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須藤眞一郎行政書士事務所気付
私はベトナム人の レー ティ トゥイ リン(22才)といいます。
まず、福岡高等裁判所に控訴できるよう皆様が支援してくださって、感謝申し上げます。
私は2018年8月、日本に技能実習生として働きに来ました。
鶴田有機農園に来る前監理団体であるワールドのところで1ヶ月滞在して、日本語を勉強したり、仕事に関連する言葉を学んだりしました。
その時、監理団体は、まったく日本で妊娠と出産についての話しをしてくれませんでした。
監理団体から2018年版の技能実習生ハンドブックをもらいましたが、そこには妊娠出産について何も書かれていませんでした。
2020年5月ぐらい妊娠していることが分かりました。
しかし、ベトナムに帰らされることが怖くて、監理団体や社長さんに言うこともできず、だれにも相談することができませんでした。
2020年11月14日の夜お腹がとても痛くて、胎児が動かなくなりました。
一晩中、何度も生死をさまようような痛みで苦しみながら、15日の午前中部屋で双子の赤ちゃんを死産しました。
双子は全然泣かないし、呼吸もしないし、触っても反応しませんでした。
そのとき、体調が悪くて、怖くて、自分の子どもの遺体を見て心がとても痛みました。
痛みと恐怖のため、血まみれの布団で子どもたちの体の横で休みました。
しかし、子どもたちがそのように裸で横たわっているのを見ることができませんでした。
母として自分の子どもが寒くないように、丁寧にダンボールに白いタオルを敷いた上に2人の遺体を入れ、青いタオルをかけました。
またベトナム語で双子の名前を付け、弔いの言葉をかいた手紙をダンボールに入れました。
寒くなるのではないかと心配だったので、別の白いダンボール箱に入れました。
棺(ひつぎ)のように見えるようにテープでダンボールをとめました。
自室に入って正面にある棚、そしてこの棚の中ではなく一番上にダンボール箱を置きました。
「その棚にダンボールを置いたときは何も考えていなかった」と裁判所では、証言しましたが、考えてみると、子どもたちと一緒にいることができ、最も見やすい場所でした。
それはお部屋の中で最もふさわしい場所です。
私は、その日2人の子どもと一緒にいることできました。
その棚の上に何にも置きませんでした。
その日、私がしたことは、純粋に私の子どもたちのためであり、私の子どもたちを隠したり捨てたりすることは考えませんでした。
血まみれの布団を片付け、ドアの外にある廊下の正面に置きました。
私は、死産を隠すことは考えませんでした。
その日はとても怖かったし、何も言えず、泣くこともできず、とても苦しんでいました。
子どもたちを安全な場所に置いた後、何か食べる必要があると思い、疲れ果てていましたが、2日間何も食べていなかったので、台所でおかゆを作りましたが、うまくできずに、焦がしてしまいました。
その時は、自分が元気になったら改めて、弔ってあげようと思いましたが、具体的にどうするかまでは考えていませんでした。
また、日本で、お腹の赤ちゃんを死産した時、どのような手続きをしなければならないかについても、誰からも教えてももらえず、知りませんでした。
私が、日本の死産した場合の埋葬の手続きを教えられたのは逮捕後2カ月を経て保釈された後に、支援者の方から教えられました。
そして、何度も何度も芦北警察署や検察官に、双子の遺体を引き取り弔ってやりたいと申し出しましたが、何回も断られました。
そして、ようやく2021年5月12日に芦北警察署から双子の遺体を引き取ることができ、翌日に火葬することができました。
しかし、「私が子どもたちをダンボール箱に丁寧に入れた」という行為を、裁判所は、「子どもの遺体を隠すため」と判断しました。
裁判所は、私が子どもたちの遺体を隠さないようにするには、「血まみれの布団の上に裸で冷たくなった遺体をそのまま放置しておけ」とでも言うのですか?
裁判所は、技能実習生である私が、妊娠によって誰にも相談できず、厳しい環境にあり、出産後も厳しい状態にあったと認めました。しかし、裁判所が判断したように「周囲に助力を求めることができたはず」というのは、私の環境で無理です。
その上、私は日本語がわからないし、誰に助けを求めることができるかも知りませんでした。
私の農園の雇い主は、私には、「とても怖い人」なので助けを求めることができませんでした。
私は、「彼女が私の妊娠を知ればベトナムにすぐ帰らせるではないか」といつも不安で、心配でした。
私の周りには、私が「信頼できない」と感じる人しかいませんでした。
どうして、そのような彼女や彼らに私が助けてくれるよう頼むことができますか?
11月16日、私は病院に運ばれ、最初は、妊娠と死産について本当のことを言えませんでした。
その時、私は非常に怖くて、混乱して、パニックになりました。
その病院の病室には、医師、看護師、監理団体、通訳さんと社長さんがいました。
そのような周りの人の中で、質問されればされるほど怖くなり、死産したばかり母親として落ち着いてまともに答えられることができなかったです。
当時、そこには、私が安心して、説明したり、案内したり、慰めたり、助けてくれる人は一人も絶対にいませんでした。
会社と監理団体は、一度も日本で妊娠して出産することができる法律について説明も、そのような指示も、私にはしていませんでした。
会社と組合から妊娠していると疑がわれ、私は、11月13日に妊娠検査を受けさせられました。
監理団体は、その時も何も説明せず、私に「妊娠しないように」とさえ言いました。
しかし、裁判では、検察官は、「会社と監理団体は、妊娠・出産に関して何度も私に説明した」という会社と監理団体からの証拠を裁判に提出しました。
しかし、それは真実ではありません。
2018年の来日前も、来日後も、技能実習生が日本で妊娠しても帰国させられることなく、また日本で出産することもできることを教えられることはありませんでした。
私がそのことを知ったのは、警察から逮捕されて、警察官の取り調べ中に警察官から通訳を通じて教えられ、初めて知りました。
もし、私がそのことを妊娠中に知っていたら、必ず誰かに相談しました。
私は、2020年11月15日死産してから11月16日病院へ連れていかれるまで、双子の遺体を「隠したり、傷つけたり、放置したり」していません。
それが、私が控訴審でも無罪を訴える理由です。
皆が私を助け続けてくださることに、心より感謝申し上げます。
また、これからも、助け続けてくださることを願います。
2021年10月9日 レー ティ トゥイ リン
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須藤眞一郎行政書士事務所気付
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