児などを使用すること求める行動の経過報告
中島真一郎
2002年7月12日
1994年以降、日本人父親とフイリピン人母親の間に生まれ、日本人父親から養育を放棄されている日比国際児(JFC―ジャパニーズ・フイリピーノ・チルドレン)の問題に取組み、最も解決が難しい日本に住所のないフイリピン在住の母子の問題を中心に、養育を放棄している父親と交渉したり、調停や裁判という司法的手段で問題を解決してきました。
また、この問題を取組む中で、国籍や人種や民族が異なる父母から生まれた子を、「純血児」に対比される言葉である「混血児」と呼ぶことは差別表現であるとして、漢字表現を行う場合には、「国際児」を使用してほしいと提唱し、「混血児」を使用するマスコミやNGOに申し入れを行っていきました。1995年秋のJFC―ジャパニーズ・フイリピーノ・チルドレン問題の九州内の集会から、「日比混血児」に代わって日比国際児を使用し、また1996年4月下旬に福岡市で開催された第1回移住労働者問題全国フォーラムの分科会でも、日比国際児という言葉を使用しました。以後、全国各地の移住労働者の人権問題に取組むNGOの多くで、「混血児」にかわって、国際児が使用されるようになっていきました。
そして、4年前まで、マスコミのなかで「合いの子」は差別表現として認識されていましたが、「混血児」は差別表現として認識されておらず、わかりやすく知らせるためという理由で使用され続けていました。しかし、国際化が進む日本社会の時代状況を反映し、また、この間の私たちの申し入れ行動の影響もあってか、マスコミのなかにも「混血児」の表現を差別表現と認識するところがあらわれ、2002年7月の熊本日日新聞社への質問と申し入れに対する回答のなかで、共同通信社が2001年3月改定の「記者ハンドブック 新聞用字用語集」(第9版)において、「『混血児・合いの子』→使用を避ける」と明記していることがわかりました。熊本日日新聞社をはじめ全国の地方紙の多くは、共同通信社の「記者ハンドブック 新聞用字用語集」(第9版)に基づいて用語行政を行っていますので、共同通信社およびその配信の受ける地方紙に関しては私たちのこれまで主張してきたことが実現したことになります。マスコミも横並び体質の世界ですから、他の大手マスコミも含めて早晩同様な用語行政の扱いとなると思われます。
以下、これまでの「混血児」を使用した出版社、NGO、マスメデイアへの要望や質問・申し入れを行動の経過です
(1)岩波ブックレクト編集部
1998年1月に岩波ブックレクト「日本のお父さんに会いたい---日比混血児はいま」(松井やより編)が出版されたことに対して、1998年3月『「混血児」表現の再検討を求める要望書』を、松井やより編者と岩波書店ブックレクト編集部に提出し、岩波書店のブックレクト編集部との話し合いを持ちました。また、「日比混血児を支えるネットワーク」(松井やより)に対しても、会の名称から「混血児」を使用しないように変更してほしいとの要望書をコムスタカ―外国人と共に生きる会から提出しました。(1,998年7月から「日比混血児(JFC)を支えるネットワーク」は、「JFCを支えるネットワーク」に名称変更がなされました。)
(2)毎日新聞社
1,998年6月19日付け毎日新聞「日比混血児の父親証明 NGOがDNA鑑定へ」という見出しの記事にたいして、「混血児」の表現を差別表現と認め、今後使用しないようにしていただきたいとの毎日新聞編集局長当ての要望書を1999年8月にコムスタカ―外国人と共に生きる会として提出しました。
(3)朝日新聞社
2000年6月28日付朝日新聞「沖縄の中学教諭 アメラジアンスクールへ行け、混血児の生徒に暴言」との記事に対して、朝日新聞西部本社編集局宛てに、「混血児」表記に対する質問と申し入れ書を、コムスタカ―外国人と共に生きる会(事務局 熊本市)、ATLAS(事務局鹿児島市)、アジアに生きる会(事務局福岡市)、アジア女性センター(事務局福岡市)の九州内のNGO4団体で2000年7月に申し入れを行いました。また、沖縄のNGOであるアメラジアンの教育権を考える会からも賛同を得ました。
(朝日新聞西部本社からは、申し入れを受けて沖縄の那覇支局では、「混血児」という表現が歴史的な用語として記載がやむをえないと判断される時は以外は今後使わないことを決めた、また、西部本社としても今後使わない方向で議論を進めたい、読売新聞社は「混血児」という表現の使用を避けているようで、紙面に出てきていないことがわかった。朝日新聞社としてもできるだけ避ける方向で検討したいとの前向きな回答が寄せられました。)
(4)NHK
2001年1月7日放送のNHK「新アジア発見、お父さん 私たち生きていますーーー フィリピン・日比混血児は今」のタイトル表現について、2001年2月27日NHK熊本放送局に対して、九州内のNGO3団体コムスタカ―外国人と共に生きる会(事務局 熊本市)、ATLAS(事務局鹿児島市)、アジアに生きる会(事務局福岡市)で質問と申し入れを行いました。
(この番組を制作したNHK広島放送局から2001年3月に「『混血児』という表現は、一定の問題のある言葉と認識しつつも、この言葉を使わないと問題点や本質を端的にわかりやすく伝えられない,替わる言葉として国際児という提案も、現在理解が行き届きかねる言葉で置き換えて使うことが難しい状況と判断しており、今後とも原則的には使用し続ける。しかし、国際児という言葉がNGOの間で使用されていることは知っており、今後その言葉が定着していけば、NHKとしてもその言葉になるであろう」という内容の回答でした。
(6)熊本日日新聞社
2002年6月23日付け熊本日日新聞社のアメラジアン問題の本の紹介記事に「米亜混血児の集合的履歴」という見出しが使われていたことへの質問と申し入れ書を、7月3日にコムスタカ―外国人と共に生きる会とアメラジアンの教育権を考える会の2団体で熊本日日新聞社に対して郵送しました。そして、2002年7月10日に回答を聞きに行きました。
熊本日日新聞社からは、「今回の記事の見出しは、共同通信社配信の記事にはなかったものを、熊本日日新聞社の編集局で独自につけたもので、社としてチェックミスであり、お詫びしたい。」「熊本日日新聞社は、差別語や不快語の使用基準を共同通信社の『新聞用字用語集』(2001年3月 第9版)に基づいて行っており、このなかで『混血児・合いの子』という表現について、使用を避ける。なるべく、『父が日本人で、母がドイツ人という国際児童』などと具体的に書くように心掛ける。」と記載されており、社内でこの用語への使用をさける事が徹底されておらず、編集部の方でわかりやすくするため見出しに使用し、それをチェックできなかった。今後は、社内の部会で報告し、文書で社内に使用を避けるように徹底する」という回答を受けました。
今回の申し入れで、共同通信社が、1997年3月の第8版の『記者ハンドブック 新聞用字用語集』までは、差別語・不快語として「混血児」を含めていませんでしたが、2001年3月の第9版から「合いの子・混血児」も「差別語・不快語として使用を避けるように」と明記されている事がわかり、私たちの申し入れを熊本日日新聞社から受け入れる回答を得る事ことが出来ました。今後回答されたとおりに運用されていくか、私たちのほうでも紙面を監視していきたいと思います。
熊本日日新聞社2002年6月23日掲載の書評『アメラジアンの子供たち』の見出し「米亜混血児の集合的履歴」の「混血児」表現について
熊本日日新聞社殿 2002年 7月3日
1、 日比国際児問題に取り組むNGOとして
コムスタカ―外国人と共に生きる会は、1985年の結成以来、熊本県内や九州内在住の外国人の人権擁護のための活動を行っています。また、日比国際児問題(JFCージャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン)に取り組んでいます。この問題は、日本人男性によるフィリピン女性や子どもへの重大な人権侵害問題であるとともに、子どもの養育責任を放棄している無責任な男性を容認し、放置している日本政府や社会のあり方が問われている社会問題である、と私たちは考えています。1994年以降フィリピンのNGOであるバティスセンター・フォー・ウイミンから日本人父親を探し交渉してほしいと依頼をうけ、九州内に居住している父親との交渉や、家庭裁判所への調停・審判申立や地方裁判所への認知訴訟を通じて問題を解決してきました。(2001年11月10日熊本日日新聞の掲載記事参照)
この問題に取り組むなかで、マスコミ各社に「混血児」は、以下のような理由で差別表現であるとして、これまで、今後使用しないこと、そして代わりに「国際児」または、「JFC(ジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン)」を使用してほしいとの要望を行ってきました。
2、沖縄では、行政、マスコミ、NGOも「混血児」を差別表現として 使用していません。
駐留米軍基地が集中する沖縄では、アメリカ人の父と日本人の母親から生まれてき た子どもについて「合いの子」や「混血児」との呼称が過去使われてきました。しかし、沖縄のNGOである『アメラジアンの教育権を考える会』は「合いの子」や「混血児」を差別表現と批判し、自らをアメリカ人と日本人の間に生まれた子としてアメラジアンと名乗っています。また沖縄の行政や地元マスコミは、アメラジアンを漢字表現する場合には、現在では「混血児」ではなく国際児を使用しています。(2000年6月28日 沖縄タイムスの記事 参照)
3、 「混血児」という言葉の差別性について
「混血児」は、「純血児」との対比で使われています。「純血」と「混血」は、対等な関係になく、「純血」が優位に、「混血」が劣位に置かれた上下関係にあるもとして使われています。子どもは、あくまで個人としての父母の間に生まれるものであり、父母の間の人種や民族や国籍の違いにより差別されるべきではないと思います。
日本人の父母の間に生まれて来た場合も、母親と父親の「血が混じって」生まれてくることには違いないので、人種や民族や国籍が異なる父母の間から生まれてくる子どもと同様に「混血児」と呼ばれてよいはずですが、前者の場合は、通常呼称がなく、ただ、後者の場合の「混血児」と対比された場合にのみ、「純血児」と呼ばれます。実際問題としても、人種や民族や国籍の異なる父母により生まれてきた子どもが、日本社会の中の地域や、学校で「混血児」と呼ばれていじめられてきています。この場合、「混血児」が、侮蔑的意味で使われているのに対して、仮に反論として「純血児」といったところで侮蔑的意味にはなりません。このことからも「混血児」が差別的表現であることは、あきらかだと思います。
4、 質 問
2002年6月23日に掲載された『アメラジアンの子供たち』を紹介する書評の記事の見出しが、「米亜混血児の集合的履歴」となっています。この記事自体は共同通信社の配信による記事と思われますが、同じく共同通信社配信のこの本の書評を掲載した沖縄タイムスの記事(20002年6月15日)では、見出しは「時代を映す鮮度のよい鏡」となっており、熊本日日新聞の編集部の判断で見出しがつけられたと思います。なお、この書評の文の著者である仲里 効氏(編集者)は、文中で「混血児」と「ハーフ」を括弧つきで使っており、その差別性を自覚して、これまでの呼称として文脈上必要なものとして引用していますので、差別表現とは思いません。しかし、『米亜混血児の集合的履歴』という見出しは、アメラジアンの漢字表現として、あえてつけられています。なぜ、「混血児」という差別表現を見出しで使用したのか、その理由を明らかにして下さい。また、今後とも「混血児」の表現を使用しつづける意向であるのかをここにあきらかにして下さい。
5、 申 し 入 れ
貴社において、「混血児」を差別表現と認め、今後二度と「混血児」という言葉を使用しないで下さい。 貴社以外にも、マスコミの多くはこれまでは「混血児」との呼称を使用してきました。そこで、「混血児」に変わる日本語の呼称が必要と考え、私たちは日本人とフイリピン人の間に生まれた子は、JFCージャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン(日比国際児)、日本人とアメリカ人の間に生まれた子は、アメラジアン(日米国際児)の呼称を使用することにしています。現在では、人権問題に取り組むNGOや、マスコミの報道でも、漢字で表すときは「混血児」にかわり国際児という言葉が使われてきています。今回の申入れを機会に、貴社のなかで十分議論し、今後「混血児」を差別表現と認め、二度と「混血児」という表現が使われることのないように申し入れます。
申し入れ団体
コムスタカ―外国人と共に生きる会(鈴木明郎代表)
連絡先 〒860-0845熊本市上通町3−34 手取カトリック教会
連絡担当者( 電話096-383-4136 中島 )
アメラジアンの教育権を考える会(セイヤーミドリ代表)
連絡先 〒901-2223 沖縄県宜野湾市大山3-13-16
電話 098-898-4255