コムスタカ―外国人と共に生きる会

中国残留孤児の再婚した妻の娘2家族7人の退去強制問題


「元中国残留孤児井上鶴嗣さんの再婚した妻の娘2家族7人の退去強制問題報告――3月6日判決前夜の集会、7日逆転勝訴判決、13日東京での支援集会、14日法務省との交渉、15日南野法相上告断念、24日在留特別許可による在留資格付与、27日勝利祝賀会―勝利した激動の3週間の報告 その2
中島真一郎
2005年3月31日

報告4、

南野法務大臣平成17年3月7日 福岡高裁裁判所判決に対して上告断念を表明。逆転勝訴の高裁判決が確定し、遂に政府(法務省入国管理局)に処分の違法を認めさせ、勝利しました。 (3月16日 記)

1、政府が、上告を断念しました。

3月13日の東京での支援集会や翌日の14日の法務省への要請行動を終え、3月15日お昼過ぎに熊本に帰ってきました。3月13日の東京での支援集会、3月14日の法務省への要請行動は、共同通信の配信で熊本日日新聞に掲載されていました。その日の午後3時過ぎにマスコミの人から「政府(法務省)が3月7日の福岡高裁の敗訴判決に対して、上告断念を決定し、午後5時過ぎに大臣が法務省記者クラブで会見を行う」との連絡がはいりました。

法務省記者クラブ所属の記者に確認したところ、「上告断念」で間違いなく、一部マスコミは速報で流しているとのことでした。夕方5時半ごろに、藤田衆議院議員(民主党)から電話があり、以下の法務大臣コメントをFAXで送信してくれました。

「平成17年3月7日の福岡高等裁判判決に対する大臣コメント

平成17年3月15日  法務省

今日7日に福岡高裁において判決のあった中国残留孤児井上鶴嗣さんの家族である井上菊代さんほか6名の方に関する退去強制令書発付処分取り消し訴訟等請求控訴事件につき、上訴しないこととしました。

今回、今の決断をしましたのは、菊代さんが鶴嗣さんの実子以上の存在であったことなど、指摘した福岡高裁の判決の趣旨を踏まえ、このような本件についての特段の事情を総合し、上訴しないこととしたものです」

政府―法務省は、3月7日の福岡高裁で逆転敗訴した判決(訴訟費用はすべて被控訴人の負担となっていますから。政府―法務省の行った処分が違法であるという認定を受けた政府の全面敗訴の判決)を、最高裁に上告した場合の世論の批判や、上告しても高裁判決をひっくり返すことが難しいこと、もし最高裁で確定したときの影響力の大きさ考慮して、最高裁への上告を断念して、高裁判決を確定させる「苦渋の選択」に追い込まれました。

3月7日の福岡高裁の逆転判決から8日めで高裁判決が確定することになり、元中国残留孤児井上鶴嗣さんの再婚した妻の娘2家族の7人に在留特別許可により在留資格が付与され、7人の退去強制問題は、政府(法務省)を打ち負かし、控訴人7人や井上鶴嗣さんら家族、弁護団、支援団体の勝利により解決にいたることになりました。

2、政府の上告断念表明を受けての熊本市内での記者会見

午後4時過ぎから私のところにもマスコ各社から電話が入りだし、熊本県警記者クラブ幹事社からの電話の際の要請で、記者会見をすることにしました。

当初熊本県菊陽町で会場を探しましたが、適当なところが確保できず、熊本県警記者クラブの幹事社の記者と相談したところ、記者クラブが熊本市内のホテルの部屋を記者会見会場として確保して、そこに井上鶴嗣さんと琴絵さん夫妻や控訴人井上菊代と由紀子や井上浩一さんや井上晴子ちゃん、弁護団として私、支援団体として井野さん、寺岡さんが出席して、午後7時から記者会見を行いました。

熊本県内のマスコミのほぼ全社(テレビ5社、新聞7社)の20名あまりが参加しました。 出席者の紹介と井上鶴嗣さん及び井上琴絵さん夫妻、控訴人の井上菊代さん、由紀子さん浩一さん、晴子ちゃんがそれぞれ、上告断念のニュースを聞き、その喜びとこれまでの3年4ヶ月の苦労やその思いをそれぞれの言葉で語りました。 弁護団のコメントを紹介し、支援団体の立場から井野幸子さんと寺岡良介さんが感想を述べました。

次に、記者からの質問に移り、その中で3月13日の法務省要請行動の際に、法務省が「訴訟当事者及び代理人は法務省の敷地内に近づくな」という対応をされことと、翌日の上告断念の報告を聞かれて、どう思われるか」という質問が出ました。

井上鶴嗣さんは、「上告断念は本当にうれしい。しかし、昨日の法務省の対応はあまりにも冷たい」といいました。

私から、3月14日にいたる法務省との交渉経緯、6名が参加した交渉の場で、法務省は 「上告断念を求める要請など3項目の要請書や3月13日の集会アピール文や署名用紙を提出した後、以下のようなやり取りをしました。

@上告の有無について、現時点で上告について、「検討中である。」A 福岡高裁の判決については、「重く受け止めている。」 B仮に、敗訴した国から上告がなされた場合に、係争中で確定していない場合についての仮放免はどうなるのかという質問に、「退去強制令書は有効であり、7人の仮放免更新手続きは今後とも必要である。」、C送還の執行停止は控訴審判までで、現在解除されているが、上告がなされ係争中に、仮放免を取り消し強制送還することが可能かという質問については、「法律論として可能かもしれないが、事実上そのようなことはしない。」

C 「訴訟当事者とその代理人が係争中は、法廷以外では会わない」という法務省の方針については、「法令上の明文の根拠はない」こと、「控訴人やその代理人」が法務省の1階ロビーで待機することすらなぜ許されないのかという質問については、「控訴人や訴訟代理人は法務省の敷地内にも近づかないで下さい。」という発言を言うはずがないとして否定しました。

しかし、実際上、控訴人7人と代理人弁護士は、この寒い中法務省前の道路上で待機させられていることをめぐって紛糾しました。(結局、30分の時間が25分ほど伸びましたが、敷地内には入ることができず午後3時からの弁護士会館での記者会見の予定があったので退出しました。)

私達の後に法務省と交渉する予定が入っていたクルド人難民の家族の問題の参加者は、交渉出席者以外の人も、法務省1階のロビーで待機することを法務省は認めたそうです。)

「また、上告を断念した法務大臣に謝罪の要求をされますか」という質問について、井上琴絵さんは、「上告を断念してくれたことに感謝します。謝罪に来てくれなくともよい」と答えていました。

しかし、晴子ちゃんが、私達家族が受けたこの3年数ヶ月間の苦しみや痛みや傷つけられたことに対して、法務大臣は謝罪してほしい」とはっきりいいました。井上菊代さんや井上由紀子さん、井上鶴嗣さんも、2001年11月5日の摘発後から3年間4ヶ月余りの「犯罪者」扱いされて暮らさなければならなかった苦しい生活の日々や収容施設でのつらい思い出を語り、「法務大臣や入管局長から謝罪を求めたい」と述べました。

記者会見の最後に私から以下のような発言をしました。

「 昨日の3月14日の法務省の敷地内に控訴人をいれなかった対応と、3月15日の上告断念の落差、重苦しい灰色の空がトンネルを抜けると青空に一変していったかのような、3月7日高裁判決逆転勝訴以前と以後のマスコミ報道の落差、

私達が要請した3月14日東京の弁護士会館での記者会見(法務省記者クラブ所属記者は3−4名の参加しかありありませんでした)と、今日の東京・福岡・熊本の各マスコミから大量の取材要請との落差はいったいなんですか。その落差がこの事件におけるマスコミのあり方を凝縮しています。

2001年12月2日熊本県庁記者会見室で県政記者クラブの所属記者を対象に、この家族7人を含めた支援者でこの問題について記者会見しました。

熊本県内のマスコミを対象に記者会見するのは、今日が2回目で3年4ヶ月間の間一度もなく、この問題ではこれが最後と思います。

ごく一部の例外を除いて、県内のマスコミ関係者は一度もこの家族を取材にすらきませんでした。それは、入管がこの家族を「日本人を偽装した入管法違反者」とみなし、マスコミも同じ視線で『犯罪者』扱いしていたからだと思います。

逆転判決や法務大臣の上告断念という裁判所や政府の公的機関が「処分が違法」であることを認めた後でようやくマスコミは大量報道しました。

この3年4ヶ月間、家族や支援者は、同じことを訴え続けてきました。公的機関のお墨付きがなければ、取材や報道ができないのであれ、それをジャーナリズムとはいわないのではないですか、なぜ、この3年4ヶ月間に一度も取材しようとしなったのかを省みてください。それがない限り、この家族は、あなたたちマスコミを信用も信頼もしません。」

記者会見の後、井上さん家族や支援者で夕食を郊外の中華料理店で食べました。この3年4ヶ月あまり、2家族7人には常に頭の隅に、いつ退去強制されるかわからないという不安と恐怖が離れることはなかったと思います。その恐怖から本当に解き放たれ、安心して日本で暮らしていけることを実感し、はしゃぎ、笑いながら、のびのびと食事会を楽しみました。控訴人の子ども4人のうち一番年下で問題行動の多かった菊代さんの次男は、中学校を卒業し、高校の定時制を受験していましたが、この日合格の通知が来ました。

3月6日の判決前夜の集会、7日の判決から10日もたっていませんが、控訴人7人の2家族を含め、井上鶴嗣さん家族にいっぺんに早めの春が来ました。

3年4ヶ月間苦労を知っているだけに、控訴人7人の2家族を含め、井上鶴嗣さん家族には、運動の「ヒーロー」や「ヒロイン」となるのではなく、これまでなしえなかった「普通の暮らし」を取り戻し、本人たちが望んでいた「静かな普通の暮らし」をしていってもらいたいと思います。

3、  3・7福岡高裁判決の確定の意義 2005年3月7日福岡高裁判決は、在留特別許可の運用を国際人権条約の趣旨を尊重し、形式ではなく家族の実体を見て判断すること、中国残留孤児問題やその帰国の遅延についての政府の責任を指摘した内容を持つ判決として画期的意味をもつとともに、

入管が事実上「不敗」を誇っていた入管行政をめぐる裁判(退去強制令書発付処分等取り消し訴訟)として、初めて政府を訴訟で打ち負かし、逆転勝訴の高裁判決を確定させた判決としても画期的意味があります。

訴訟してもどうせ勝てないと思われたあり方から、訴訟すれば救済できるという事例を作ることができました。この高裁判決は、井上さん家族の結束と支援団体「熊本の会」の支援者(控訴人7人より少ない『史上最少の支援団体』)と、わずか3名の弁護団(控訴審途中から形成され、当時キャリア1年あまりの主任弁護人と最初名前だけを貸してくださいとお願いして入ってもらった弁護人、弁護士資格なしの私という『史上最弱の弁護団』として発足しました。)の支援活動により生み出されました。

高裁での勝訴判決の確定というこれまで誰もなしえなかったことを、生み出された成果と比べると最小の人数と費用(コスト)で、最高の結果を導き出すことができたことは、お金がなく、日本語も不自由で、日本社会に有力な「コネ」もない外国人の事件でも救済できるという意味でも画期的でした。この高裁判決自体は、私達の手から離れて、今後それぞれの闘いや訴訟で活用されていくものと思われますし、そうなることを願っています。

 4、今後について

 3月16日  福岡入管審判部に今後の手続きについて電話したところ、井上さん家族に、入管から今後の在留資格付与や保証金の返還の問題について、連絡を入れるということでした。3月27日夕方5時より、井上鶴嗣さん家族の住む熊本県菊陽町で、「勝利祝賀会」が企画されています。(後日詳しいことが、決まりましたらお知らせします。)

報告5 

 南野法務大臣は、なぜ上告断念を表明したのか、

(3月25日 記)

1、はじめに

2005年3月7日の福岡高裁判決が逆転勝訴となり、3月15日の南野法務大臣の上告断念のコメントにより、高裁判決は3月22日に確定し、3月24日に7人に在留特別許可が認められ、問題として解決に至りました。

「裁判で勝てるはずがない」、「国は最高裁へ必ず上告し、今の保守的な最高裁では、必ず逆転される」と予想した方々にとって、現実の事態の進展は、「奇跡」に思え、予想外の結果に感じられたとおもいます。しかし、「今回は、運がよかったから」、「いい裁判官に当たったから」、『いい大臣が法務大臣であったから』などという評価や偶然性で総括されると、これまでの運動のあり方を何もかえることなく、何も学ばないことになりかねません。

「高裁で逆転勝訴し、上告を断念させる」というのは私達の目的でしたから、その目的がなぜ達成できたのか、その目的達成ために何を行うことができ、あるいは行うことがよかったのかを検証した方がよいとおもいます。

2004年12月15日の結審後、控訴人とその家族、弁護団、支援者で取り組んだことは、「控訴人7人全員の日本での定住をめざすという目的のために戦い続けること、敗訴の場合には最高裁へ上告することを確認し、3月6日の判決前日に熊本市内で井上さん家族の激励集会の開催と判決当日に傍聴席を満席にすること、 判決後に法務省との交渉を行うことと東京での支援者による支援集会に参加することなどが主ものでした。又、国会の予算委員会で判決前に議員に井上さん家族の問題などを質問してもらうことを行いました。

以下、第162回国会衆議院 予算院会第三分科会議録(法務省、外務省及び財務省所管)第一号よりの質問と南野法務大臣答弁の紹介です。

2、2005年2月22日衆議員予算委員会第三分科会での南野法務大臣の答弁 2005年1月中旬、藤田一枝衆議院議員にお会いしたとき、3月7日の高裁判決は、訴訟の審理の経過からみて十分勝訴もありうること、仮に敗訴となってもある程度内容のある判決となることが予想される旨をお話し、井上鶴嗣さんの家族の問題で、判決前に通常国会の予算委員会で質問してもらうことと、3月7日の高裁判決後に、勝訴の場合には上告の断念、敗訴の場合には在留特別許可の再審査を求めて、法務省と交渉したいので、その紹介議員となっていただくことをお願いして、了解していただきました。

そして、2005年2月22日の衆議院予算委員会第三分科会の法務省所管の予算の関連で藤田議員に質問をしていただきました。

この日の第三分科会は、野党民主党の外国人の人権・国籍プロジェクトチームのメンバーである稲見哲男議員、今野東議員が、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が難民として認定したトルコ国籍のクルド人父子二人が本国に退去強制され難民問題での質疑が行われました。

今野東衆議院議員が、「なぜ最高裁に上告中に退去強制したのか、最高裁のことは無視していいのか」と追及しました。

以下、これに対する南野法務大臣の答弁を紹介しておきます。

「難民性が認められないという高等裁判所の判決がすでに確定している。その確定を重く見ます。」

「退去強制命令の適正性をめぐる訴訟については、現在、原告側から上告されているところではあるが、民事訴訟法上、上告審は法律審、すなわち、原則として新たな事実認定は行いものであるから,既に、訴訟上事実関係は明らかになったものと認められる上、判例上、退去強制命令発付処分取り消し請求訴訟については、原告が国外に退去された後も訴えの利益は認められ、裁判を継続することが可能であると理解されていることから、裁判を受ける権利との関係も何ら支障はなく、上告中に送還することは法的に問題がないということであります。」

稲見議員と今野議員の質問の後に、藤田議員の質問が行われました。 元中国残留日本人の「養子」・「継子」の呼び寄せ家族の問題で、裁判係争中となっているケースに関連して、藤田一枝衆議院議員が提出書類の「偽装」の有無や入管の審査基準、そして、「定住者告示」の問題点を指摘し、「元中国残留日本人問題の歴史性や政府の責任を考慮して、人道配慮条項を決断すべきではないか」と追及した質問に対する南野法務大臣の答弁を紹介しておきます。

「ご存知の通り、私も満州から引き揚げてきております。そういう意味では、一番最初に法律を変えさせていただいたのが、私の議員生活の最初でございました。そういう意味では、そういう方々について、私がどれだけ熱い思いを持っているのかというのはお察しいただきたいのです。いろいろ問題点がございます。今、法律を守らなければならない立場であります。ずっと法律は守らなきゃいけないことでございますが、個々の事情を考慮して人道的に配慮しているところ、これは今後も続けてまいりますので、その意を酌んでいただきたいと思います。」

3、なぜ、法務省は上告を断念したのか

南野法務大臣は、以上のような答弁を2005年2月23日の衆議院予算委員会第三分科会で行っています。クルド難民問題についての答弁ですが、「高裁判決を重く見ます」。そして、元中国残留日本人の「養子」や「継子」の家族の問題について、「そういう方々にどれだけ熱い思いを持っているのかを察していただきたい。―――個々の事情を考慮して人道的に配慮しているところ」という答弁を行っています。このような答弁の結果、3月7日の福岡高裁判決が「法務大臣の逆転敗訴」となった場合には、論理的必然性には、南野法務大臣は「上告断念」という選択となります。

むろん、南野法務大臣の個人的心情がどのようなものであれ、実質的決定権を持っているのは、三浦正晴法務省入国管理局長以下の官僚達です。上告断念の決定に至る過程に、南野法務大臣の決断が影響を与える局面が生まれ、今回法務省が上告断念を決めたのは、法務官僚内部に3月7日福岡高裁判決が大きな衝撃を与え、『上告すべき』という官僚と「上告を断念すべき」という官僚に意見がわかれ、後者の意見が上回ったということだと思います。

なぜ、後者の意見が上回ったのかは、3月7日高裁判決に対する世論(マスコミ)の支持を背景に、「高裁判決を確定させず、最高裁で逆転できる」という主張よりも、「高裁判決の内容から見て最高裁で逆転できない場合もありえるとみて、最高裁判例で確定した場合の政治的影響力の大きさを考慮して、高裁判決で確定させた方リスクが少ない」という主張が上回ったからだと思います。(私は、2005年3月11日の報告で「上告するも地獄」、「上告しないのも地獄」の苦渋の選択を迫られている法務省と主張していました。)

どちらを選ぶかの決定権は法務省にありますが、法務省にとって「上告しない」場合の方が合理的な選択であると想定し、それでも「上告する」場合には、最高裁で3月7日の福岡高裁判決を確定させることをめざして、現在の入管行政により政治的にも大きな打撃を与えていけばよいと考えていました。

今回の上告断念の決定により、法務省の昨年来からの徹底した取り締まりや管理強化優先の入管行政を推進し支える官僚基盤が、見かけよりも脆弱であるという事実が明らかになりました。今後、法務省や入国管理局は、確定した2005年3月7日の福岡高裁判決の影響や波及をできるだけ阻み、あくまで井上鶴嗣さん家族固有の問題に限定して特別なケースに限定しようとしてきます。これに対して、外国人の人権優先の入管行政への転換をめざす側は、この高裁判決を活用して、普遍化させていくことが求められています。

報告6 

3月27日、勝利祝賀会が約100名の参加で行われました。(3月28日 記)

 2005年3月27日午後6時30分から午後9時すぎまで、熊本県菊池郡菊陽町のふれあい福祉交流センターで、元中国残留孤児 井上鶴嗣さん家族と「強制収容」問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会の主催により、「勝利祝賀会」が開かれ、3年4ヶ月の闘いの勝利を祝うために大人と子どもあわせて約100名が集まりました。

 井上鶴嗣さんの家族の二人の司会(日本語と中国語の通訳として)で、祝賀会は始まりました。まず、2005年3月16日深夜に熊本で放映されたRKK(熊本放送)のドキュメンタリー番組「ムーブ2005」(「井上家の裁判」 約30分)の上映が行われました。

 このドキュメンタリーは、控訴審判決を前に2家族7人がどれだけ辛く苦しい日々を生き、そのなかであきらめずに勝利を得ていったかが感動的に描かれています。その後、家族を代表して井上鶴嗣さん、井上浩一さんが挨拶され、乾杯をして、参加者それぞれが用意された飲み物や料理を食べながら、この3年4ヶ月間の日々に思いをはせ、交流や懇談をしました。

 井上鶴嗣さん、琴絵さん夫婦、裁判の当事者となった井上菊代さんと由紀子さん家族、そして、同じ団地や九州内に住む鶴嗣さんと琴絵さんの子どもの三家族ら、この祝賀会に参加した井上家の人々が子どもを含めて全員(約20名)整列して、参加者や支援してくれた人々へのお礼の挨拶がなされました。

 3月7日の福岡高裁の逆転勝訴判決を勝ち取った弁護団からは、大塚弁護士が所要で参加できませんでしたが、若き主任弁護人の大倉弁護士がご夫婦で参加され、弁護団としてこの裁判に係った思い出にふれながら最後の挨拶をされました。また、私から「なぜ、今回勝利できたのか」という質問がなされるが、その答えとして、「7人全員を日本で定住できるようにするという目標へむけ、当事者や井上さん家族、弁護団、支援者が、綱渡りのような日々の連続であったが、結束して道を誤らず、勝利を得るため進んでいくことができたから」と述べました。

この裁判闘争を支える為に支援してくれた菊池教組や退職教員の方々、子ども達の中学校や高校の先生達、福岡での裁判の口頭弁論や集会に遠く関西から毎回駆けつけてくれた全国外国人教育研究協議会の教員の方からのお祝いと挨拶がありました。

その他、コムスタカ―外国人と共に生きる会や熊本県内各地の団体の方々、福岡から駆けつけてくれた移住労働者と共に生きるネットワーク九州事務局の方々、そして、お祝いのメッセージが東京、大阪、福岡などの支援者や団体から寄せられ、よみあげられました。

この戦いの中で生まれた「満天星」など歌をギターの演奏付きで合唱し、主催者からの参加者へお礼と閉会の挨拶で終了となりました。

私のコメント

このケースは、2001年11月19日に私に電話があり、支援者の学校の先生や井上さん家族からの相談依頼がなされてから、約3年4ヶ月の長期にわたる相談事例となりました。私が、数多く抱える相談事例のなかでも最も多くの時間と労力を注ぐケースとなっていましたが、無事、依頼者の希望通りの解決に導くことができました。

これまで全国の誰も成し遂げられなかった入管行政をめぐる司法のなかでも厚い高等裁判所の「壁」を破り、「外国人」の人権を優先せず、管理と取締まりに終始している日本の入管行政に大きな風穴をあけ、人権優先へ転換させるための道を新たに切り開くことができました。

 特に2005年3月6日判決前夜集会から、7日の逆転判決、3月13日東京での支援集会、14日の法務省交渉、3月24日の在留資格付与、3月27日までのこの3週間は、いつ退去強制されるかわからない不安のなかで暮らしていた7人を救済・解放することができるとともに、長かった3年4ヶ月の苦労が吹き飛び、どんな映画やドラマや小説であじわうことのできない本物の感動を体験できました。

このような劇的な勝利を得ることができ、「権威」、「肩書き」、「組織」に頼らず、個人の意思と実体に基づいて、決定権のある相手を対象として、事実と証拠をつみあげ立証し、運動していくという私の方法論の確かさを立証できた喜びもあります。

 元中国残留孤児 井上鶴嗣さんの再婚した妻の娘2家族7人の3年4ヶ月間にわたる戦いは、裁判闘争を通じて国(法務省入国管理局)に正面から挑み、これを打ち負かすことで、7人全員の在留特別許可による定住者の在留資格の取得を実現でき、勝利を得て解決に至りました。これまでのこの闘いに関心をよせ、支援していただいた皆様へ改めて御礼を申し上げます。

補論 2005年3月7日 福岡高裁判決の意義と今後への影響と積み残した課題(3月31日 記)

1、高裁判決が画期的である理由と他への影響について、

@  行政相手の訴訟の勝訴率は2%以下、その行政訴訟のなかでも入管行政は、国際人権条約や憲法の人権規定より在留資格制度や法務大臣の裁量が優先される司法判断が定着し続けており、いわば「聖域」となっていました。特に、高等裁判所が「厚い壁」として存在して、実質的に入管行政は「不敗」を誇っていました。

そのため、「裁判しても勝てない」と考えられ、多くの外国人があきらめて、入管のいいなりとなり退去強制に応じていました。福岡高裁判決は、第一に「裁判しても、勝訴して、具体的に救済できる」ということを具体的に示しえたことが、画期的でした。

入管行政にとっても、最終的には司法が守ってくれるという安心感で行われてきたあり方が、司法において処分が違法として取り消されることもあるという具体例が示されたことは、今後の入管行政に影響を与えていくと思います。

A 福岡高裁判決は、「日本政府が批准している国際人権条約の精神や趣旨を遵守する義 務が公務員にあること、在留特別許可を付与するか否かの判断するに当たって、被控訴人法務大臣は、国際人権条約(B規約や児童の権利条約)の精神やその趣旨を重要な要素として考慮しなければならない」と明記したこと。

これまで裁判所は、在留特別許可の付与の判断に関して、これまで「在留資格制度の枠内である」とか、「法務大臣の広範な裁量権の下にある」ことを認め、外国人の人権よりも「取り締まり」を優先してきた入管行政を追認してきました。

福岡高裁判決で司法が、「国際人権条約の精神と趣旨を尊重して判断しなければならない」という間接適用ではありますが、国際人権条約の精神と趣旨に基づく入管行政を義務付け、それを逸脱した場合には、裁量権の乱用・逸脱になるとして、処分を取り消したことは、入管行政に国際人権条約を具体的に適用する道を切り開きました。

このことは、司法の場で、在留特別許可の付与に関する判断だけでなく、入管行政全般に関しても、国際人権条約を適用して判断できるという可能性を具体的に広げました。

B 福岡高裁判決は「過去の日本国の施策が遠因となり、その被害回復措置の遅れによって結果的に在留資格を取得できなくなってしまっている控訴人らの立場は、本件特有の事情として、特別在留許可の判断に当たって十分考慮されなければならない。」と日本政策の中国残留孤児政策の誤りやその責任を指摘したこと。

判決は、過去の日本政府の政策の誤りによって中国残留孤児問題が発生していること、 帰国の遅延の責任は、日本政府にあることをはっきりと指摘していますので、現在全国各地で闘われている中国残留日本人の国家賠償訴訟にも、大きな影響を与えていくことになると思います。

C 福岡高裁判決は「在留特別許可の判断にあたって、形式的な血縁関係により実子で あるか否かで判断するのではなく、実子あるいは実子以上の家族関係が実体として存在している場合には、「このような家族関係は、日本国がその尊重義務を負う国際人権B規約に照らしても十分保護されなければならないものである」と判示したこと。

判決が、これまでの入管行政が、「定住者告示」の要件を形式的に判断していたことを批 判し、国際人権B規約に照らして家族の実態を重視して判断すべきことを示したことは、在留特別許可の付与の判断にあたって、家族の結合権や子どもの権利を尊重し、家族の実体を重視する入管行政への転換を迫っていくことになります。直接的には、元中国残留日本人の「継子」「養子」家族の問題で、現在大阪高裁や大阪地裁で現在係争中の退去強制令書発付処分等取消訴訟や、法務大臣から委任された入国管理局長の在留特別許可の判断を待っているケースにも大きな影響を与えていくと思います。

2、福岡高裁判決の積み残した課題

 3月7日の福岡高裁判決は、画期的なものですが、以下の問題点と今後の課題も含んでいます。

@  諸事情に照らすと、入国手続きにおける虚偽申請の違法性は極めて重大なものとまで評価できないとしながらも、入国経緯の違法性について「公証書の記載及び申請書に記載した身分関係がいずれも虚偽であることを認識しながえら、あえてその身分関係に基づいて本邦に入国しようとした下というべきである」と認定していること、控訴人の  「入国申請書類に偽造がなく、入国手続きに違法性がなかった」との主張や立証を採用しなかったことです。

A  第三者甲の「密告」による摘発という入管行政の違法性や不当性に全くふれなかったこと。本件は、正体不明の第三者の通報(いわゆる「密告」)によって、本人の知らないところで調査が始まり、本人に理由も知らされることも抗弁する手段もないまま、いきなり摘発―退去強制されている実態を問題になかったことです。

B 法律上の根拠もなく、第三者の通報と入国審査管の判断のみで、上陸時点から遡及して上陸許可を取り消し、退去強制手続をとる上陸許可取り消し処分を重要な争点と認めながら、その違憲―違法性の判断を回避したこと。高裁判決は、これを重要な争点としながら、控訴審で後から付け加えられた争点であるとして、これを判断しなくとも裁量権を濫用・逸脱した違法な処分であるとして処分を取り消しました。但し、上陸許可取り消し処分は、本件処分の先行処分としてあり、先行処分が違法である後行処分は判断しなくともよいということは論理的に成立しても、控訴審で後から付け加えられた争点で、後行処分が違法であるから先行処分の違憲―違法性は判断しなくともよいという福岡高裁判決の論理は、論理的におかしいものです。

福岡高裁判決は、法務大臣の広範な裁量権を認めている法務大臣の裁決の判断において、「入国経緯の違法性が重大なものではない」と評価して処分を違法として取り消したのですから、「明白な不正や偽装が行われた場合」のみ適用されるという厳格な要件を持つ上陸許可取り消し処分についても、論理上は違法な処分として判断していることになります。もし、上陸取り消し処分を違法として判断された判決が示されていれば、在留特別許可という最後の救済の段階ではなく、外国人への摘発という入り口の段階での入管行政が違法であったことが認定され、入管行政へ与える影響はより重大なものとなったであろう。上陸許可取り消し処分の違憲―違法性という争点の判断を避けた福岡高裁判決は、それゆえ上告理由を見出しにくい判決内容となったが、これまでの「密告」による摘発という入管行政の実態を明らかにし、入管行政の違法性を認定するより画期的なものとなったと思われる。

以上の、これらの問題点や課題は、現在大阪高裁や大阪地裁で係争中の元中国残留日本人の「継子」「養子」家族の退去強制令書発付処分等取消訴訟など度江引き継がれていくとも思われますし、今後提訴されてくる同様な苦しみを抱えた人々の訴訟に引き継がれていくことを期待します。

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