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須藤眞一郎行政書士事務所気付
2025年3月30日 中島 眞一郎(コムスタカー外国人と共に生きる会代表)
2025年3月25日{火曜日}午前中に、熊本地方裁判所に、原告 ベトナム人元技能実習生DINH VAN Y (ディン ヴァン イー)さんが、被告 桑形建設株式会社(本社 佐賀県鳥栖市)に対して、総額約878万円の労働災害損害賠償等請求訴訟を、熊本中央法律事務所の二人の弁護士(松永 友樹弁護士、石黒大貴弁護士)を代理人として提訴しました。 そして、原告のイーさんを2022年9月の再来日以降から現在まで支援してきているコムスタカー外国人と共に生きる会主催で、同日午後2時から、熊本市国際交流会館5階大広間Aで、記者会見を行いました。 記者会見には、地元熊本のテレビ局5社、新聞社5社が取材にきて、熊本の夕方のローカルニュースや翌26日の新聞各紙で報道されました。
2019年月に技能実習生とし て来日しました。来日後、2019年7月3日から2021年8月20日までの間、桑形建設株式会社( 以下、単に「会社」といいます。)で、とび作業を行いました。
とび作業は、建設現場での足場の組立てや解体を行い、足場の材料として使う 20~30キログラムもの重量物を運搬する作業などを行います。
2021年8月20日、熊本市東区内の15階建てマンションの建設工事現場で、8階25メートルの高所で作業中に、足場の角に本来あるべきストッパー2本が付いていなかったため地上まで落下する転落事故に遭いました。
すぐに救急車で熊本赤十字病院に搬送され、多発性外傷、内臓損傷、7本の肋骨骨折、左太もも骨折などの大けがを負いました。
人工呼吸器をつけられ、ICU (集中治療室) での治療が続き、搬送から3日後に、左脚に髄内釘ボルトを入れる手術を受けました。 緊急手術を受けた後、2021年9月3日からは、さらなる治療のために、佐賀県鳥栖市にある今村病院に転院しました。
2021年12月13日に今村病院を退院し、その後は、リハビリのために週に4回ほどのペースで今村病院に通院しました。
リハビリ治療を続けていき、緊急手術の日から数えて約1年後にボルトを抜くという計画でした。退院後は、今村病院に通院して懸命にリハビリを続けていました。
2022年3月14日、会社は、私に事前に何も伝えることなく、私の在留資格を技能実習」から 「特定活動」(医療目的}に変更しました。 しかし、2022年5月9日、会社からは、一方的にそれまで受け取ることができていた労災保険の休業補償が停止され、また、健康保険証を取り上げられました。
その上、日本に残りたい場合には、自分で家賃、食費、税金、健康保険料などを支払わなければならないとも言われました。 突然仕事も補償も失った私は、自分で治療費を支払う余裕はなかったので、リハビリ治療を続けるために日本に滞在することが難しくなり、2022年6月3日ベトナムに帰国するしかありませんでした。
帰国するとき、会社からは「日本に戻って来たら、このお金を返さないといけない」と告げられ、手術代として現金20万円を渡されました。 しかし、会社から受け取った20万円は明らかに手術代には足りず、帰国後は、これを使ってベトナムの病院でリハビリ治療を継続しました。
また、治療計画どおりにボルトを抜く再手術については、ベトナムのお医者さんから、ベトナムの病院には附属品がなくボルトを抜けないリスクが高いと説明されたため、再手術を受けるために2022年9月10日に日本への再入国を果たせました。
その後、2022年10月に熊本赤十字病院 に入院し、再手術が無事に終わり、10月28日に退院しました。 また、再入国の後、コムスタカー外国人と共に生きる会の方々が、熊本赤十字病院への同行や熊本労働基準監督署に休業補償を申請し、ベトナムに一時帰国していた期間や日本に再入国した後の期間についても認めてもらえました。
2023年2月頃、熊本労働基準監督署に、労働者災害補償保険の支給申請し、2023年3月11日に、再びベトナムに帰国しました。帰国後2023年4月5日、熊本労働基準監督署が、私のけがを後遺障害14級と認定しました。
その後、弁護士に依頼して、下請け会社である桑形建設に補償を交渉してもらいましたが、低額の回答しかなく、2025年3月25日に、熊本地方裁判所に提訴するに至りました。
皆様、こんにちは。
私はディン・ヴァン・イーです。私は、以下の理由で桑形建設会社(以下、会社という)に対して訴訟を起こすことを決めました。
1.会社が私の権利に全く関心を示さず、私に対する損害を補償してくれたくないため、私はその権利を取り戻したいと思っています。
2.このことを通じて、企業が労働安全にもっと関心を持ち、労働者の権利を尊重するよう促したいと考えています。
3.私は、実習生や外国人労働者がこれ以上圧力をかけられたり、いじめられたりすることなく、正当な権利を保護されることを望んでいます。
以下は、私が訴訟に至った経緯について話をします。
私は2019年6月3日に実習生として日本に来ました。
肩に背負った借金(日本に行く借金、銀行からの住宅ローン)と家族の責任があるため、どんなに辛くても、決して帰国できないと強く意識していました。
会社に入った時から、暑い日差しの中で高所作業をしながらも、常に努力し続けました。慣れない環境の中で迅速な作業を求められ、仕事は非常に過酷で危険でした。
会社での仕事を始めたばかりの頃、私は2回事故に遭いました。
1回目は、日本人が長い鉄筋を運んでいる際、その鉄筋が私の目に刺さりました。
2回目は、足場の1階からタイルの床に落ちて、背中を痛め、1ヶ月間動けませんでした。
しかし、両方の事故でも病院に行くことは許されませんでした。
2021年8月20日、私は建物の8階25メートルの高さから落下し、多発性外傷、内臓損傷、7本の肋骨骨折、左大腿骨骨折などの大けがを負いました。
私は熊本県熊本市にある熊本赤十字病院で緊急手術を受け、その後、佐賀県鳥栖市にある今村病院で治療とリハビリを受けました。
2022年3月14日、監理団体は私の在留資格を技能実習から特定活動(医療目的)に変更し、技能実習を終了しました。
事故やリハビリ中、会社は私に対して給与を一切支払わず、労災保険でのみ支援されました。
2022年5月、会社は私に家賃や光熱費を請求し、健康保険の資格が終了したと告げ、治療を続けるためには自費で支払うよう求めました。
その時、私はまだ治療中で、歩くのも難しく、足首は捻挫し、左腿にはプレートとネジが入ったままでした。
会社は私に20万円を渡し、ベトナムでの足の手術に使うように言いました。
2022年6月3日、監理団体は私に帰国を命じ、再び日本に戻って治療を受けることを許可しませんでした。
ベトナムの病院には足のネジを取り外すための適切な器具がなかったため、私は当初の予定通り熊本赤十字病院で手術を受けるため、日本に戻ることを決意しました。
会社や監理団体は私が戻ることを阻止しようとしましたが、私は、コムスタカー外国人と共に生きる会{以下、コムスタカという}と連絡を取ることができ、2022年9月10日に日本に戻りました。
コムスタカは、私に住居の提供、労災保険の手続きの指導などを親切にサポートしてくれました。
私はプレートとネジを取り外し、靭帯のリハビリ治療を受けました。2023年3月11日に私はベトナムに帰国しました。
私は、この間私を支援してくださったすべての個人および団体に心から感謝しています。
ご支援に深く感謝し、今後は弁護士の皆様が会社に対して私の権利を取り戻し、精神的および身体的な損害を補償していただけるよう尽力していただきたいと願っております。
心より感謝申し上げます。
2025年3月25日
DINH VAN Y
〒862-0950
熊本市中央区水前寺3丁目2-14-402
須藤眞一郎行政書士事務所気付
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