コムスタカ―外国人と共に生きる会

日比国際児問題


「読売新聞社用語委員会より、「日比混血児」の見出し記事への質問と 申し入れへの文書回答がきました
中島真一郎
2006年2月27日

はじめに

 2006年1月24日(火曜日)付け記事、特派員メール フイリピン(マニラ 遠藤富美子)「日比混血児と母親に支援必要」との見出しの「日比混血児」表現について、2月4日付で質問と申出書(資料2)を、添付資料をつけて送りました。2月17日付けで、読売新聞社用字委員会の名前で文書回答(資料1)がありましたので紹介しておきます。

 読売新聞社用語委員会の回答の論理を順に追っていくと、
@ 2005年2月まで、「人種・民族の違う男女の間に生まれた子」について、「あいのこ」は差別的言葉として認めて使用をさけ、「混血児」とする社内基準を設ける方針をとってきた。
A 2005年3月より、「混血児」にも差別的なニュアンスを否定できない面もあるところから「あいのこ」「混血児」については使用を避ける社内基準を新たに設けた。単に、別の語に言い換える換のではなく、そもそもそのことを述べる必要があるかどうかを見極め、記事の本質に関係のない部分では、そうした事実に触れないようにしている。
B 当該記事は、「出稼ぎ先の日本で日本人男性の子供を妊娠したが、養育を放築された母子への支援を訴えており、「混血児」という事実を隠しては、事の重要性が伝わりません.こうした文脈での使用は差別意識の助長にはつながらず、むしろ差別的な実態を少しでも改善するきっかけにもなるのではないか」と判断した。(新たに設けた社内基準にも抵触しないと判断した。)
C 今回の件のご指摘を受けて、用語委員会を中心に編成部、政治部、社会部、国際部、生活情報部、社会保障部、校閲部など、編集各部を集め、こうした判断につき誤りがなかったのか、あらゆる文脈においてこの言葉を禁止すべきか、協議を重ねた。
D 多くの読者を持つ新聞としては「国際児」という言葉は、認知度の点でも現状としては使いにくい。(簡潔な言葉で言いかえができないと新聞の見出しとしては使えない)
E 「混血児」が「純血児」ではない子どもをおとしめるためにできた根拠は見つからなかった。[純血児」という語はどの辞書にも掲載はなく、実際にも使われていません。「混血児」のある側面をとらえると「純血児」という概念が想定できるということではないかと思われます。「混血児」という言葉自体に本来差別性が含まれていると言い切ることに異論があった。
F 仮に「混血児」そのものが差別性はなかったとしても、実態としてこの語を 用いて差別され、傷つく人かいるかぎり、安易に使用すべきでない語であることにはかわりないと考える。
G そのため、差別の現実とそこからの救済という趣旨を読者によく理解してもらうために使わざるを得ない場合も、その意図に反して差別を助長する可能性はないかどうか、よく比較考量して.できるだけ別の表現で説明するなど、この語を避ける工夫をするという原則は変更すべきでないと結論するに至った。
H 現場の記者に対してもいっそうの注意喚起を心がけていきます。



 この回答書を読んでも、「混血」は「純血」に対比された言葉で両者は対等な関係になく優劣関係にあり、「混血児」自体が差別表現であり、使用を控えてほしい、もしどうしても置き換えが必要な時は、「国際児」、「JFC」を使ってほしいという申し出に対して、今後とも日本人とフイリピン人の間で生まれた子どもの問題などで、「混血児」という表記や見出しが使われていくことになるのか、使用を控えるようになるのかよくわかりませんでした。 そこで、私の質問と申し出に対して、文書回答がなされたこと、読売新聞東京本社で用語委員会を中心に編成部、政治部、社会部、国際部、生活情報部、社会保障部、校閲部など、編集各部を集め、協議を重ねた結果の回答であることを評価したうえで、その回答書の意味がわかりにくいので、2月27日午前中、読売新聞社用語委員会のこの回答書を取りまとめられた方と電話で話をして、その意味を確認しました。

 2005年3月の「あいのこ」や「混血児」の使用をひかえるという社内基準の原則を再確認したこと、置き換え語として「国際児」は認知度が低く使えないと判断していること、従って、「混血児」は、そもそもそのことを述べる必要があるかどうかを見極め、記事の本質に関係のない部分では、そうした事実に触れないようにしているが、差別の現実とそこからの救済という趣旨を読者によく理解してもらうために使わざるを得ない場合〔見出しは簡潔な語でないと見出しに使えない〕には、使用する場合もある。但し、その場合でも、その意図に反して差別を助長する可能性はないかどうか、よく比較考量して、できるだけ別の表現で説明するなど、この語を避ける工夫をするということになる。

 今回の申し出を契機に、その申し出の趣旨と社内基準の原則を社内で再確認し、現場記者にも通知する処置をとった。

 差別の現実や子ども達の厳しい環境からの救済をめざした記事を積極的に掲載していく所存だが、その場合にも社内基準の原則が適用されていくので、今後は「混血児」の使用は減っていくであろうということでした。2001年の共同通信社、2004年の朝日新聞社についで、

 2005年3月から読売新聞社にも「混血児」の使用を避けるという用字委員会による社内基準が設けられていることが確認できたたこと、その運用の判断をめぐって会議が関係者によりおこなわれ読売新聞社でその社内基準の原則を再確認し、社内で通知する処置が取られたこと、「差別の現実とそこからの救済という趣旨を読者によく理解してもらうために使わざるを得ない場合にも、その意図に反して差別を助長する可能性はないかどうか、よく比較考量して、できるだけ別の表現で説明するなどこの語を避ける工夫をするということになる。」

ということが確認できたことは大きな前進と思います。

 私もよく理解できない回答書でしたので、読売新聞社の現場記者も混乱するとおもわれます・この回答がすっきりしないわかりにくいものとなった背景には、「あいのこ」が差別表現として確立して使用を避けることが共有化されているのに比べて、「混血児」が差別表現であるという認識が共有化されていないこと、わたしたちと同様な問題を扱っているNGOの中に、回答書のなかにもふれているように「混血児」でないと読者には伝わらない、「混血児」は事実であり差別でない、とする意見をもつ人や団体が根強く存在していることがあると思います。 言葉の置き換えで問題を安易に解決しないことに、私も賛成です。それは、同時に何ら自覚なしに「混血児」を使い続けてよいということを意味するわけではありません。その言葉の意味を検討し、それが差別的表現と共有できるのであれば使用を避け、多文化共生社会にふさわしい言葉を創造していけばよいと思います、今後、読売新聞社が、この回答書にあるように、「差別の解消、子どもたちのおかれた厳しい環境からの救済をめざした記事を積極的に掲載していく」ことがおこなわれるのか、その場合見出し記事がどうなるのかについて、今後監視して行きたいともいます。



以下、資料として質問書と回答書の前文を掲載しておきます。


資料1、回答書

 コムスタカ―外国人と共に生きる会 日比国際児問題担当
 中島眞-郎様
 2006年2月l7日
 読売新聞社用語委員会
 前略
 日ごろ競売新聞をご愛読いただき心より御礼申し上げます.

 2006年1月24日付朝刊に掲織されたΓ日比混血児と母親に支援必要」の見出し・ 記事本文についで、『混血児』は『純血児』との対比で使われるので.差別表現であり『国際児』、JFCを使用すべきである」との趣旨の申し入れを受けました.社内関係部署が集まり検討した結果についで、紙面で使う用栢の検崗を主任務とする用語委員会から回答させていただきます。

 読売新聞では、「人種・民族の違う男女の間に生まれた子」について、従来「あいのこ」などの差別的な言葉をさけ、「混血児」とする方針をとってきました。しかし、「混血児」にも差別的なニュアンスを否定し得ない面もあるところから、昨年より、「混血児」の扱いについても注意すべく努めてまいりました。単に、別の語に言い換えるのではなく、 そもそもそのことを述べる必要があるかどうかを見極め、記事の本質に関係のない部分では、そうした事実に触れないようにしております。単に機械的に言い換えるだけでは、差別の本質が変わらない以上、その言い換え語もやがて差別的に受け止められるようになってしまうからです。
 当該記事では、出稼ぎ先の日本で日本人男性の子供を妊娠したが、養育を放築された母 子への支援を訴えており、「混血児」という事実を隠しては、事の重要性が伝わりません. こうした文脈での使用は差別意識の助長にはつながらず、むしろ差別的な実態を少しでも 改善するきっかけにもなるのではないかと判断しました。
 ところが.件のご指摘を受けましたので、こうした判断につき誤りがなかったかどぅか、 あらゆる文脈においてもこの言葉を禁止すべきかどうか、改めて用語委員会を中心に.編成部、政治部、社会部、国際部、生活情報部、社会保障部、校閲部など、編集各部を集め、 協議を重ねました。また‐貴団体と同趣旨の活動をされている組織・団体からも聞き取り 調査をいたしました。

 他の支握団体の中には. 「混血児」の表現をことさらに避け、 Γ国際児」と言い換えることが逆に事の本質を覆い隠す懸念があるとする見解をよせてくれたところもありまし た。多くの読者を持つ新聞としては、 「国際児」は、認知度の点からも現状では使いにくい部分があります. 母子救済の必要性、重大性を.この問題を知らない一般の人々に強く印象づけるために は、むしろ「混血児」とした方が効果的ではないかとの判漸も成り立ちます.また「混血児」は「純血児」ではない子供をおとしめるためにできた語であるという根拠は見つかりませんでした. [純血児」という語はどの辞書にも掲載はなく、実際にも使われていません. 「混血児」のある側面をとらえると「純血児」という概念が想定できるということではないかと思われます。「混血児」という言葉自体に本来差別性が含まれていると言い切ることに異論がありました。

 とはいえ、仮に「混血児」そのものが差別性はなかったとしても、実態としてこの語を 用いて差別され、傷つく人かいるかぎり、安易に使用すべきでない語であることにはかわ りないと考えます。そのため、差別の現実とそこからの救済という趣旨を読者によく理 解してもらうために使わざるを得ない場合も、その意図に反して差別を助長する可能性は ないかどうか、よく比較考量して.できるだけ別の表現で説明するなど、この語を避ける 工夫をするという原則は変更すべきでないと結論するに至りました。現場の記者に対して もいっそうの注意喚起を心がけていきます。 今後とも、読売新聞としては.差別の解消、子どもたちのおかれた厳しい環境からの救 済をめざした記事を積極的に掲載していく所存です.ご理解いただければ幸いです。

草々






資料2 質問及び申入書

読売新聞社東京本社殿

2006年2月

2006年1月24日(火曜日)付け記事、特派員メール フイリピン(マニラ 遠藤富美子)「日比混血児と母親に支援必要」との見出しの「日比混血児」表現について

1、質問と申し入れ

 これまで、読売新聞社は、他のマスコミに先行して、用字行政として貴社の「新聞用字用語集」の中で「合いの子や混血児の使用を避ける」基準を設け、その使用に対して配慮をしてきたと聞いていました。(西部本社読者センター において確認済み)
 しかしながら、2006年1月24日付の記事に、私たちNGOがこれまで差別表現として批判してきた「日比混血児」の見出、及び記事中にも「日比混血児」や「ジャピーノ」がつかわれています。
 なぜ、読売新聞社は、社内の不快用語・差別語の使用基準があるにもかかわらず、「混血児」という差別表現を見出し及び記事の中で使用したのか、その理由を明らかにして下さい。また、今後とも「混血児」の表現を使用しつづける意向であるのかをあきらかにして下さい。
 そして、今回の申入れを機会に、読売新聞社のなかで十分議論し、今後『混血児』を差別表現と認め、二度と「混血児」という表現が使われることのないように申し入れます。また、読売新聞社として、「混血児」という表現が不適切な表現であると認められ、社内基準に違反したチェックミスであるとされる場合には、再発防止のための措置の徹底とともに、同封の熊本日日新聞社の「お断り」記事(※2005年11月11日 参考資料1)のように、読売新聞社の見解を新聞紙面上であきらかにして下さい。

2、日比国際児問題に取り組むNGOとして

 私たちは、日比国際児問題(JFC-ジャパニーズ・フイリピン・チルドレン)に取り組んでいるNGOです。この問題は、日本人男性によるフイリピン女性や子どもへの重大な人権侵害問題であるとともに、子どもの養育責任を放棄している無責任な男性を容認し、放置している日本政府や社会のあり方が問われている社会問題でもあると考えています。1994年以降フイリピンのNGOであるBatis Center for Women(バテイスセンターフォーウイミン)から,日比国際児の日本人父親を探し交渉してほしいと依頼をうけ、九州内や全国各地に居住している父親との交渉や、家庭裁判所への調停・審判申立や地方裁判所への認知訴訟を通じて解決してきました。(依頼件数45件、うち25件が2005年12月末時点で解決)

3、 「混血児」表記の差別性について

 「混血児」は、「純血児」との対比で使われています。「純血」と「混血」は、対等な関係になく、「純血」が優位に、「混血」が劣位に置かれた上下関係にあるもとして使われています。子どもは、あくまで個人としての父母の間に生まれるものであり、父母の間の人種や民族や国籍の違いにより差別されるべきではないと思います。
 個人としての父母の間に産まれてくる子どもを、「血が混じる」という血統を示す表現で表すことが差別になります。日本人の父母の間に生まれて来た場合も、母親と父親の「血が混じって」生まれてくることには違いないので、人種や民族や国籍が異なる父母の間から生まれてくる子どもと同様に「混血児」と呼ばれてよいはずですが、前者の場合は、通常と呼称がなく、ただ、後者の場合の「混血児」と対比された場合にのみ、「純血児」と呼ばれます。この場合、「混血児」が、侮蔑的意味で使われているのに対して、仮に反論として「純血児」といったところで侮蔑敵意味にはなりません。このことからも「混血児」が、差別的表現であることは、あきらかだと思います。
 実際問題としても、人種や民族や国籍の異なる父母により生まれてきた子どもが、日本社会の地域や学校で「混血児」と呼ばれていじめられたり、差別を受けています。

4、「混血児」を使用したマスコミ各社への申し入れ

 日比国際児問題に取り組むなかで、「混血児」との差別表現をし続ける出版社やマスコミ各社(岩波書店、毎日新聞社、朝日新聞社、NHK、熊本日日新聞社など) に「混血児」は差別表現であるので今後使用しないこと、そして代わりに「国際児」または、「JFC(ジャパニーズ・フイリピン・チルドレン)を使用してほしいとの要望を行ってきました。
 この問題に対する、マスコミ各社の姿勢も次第に変化し、「混血児」を差別表現と認め、今後使用しないと回答するところも現れてきました。2002年6月23日付け朝刊読書面の書評『アメラジアンの子供たち』の見出しに『混血児』を使用したことへの熊本日日新聞社への申し入れを行いました。これに対しては、熊本日日新聞社から、同社が差別語・不快用語の使用基準を依拠している共同通信社の「記者ハンドブック新聞用字用語集」(第9版 2001年3月改定)に、「混血児」について使用を避けると明記されるようになっていたのに、「認識不足とチェックミスで見出しに使用してしまった。「混血児」について、今後認識の徹底をはかる」と回答( ※ 参考資料2)がありました。
 また、朝日新聞社も、2004年1月に、朝日新聞社西部本社だけでなく朝日新聞社全体の問題として東京本社社会部と用語幹事とが検討を重ねた結果、全社として「混血児という表現は避ける」との結論に達したという回答(※ 参考資料3)がありました。
 また、熊本日日新聞社が、2005年10月29日付け朝刊文化面での見出しに「混血の牧師」が使用された問題で再度抗議したところ、2005年11月11日付朝刊で、「お断り」の見出し記事の中で、「10月29日付け朝刊文化面「散文月表」中の「混血の牧師」の表現は不適切でしたので削除します。『混血』は、これまで差別やいじめを招いた歴史を持つ表現だとして、熊日では使用しないようにしてきました。しかし、今回、チェックが不十分なまま掲載しました。」との見解が表明されました。

申入団体 コムスタカ―外国人と共に生きる会

連絡先 〒860-0845 熊本市上通町3−34 手取カトリック教会    日比国際児問題担当   中島 真一郎