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須藤眞一郎行政書士事務所気付
申明直(熊本学園大学教授)
2007年度に「東アジア移住共生映画祭」を開始以後、現在のような「東アジア市民共生映画祭」に名前を変えたのが2011年の第4回目だったので、「東アジア市民」を主体として共生を考えるのは、もう3年目になる。2011年3・11の大震災と原発事故でショックを受け、2011年は「太陽と共に、東アジア人と共に」というテーマにして、昨年は国連が定めた「協同組合の年」を記念して「国境を越える東アジアの協働」をテーマにしていた。今年は「越境する家族とトランスナショナル市民」というテーマであった。
今年はテーマが先ではなく、主な映画が先であったが、その理由は言う必要もなく映画「かぞくのくに」のためだった。ヤンヨンヒ監督の前作である映画「ディアピョンヤン」で良い印象を受けたが、メイン作品として在日コリアンの映画を選ぶ時、ちょっと躊躇したのは事実である。しかし映画「かぞくのくに」を見た瞬間、そのような心配は杞憂に過ぎなかった。映画は、テーマより映画としての完成度が作品全体にあふれていたためである。
映画「かぞくのくに」のように国境を越え、悩んでいる家族の物語を今年のテーマとして決め、テーマタイトルは「国境を横断して暮らす家族(Cross-border
family)」とした。ロシア人女性との再婚と前の妻との子どもで再構成する家族の様子を描いた「ナターシャ」、学校に通っている二世の子がぶつかる異文化ショックを描いた「ヒジャブ」、当初上映予定であった多文化家族出身の子どものミュージカルオディション過程を描いた「マイリトルヒーロー」は、すべて今年のテーマにふさわしい映画であった。
映画祭の1日目は、学生が中心になってシネマトークなどを準備した。特に東アジア共生ブックカフェを準備してきた学生たちは、フェアトレードコーヒーに関する映画「おいしいコーヒーの真実」の上映後、シネマトークを行った。なぜ東アジアの共生なのか、東アジアにおいてのフェアトレードカフェはなぜ必要なのか、学生たちの熱情と意欲が感じられるトークであった。
2日目は、やはり映画「かぞくのくに」の上映とヤンヨンヒ監督のシネマトークが注目を集めた。ヤン監督は、この映画は事実に基づいているが、完全に一致するものではないと言いながら話を始めた。ドキュメンタリー映画ではなく劇映画を作ったのは、実際色々な話をしてくれたお父さんがカメラの前に立ったら何も言わなかったため、劇映画を作ろうと心を決めたという。帰国事業については、他の誰よりその家族がいちばん詳しく知っているのに、誰も言わない。それは平壌にいる家族のためであった。
実は、ヤン監督も映画「ディアピョンヤン」を撮る時は、自分の映画のため予想もしなかった犠牲者が出たらいけないと思い、本当に緊張しながら映画を製作したが、お父さんが亡くなる直前、「あなたが好きなことならやれ。自分で決めたらそのまま行け。」という言葉は、平壌にいる兄たちを含め家族に大きい迷惑をかけるものであるが、自分が劇映画を撮らなければならない理由になったという。ヤン監督は、これを「病気自慢」に比喩した。とにかく、ヤン監督は、映画「ディアピョンヤン」の上映以後、兄たちがいる国から謝罪文の提出を要求されたが結局提出しなかったため、北朝鮮に入国禁止になり兄たちも会えなくなったという。
お父さんは、韓国の済州道出身で1942年15歳の時、大阪に来た。終戦後、子ども3人を故郷である南ではなく北に送ったのは、棄民政策に一貫した南と違って朝鮮語を学ぶ学校の支援を続けえてきた北に行けば、ゴミ以下の生活をしていた日本よりはいいだろうと思ったためであるという。これをヤン監督は、日本の赤十字と北の赤十字による「移民プロジェクト」といった。当時、日本のすべてのマスコミは、この帰国事業を大歓迎していたと言いながら、ヤン監督は「歴史を知るべき」といった。歴史自体のためではなく、映画を楽しむためにも歴史は知るべきだということ。
最後に、兄の工作員への要求を拒否したため、兄は病気の治療も終わらないまま途中で帰らなければならなかったのではないか、妹リエの選択であった自由は本当に高いスーツケースのように高いものではなかったかという質問についてこう述べた。兄の話を聞いた瞬間、政治がいきなり自分の生活の中に入ってきたと。自分には拒否する自由があったが、兄はそのような自由なんか持ってないと思い悩んだが、結局、自分がはっきり拒否したのは「後悔しない選択」をするためだったという。しかし、ヤン監督は帰国船を送る時、「紙テープを…」と言いながらついに涙を流してしまった。
そのような妹に、兄はカッコイイと、自分の意見をはっきり言うのはカッコイイと言ってくれてありがたいと思ったという。それで、兄が言えない話を自分が代りに世界に言うと監督は話した。
映画とシネマトークを見た学生達からは、隣の国と関わる自分達の歴史をこれほど知らないのは恥ずかしいという感想が多かった。映画を楽しむために歴史を知れという監督の話は適切だと思った。
ヤン監督のシネマトークが終り、監督のトークが感動的だったからか、監督の著書やDVD販売とサイン会には長蛇の列が出来、準備した監督の著書はすぐに完売となった。映画祭を主催した甲斐があると思った。映画祭はもう6回目、開催の準備は本当に大変だが、少しずつ映画祭の固定ファンができるような気がして嬉しい。このように東アジアの人々は共に生きる道を見つけていくと感じた。
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