〒862-0950 熊本市中央区水前寺3丁目2-14-402
須藤眞一郎行政書士事務所気付
2012年12月16日 中島 眞一郎(コムスタカー外国人と共に生きる会)
あいにくの雨と日曜日の夜の時間帯で集まりにくい条件下でしたが、「2012年12月2日 東アジアで共に生きる!NOW&HERE 市民の手で」映画とシンポジウムの夕べは、主催者側を含めて50名参加を得て、約3時間、行われました。基調報告の2名以外にも、シンポジウムで発言された6名の熊本県内在住の帰国者や移住者の内容は、「(領土問題など)テーマで話をするには、危ないのではないか」「政治的な問題に触れない方がよいのでは」という周囲の声をはねのけ、ある種の覚悟と信念を感じさせる発言で、どれも自らの体験を踏まえ参加者の心に響くものばかりでした。
東アジアの危機をテーマに移住外国人の視点からこの問題の平和的な解決をめざす催しが実現できたこと、対立の激化や戦争に至れば、最も心を痛め引き裂かれる関係となり、差別や迫害の対象となりうる移住外国人や帰国者が自らパネラーとして登場し、自らの考えを発言できる機会が作れたことで、内容的には、たいへんよかったと思います。
以下、報告者2名と6人の帰国者や移住者の発言の要旨を紹介しておきます。
1、基調報告2名の報告の要旨
主催者の開会のあいさつ後に 韓国映画「走る チャウン」の映画上映(35分)後、 コムスタカ会員で、カナダ先住民研究者の草本景子氏が、「カナダ先住民研究を通じて日系カナダ人強制収容問題を考える」をテーマに約30分報告しました。
カナダの白人支配層により行われてきた先住民への土地の収奪や居留地への強制移動や文化的虐殺等の植民地支配と、1907年に日系カナダ人への焼き討ちなどの暴力、そして第二次大戦中の「敵国人」としての強制収容政策は、どちらも白人至上主義による先住民やアジア人への人種差別が根底にあり、1988年以降の「リドレス(カナダ政府が日系カナダ人に不当なことをしたことを認め、公式の謝罪と賠償・補償の交渉に臨むこと)」においても、その償いの仕方が共通していることも報告されました。また、特定の人種や民族が排斥運動の犠牲となることは、カナダ社会に限ったことでなく、東アジアにおいても同様なことが起きうることを示唆されました。
私の方からは、「移住者(外国人)支援の現場からみた東アジアの共生」をテーマに20分ほど話をしました。コムスタカへの移住女性等からの具体的な相談事例を紹介し、人身売買・労働搾取・DV等の女性への暴力の加害者側には、被害者への蔑視と差別意識があり、加害者にそれを可能と思わせる社会的価値観や制度が日本社会に根強く存在していること、領土問題にみられる東アジアの危機を克服するには、軍事的(戦争)による解決に至る危険性がます「我が国固有の領土」論に固執するのをやめ、平和的な解決(@二国間交渉、A国際司法裁判所での解決、B戦後のドイツのように領土の回復ではなく、共同体(ECRC⇒
EU)を結成し、欧州人としての影響力を強める)を紹介し、どの国の内部でも戦争も辞さない勢力と平和を求める勢力があり、前者が双方で支配的になると戦争になるので、後者の人々の相互理解や連帯関係を築き、「国家」や「国民」意識よりも、「東アジアの共同体の構成員」や「アジア人」意識をはぐくむことの重要性を訴えました。
2. 6人の帰国者や移住者の報告の要旨
「市民として、東アジアで共に生きる」をテーマとするシンポジウムには、6人の帰国者や移住者の方が、発言報告してくれました。
1. 韓国籍の男性は、東アジアの領土問題は、国家を単位とする国境で見るのか、そこに昔から住んでいる先住民や住民、あるいは魚や鳥など生物環境や岩礁や海や風など自然環境という視点で見るかで全く異なって見えてくる。後者の立場で、国家を超えて、台風などの災害時の避難所としての共同利用や共同で生物環境や自然環境を保護するあり方をめざしていくことが東アジアの共生につながるのではないかと問題提起された。
2. 台湾出身で、結婚移住者の女性は、自らの来日の経緯や日本での暮らしの体験、台湾の領土問題に関する政府の立場や見解の紹介と民衆の状況、そして、領土の国有より、漁業者の共同利用など、共通のアジア人として問題解決の必要性を訴えられた。
3. 中国残留孤児の男性は、第二次大戦中に中国で日本人両親と離れ、中国人養父母に養育され、日本に帰国したことや、日本に帰国後に仕事を見つけ定年まで働いた経験など自己の日中両国にまたがる人生の歩みを紹介し、領土問題の解決には、領土問題が存在することを認め、戦争による解決をしないことを約束し、共同利用や共同開発を進めることの意見を発表された。
4. 中国籍の女性は、文化大革命と中越戦争(中国がカンボジア支援のためベトナムに侵攻)の体験、1970年代以降の日中文化交流の中国側の通訳としての活動、その後の日本での留学や日本人男性との婚姻、日本での阪神大震災の被災体験(外国人も分け隔てなく助け合う日本人の人々の姿を見た)などの個人的体験をへて、「戦争中の怖い日本兵」という日本人や日本のイメージがよいものに変わっていったこと、その良いイメージの日本と、戦前の日本がなぜ中国と戦争して攻めてきたのかがどうしても重ならなかった。しかし、今年の領土問題をめぐる政治家の発言やマスコミの報道の仕方を見てなんとなくわかった。もしかしたら戦前の日本人も本当は戦争したくなかったのでは、それが政治家とマスコミにより戦争しなければならなくなった。今、日本の政治家やマスコミがこの問題で発言し、マスコミが報じるたびに、中国国内は、それに敏感に反応し、「また日本が中国に攻めてくる、それにそなえて、空母を持たなければならない、戦争に備えなければならない」という声が強くなる。本当は、中国人も、日本人も戦争したくない、私たちの力、本当に微々たるものですが、「ちりも積もれば山となる」のたとえとのように、たとえささやかでも、中国にいる中国人には、日本人の多くが戦争なんか望んでいないこと、日本にいる日本人には、中国人の多くも戦争はしたくないという声を伝えていくことだと思う。
5. 日本人と結婚して、日本に移住してきたフイリピン出身の女性は、すでに長年日本に暮らし、娘にこども(彼女の孫)がいること、フイリピンは、外国の影響を大きく受けてきた数百年にわたるスペイン、数十年のアメリカ、そして第二次大戦中の日本、日本人夫と結婚することにたいしても、戦争中の恐ろしい日本兵が、日本人のイメージであり、フイリピンの家族や親族の多くの反対があった、その中で、戦争中も、日本人と付き合いのあった親族の一人が、「日本人の中にもいい人がいる」と賛成してくれた、今年の秋に、韓国へNGOとして訪問することになったとき、領土問題で、日本と韓国の関係が悪化していたので、家族から「今行くのは危ないのではないか」と反対があった。孫から「どうして危ないの」と聞かれ、「竹島」という島をめぐる争いがあると言ったら、「そんな島、あげてしまったら、喧嘩しなくてよくなる」といわれ、韓国に行くことにした。実際韓国にいったら、危なくもなんともなく韓国の人々は普通に接してくれた。フイリピンと中国との間にも領土問題があり争いがあるが、国と国ではなく、住んでいる住民同士、あるいは漁をしている漁民同士がどうしたら共同で利用できるかという考えで解決を図るべきと思う。
6. 最後に、ドイツ籍の男性からは、ドイツから日本にきて、熊本に住んでいること、ドイツとフランスは、19世紀から20世紀の前半にかけて、3度も大きな戦争をしてきた。60年以上前の世界の人々には、ドイツとフランスが今のように仲良くなっていくことは誰も信じなかった。
第2次世界大戦後ドイツは多くの領土を失ったが、その中にアルサス・ロエーヌ地方(フランス領となる)があるが、ドイツは領土の回復を目指すのではなく、ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)を創設することが共同利用と欧州の平和を築く道を選んだそれが、現在のEU(欧州連合)につながっている、ドイツに住む親族は、フランス領になったこの地方に、ビザもパスポートのなく移動でき、ドイツ籍のまま住むこともできる。東アジアの領土問題も、このような解決の仕方も参考にして、解決をめざしてほしい。また、共に生きるとは、対等な関係で、平等でなければならない、日本に住む外国人である私も、地域社会の構成員であることを認めてほしい。
〒862-0950
熊本市中央区水前寺3丁目2-14-402
須藤眞一郎行政書士事務所気付
groupkumustaka@yahoo.co.jp